制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-10-19
改訂
2012-08-26

現代仮名遣い(昭和61年7月1日内閣告示)

「現代かなづかい」を改訂したものだが、現代語の音韻に従って書き表わす方針に變りはなく、「現代かなづかい」(昭和21年)の原則を追認したものとなつてゐる。長野正編著『日本語表現法』(玉川大学出版部)p.107

内容

假名遣ひの性質は變更され、許容される表記の範圍を廣げてゐる。

しかし、許容は飽くまで許容であり、例外に過ぎず、基本的な原則は事實上、「現代かなづかい」と變らない。

評價

準則よりどころに變つた事を、国語改革反對派の多くが歡迎してゐる。しかし、「現代かなづかい」は日本の現代社會に定着した、と云ふ既成事實があつて、その上で制限が緩和される事には、何の意味もない。

既に「現代かなづかい」が一般化してゐる現状、制限が目安に變つたとしても、国語改革の流れは全く變らない。国語改革の「制限緩和」は、せいぜい国語改革派の「寛容さ」を強調するものに過ぎない。

「法的」な制限がなくなつたにもかかはらず、「新かなづかい」が一般に使ひ續けられる事實を根據に、「新かなづかい」は一般に定着した、と強辯する国語改革推進派・中立派の人々の勢ひが以前よりも強くなつてゐるとすら言へる。

豫めマインドコントロールされた人々に意見を言はせても、その意見は少しも自由なものではない。自由にものを言へる場で人々がものを言つてゐたとしても、その人々は既に自由にものを考へられる状態にはない。それと同じ事が、「現代仮名遣い」の議論でも言へる。

「現代かなづかい」(昭和21年)の世の中で育つた人々が、いきなり「制限はない」と言はれても、「現代かなづかい」を手放す筈がない。しかも、「現代かなづかい」の「嘘」は一切告知されず、「現代かなづかい」と殆ど同じ内容の「現代仮名遣い」が「正しい表記の目安」として示されてゐるのである。

昭和61年に實施された假名遣の「改訂」は、その本質は「茶番」であつたと言ふほかはない。はつきり「制限ではない」と言はれてしまつた事もあり、この「現代仮名遣い」は、文言の上では「文句の附けやうがない」條文と化してしまつた。

国語改革推進派・維持派は、「現代仮名遣い」を、言葉の上では無意味なものと化しつつ、實質的には制限の根據として有效に利用出來る。国語改革反對派は、さう云ふ改革派の主張の欺瞞性をも含めて、国語改革の本質的な非人間性を指摘し續けて行く必要がある。

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