契沖は、萬葉集の研究を行ふ過程で、萬葉假名の假名遣が定家假名遣と異る事に氣附き、記紀萬葉等の文獻に遡つて語の本來の表記を調べた。そして「和字正濫抄」で、定家假名遣の「誤り」を正し、所謂歴史的假名遣を初めて主張した。
契沖の假名遣研究は、平安時代前半期までの文獻、「日本書紀」「萬葉集」「和名類聚抄」等に基いた、實證的な研究であつた。
契沖の著述『和字正濫抄』(…略…)は、上代の文献をできるだけ集め、それを史的に整理配列し、歴史的にある時代までの文献には必ず内在する(それ以後の文献には存しない)ところのかなづかいの通則を歸納的に発見し、かつこれを公表し、長い間尊崇され来った権威(定家かなづかい)をくつがえしたものであった。その立言は確たる根拠にたったもので、証拠のないことを立言せず、その証拠に立つかぎり、何人も承服する条理のあるもの、つまり科学的であった。契沖の国語学上の学説の代表的なものは『和字正濫抄』であるが、ただに狭い国語学の範囲内にとどまらず、一般に学術研究、もしくは日本精神史・文化史の上から見てもこれは画期的な研究であった。
橘成員は「倭字古今通例全書」(1696年)で契沖を批判、當時の常識的な學説を基に、定家假名遣の「正當性」を主張した。これに對して契沖は「和字正濫通妨抄」(1697年成立、刊本は出てゐない)、「和字正濫要約」(1698年・寫本で廣まつた)を著し、反論した。
「和字正濫抄」には、あ行の「お」とわ行の「を」の所屬を入違へるといふ誤があつた。これは從來の五十音圖に從つた爲である。
楫取魚彦は「古言梯」で、契沖の説を訂正した。
「お」と「を」の所屬は、初版以來誤つてをり、文化五年の山田常典本ではじめて訂正された。
宣長の論證は必ずしも十分とは言へなかつたが、義門による補説が現はれて以來、「お」はあ行、「を」はわ行とする説が定説になつた。
宣長は、三十歳の時に「和字正濫抄」を買求めてゐる。しかし、宣長が復古假名遣を採用するまでには、十年の年月がかかつてゐる。40歳の1770(明和5)年まで、日記や歌を書く際、宣長は定家假名遣に依つてをり、復古假名遣を用ゐるやうになつたのはそれ以降である。
矢張り身についた假名遣を變へるのに抵抗感があつたのではないか、復古假名遣を古體の和歌を表記する爲に用ゐるべきものだと考へたのではないか、楫取魚彦の「古言梯」や賀茂真淵らの影響があつたのではないか──等々、理由は色々と想像されてゐるが、眞實はわかつてゐない。
村田春海に「假字大意抄」「假字拾要」、白井寛陰に「音韻假字用例」の研究がある。
江戸時代、歴史的假名遣を用ゐたのは主に國學者、古典研究家であつた。傳統的な歌人、歌學者は從來の定家假名遣に固執してゐた。その中には、契沖の假名遣を激しく罵倒する文章を殘してゐる人もゐる。
漢學者や大衆向けの讀本の作者は、假名遣に無頓着である事も多かつた。さうした傾向は明治時代初期まで續いてゐる。
國學者の系譜に連なる榊原芳野らによつて文部省編纂「小學教科書」(1873/明治6年)に復古假名遣が採用された。
その後、「棒引假名遣」による中斷はあつたものの、1946(昭和21)年まで復古假名遣は教育現場で用ゐられた。
大槻文彦の「大言海」が復古假名遣に基いた五十音配列であるのは有名。
定家假名遣は、混亂した表記を正す目的で作られ、理論的かつ實證的な傾向を本質的に持つものであつた。しかし、不十分な知識と不完全な方法論に據つたもので、多くの誤が含まれてゐた。
近代になつて、より學問的な手法が確立されると、改めて假名遣ひを反省する意識が生れた。そして、より合理的な假名遣ひを摸索した結果、成立したのが、復古假名遣(所謂歴史的假名遣)であつた。
契沖の復古假名遣は、定家假名遣に比べて、より精密で、より徹底したものとなつた。
明治政府が、據るべき規範として復古假名遣(歴史的假名遣)を採用したのも、その時點で最も合理的な表記の體系が復古假名遣だつたからである。
歴史的假名遣は、江戸時代に整備がかなり進んでゐた。しかし、明治時代以降も研究が進められてゐた。橋本進吉等によつて、昭和10年代にはほぼ完成の域にまで到達してゐたと言へる。
戰後、「現代かなづかい」が内閣告示によつて定められ、新聞・雜誌で用ゐられるやうになつた。歴史的假名遣は自然な發展を停止する事となつた。「現代かなづかい」は、從來の表記の原則を根本的に否定するもので、正常な假名遣の進化とは言へない。その爲、國語學者の時枝誠記、大野晋、批評家の福田恆存、小説家の川端康成、井上靖、谷崎潤一郎等は歴史的假名遣を使用すべき事を主張した。
現在、歴史的假名遣は、國語學研究者や極一部の保守派が用ゐてゐるのみで、汎く一般的に用ゐられる表記ではない。初等教育で「現代仮名遣」が教へられてゐる爲である。
しかし、助詞の「は」「へ」「を」等に歴史的假名遣が遺されてゐたり、「お」の長音の表記の原則が歴史的假名遣における書分けを根據としてゐたりするなど、「現代仮名遣」においても歴史的假名遣が原理として依然生きてゐると見る事も出來る。