制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-11-27
改訂
2005-03-22

同音の漢字による書きかえ(昭和31年7月5日国語審議会報告)

經緯

「当用漢字」はもともと、將來漢字を廢止し、全てを表音的な表記に統一する事を目指して、過渡的なものとして制定されたものである。しかし、現實には、「当用漢字」は漢字表記の基準として定着してしまひ、依然、一般には漢字が使用され續けた。

漢字表に擧げられてゐない爲、使用出來ない事になつてゐる熟語は多數あつた。だが、漢字假名交じりで文章を表記する際、その種の熟語は不可缺であつた。その爲、新聞社や出版社は、獨自に漢字を書換へて表面的には漢字表の範圍に收まるやうな形で漢字を使用するやうになつてゐた。

もちろん、漢字で書けなければ假名で書けば良い筈であるが、漢字で書くべき語はやはり漢字で書きたい、と云ふのが、一般的な欲求であつた。また、新しい語を創造して既存の語を置換へる、と云ふ方法は、面倒な事だつたせゐか、殆ど採用されなかつた。その面倒な作業がなされてゐたら、表音主義者の願つた方向に國語改革は進展し、「大成功」を收めてゐたかも知れない。

「書きかえ」の試行

「当用漢字表」が制定された時點で、既存の漢字・熟語の類は表内に收まるやうに「書きかえ」を行ふ、と云ふ事は、既定の方針ではあつた。しかし、實際問題として、「書きかえ」を行ふべき範圍は明かにされてゐなかつた。

省廳や出版社、新聞社では「書きかえ」が行はれた。しかし、方針・方法はまちまちであつた。国語審議会は、さう云ふ混亂の中から「より簡單な表音的表記」が定着するだらうと期待したのかも知れない。

世間では、「漢字志向」が強く、使つてはならない漢字を含む熟語であつても、何とかして表記しようと、多くの人がそれぞれ苦勞を重ねた。はつきり言つて無駄な努力であり、さう云ふ努力は單に混亂を助長したに過ぎないのだが、混亂の原因である漢字制限を疑ふ人は殆どゐなかつた。

一度突進み始めると、困つた事になつても引返さないのは、日本人の惡い性質である。大東亞戰爭の悲劇は正にそれが原因なのであるが、戰爭に負けて「反省」した筈の日本人が、國語問題に關して相變らず誤つた方向に突進んで平氣でゐるのは異常である。閑話休題。

これらの「試み」の中では、語の「書きかえ」例が示されてゐただけである。「書きかえ」の具體的な基準・方法は提示されてゐない。

また、「書きかえ」の許されるのはどこからどこまでか、も、一般的な原則は定められてゐなかつた。「書きかえ」の方法は、分野ごとの事情で決めなければならなかつた。要は、實用上困つた事があつたら、その場で何とかせよ、と云ふ事になつてゐた譯である。當時の「書きかえ」は、極めて場當り的に行はれてゐた。

また、學術用語も積極的に「書きかえ」が行はれてゐた。昭和29年の「数学編」以來、各分野の用語集が刊行されてゐる。これらの「書きかえ」は既成事實となり、科学・技術・芸術その他の各種専門分野には及ぼされないと謳はれた常用漢字表が公布されて以後も、今に至るまで繼續して使用されてゐる。「常用漢字表」は所詮、「規制緩和を行つた」と云ふ事實を作る爲だけの存在である。

国語審議会の審議

一般に行はれた「書きかえ」の方法はまちまちで、混亂は非道かつた。そこで、国語審議会としても一つの指針を出さざるを得ない、と考へられるやうになつた。国語課のまとめた「同音の代用字・代用語」(約520字)を資料に用ゐ、第一部会が審議を開始した。

第一部会は、「根據」を示せる「書きかえ」、比較的無難な「書きかえ」を選び出す、と云ふ方針に基き、審議を行つた。その結果、341例の撰定が行はれ、昭和34年7月5日の総会に提出された。総会の諒承を經て文部大臣に報告されたのが「同音の漢字による書きかえ」である。

第一部会は折を見て第2囘の審議も行ふ豫定だつたが、結局審議はこの1囘で終つてゐる。

複雜な「書きかえ」の基準

代用字と代用語

この報告を見ると、「闇」→「暗」、「誡」→「戒」のやうなどの語の場合にも書き換えてよいとしたものと、「愛慾」→「愛欲」「安佚」→「安逸」のやうな語を限定して書き換えるようにしたものの、二つの「書きかえ」の例の混在してゐる事がわかる。

字の書きかえ
例へば「慾」の場合、「愛欲」「強欲」「色欲」「食欲」「性欲」「大欲」「物欲」「無欲」「名誉欲」が擧げられてゐるが、「寡欲」「財欲」「私欲」「多欲」「肉欲」等、例に擧げられてゐない熟語でも「書きかえ」を行つて良い。
語の書きかえ
例へば「綜合」→「総合」の場合、「錯綜」は「錯総」と「書きかえ」てはならない。

ややこしい事に、後者の場合、同じ文字が語によつて別の文字に「書きかえ」られるのである。「蒐荷」は「集荷」に「書きかえ」られるが、「蒐集」は「収集」に「書きかえ」なければならない。「障礙」→「障害」、「妨碍」→「妨害」の「書きかえ」は可能だが、「碍子」→「害子」の「書きかえ」は出來ない。

また、「潰滅」→「壊滅」、「潰乱」→「壊乱」、「決潰」→「決壊」、「全潰」→「全壊」、「崩潰」→「崩壊」の例が擧げられてをり、「潰走」→「壊走」、「半潰」→「半壊」等の「書きかえ」が豫想出來るにもかかはらず、「潰」→「壊」と云ふ「字の書きかえ」は例示されてゐない。

「書きかえ」の根據

341例の「同音の漢字による書きかえ」にはそれぞれ、「根據」がある事になつてゐる。しかし、どの「根據」も、「辻褄合はせ」「故事つけ」に類するもので、怪しいと言はざるを得ない。

同じ字源か、または正俗同字のもの

以下の例を見てもわかる通り、部首や字體の違ひが示す細かい意味の差を無視し、特定の意味を示してゐた「表内字」に複數の字が持つ「共通する意味」を付與する事で、「書きかえ」を實現しようと云ふものである。複數の微妙にニュアンスの異る字を一つの字に統合しようと云ふもの。

廻轉→回転
廻は回に同じ、とされている。廻はすすむ意味を示すために回にエンニョウ。
吃水→喫水
吃はどもる意味からのみこむにも用い、吃は喫に同じとされている。
註文→注文
注はそそぐ意味。後に言葉の場合にゴンベンの文字をつくり、区別するようになった。
熔接→溶接
熔は火の中に入れるからヒヘン、溶は水の中に入れるからサンズイ、とける点では共通。
管絃楽→管弦楽
古くは弓のつるを鳴らした。後に楽器の場合にユミヘンをイトヘンに改めた。
音通のもの

「音が同じ文字の場合、意味が通ずるやうになる事がある」と云ふ理窟だが、やはり微妙なニュアンスの違ひを無視して、強引に「共通の意味」に故事つけてゐるやうに思はれる。

火焔→火炎
焔は火の先のほのお、炎はほのおが高く上ること、いずれもほのおに関係がある。
挌鬪→格闘
挌は手で打ち合うこと、格はほねぐみ、しかし、挌は通じて格につくるとされている。
稀薄→希薄
稀はすくないこと、希はすこしあること、しかし、稀は通じて希につくるとされている。
史蹟→史跡
蹟は物事の行われたあと、跡は歩いたあと、いずれも、迹に同じとされている。
沮止→阻止
沮は水ではばむこと、阻は盛り土ではばむこと、沮は通じて阻につくるとされている。
同じ意味か、または似た意味の語を借りたもの

異る字で表記され、それぞれ異る意味を持つが、同じ讀み方をする複數の熟語がある時、全て表内字で構成されてゐる一つの熟語に統合する、と云ふもの。意味に「共通する部分」がある、と云ふ事が統合の「根據」になつてゐる。意味の違ひはとにかく無視したいらしい。

衣裳/衣装→衣装
裳はもすそで衣裳は上衣と下衣のこと。装はよそおうで、衣装は着物などのこと。
蒐集/収集→収集
蒐はかためるで蒐集は同じものを一か所に置いて一緒にすること、収はおさめるで収集はいろいろのものをあちこちから持ってきて一緒にすること。
抛棄/放棄→放棄
抛は勢いよく飛ばす、放はそのままにしておく、抛棄も放棄もそのようにして、使うことのできるものを使わないようにすること。
聯合/連合→連合
聯は左右に次々と続くこと、連は一つずつ順に続くこと。いずれもつらなる点では同じ。聯合も連合も、そのようにして合わさること。
新しく造語したもの

本來は存在しなかつた書き方の語。「誤りとされてゐた書き方を認める」と云ふのではなく、「新しく作つた語を用ゐる」と考へる。物は考へやう、と云ふ發想の惡用である。しかも、この「報告」で擧げられた以外の「新造語」は認められず、「誤用」として扱はれる。国語審議会の「權威」によつて、誤用を「誤用でない」と云ふ事にしてしまつたのである。

漁撈→漁労
撈は水中の物を取ること。手ではたらくから、はたらく意味の労にテヘンをつけた。漁労はすなどり働く意味の新しい語。
根柢→根底
柢はねもとのことでキヘン、底はそこのことでまだれ(やね・おおう)。誤って書かれることが多かったが、根底を正しいとすれば、意味を合わせて作った新しい語。
慰藉料→慰謝料
藉はなぐさめること、謝はあやまること。慰謝料はなぐさめてあやまる意味の新しい語。
単に音を借りたもの

同音の劃數の少い字で代用する「當て字」。俗用されてゐた當て字を「正しい」用法と看做すもの。

一挺→一丁
挺はひきぬくことで長い道具を数える単位。古くから簡略な丁で代用されていた。
庖丁→包丁
庖は台所で、そこにいる人が庖丁(ほうてい)、庖丁の用いる刀としての庖丁刀が庖丁となった。マダレを省いて簡略に書く。
裝釘(幀)→装丁
釘はとじる意味にも用い、裝釘は書物に表紙などをつけてとじること。幀は表装した絵で、裝幀は書物を布などで包んで仕上げること。釘のカネヘンを省いて簡略に書く。

評價

戰後の國語改革を、曖昧な状態で固定し、につちもさつちもいかないやうにしてしまつた元兇が「同音の漢字による書きかえ」と云ふ「報告」だつた。表音化の方針が誤であつた爲に發生した問題を隱蔽し、漢字制限によつて生じた障碍を障碍と認識出來ないやうにしてしまつたからである。

この「報告」は、問題を糊塗する爲に作り上げられた「砂上の楼閣」であり、一貫した論理の存在しない全くもつて不合理な代物なのだが、合理的であらうとするよりも出鱈目である方が樂である、と云ふ「處世術」の滲透した現代の日本人にとつては極めて都合の良い存在となつてゐる。

擧げられてゐる全ての例に「根據」が示されてゐる爲、納得してゐる人が極めて多いのだが、その「根據」の論理がまともなものであるのかどうかは、よくよく考へて、檢討した方が良い。所詮、「当用漢字表」を正當化する爲の「論理」でしかない、と云ふ事に氣を附けて考へれば、全ての「根據」が根據でも何でもない事を理解出來るだらう。

それにしても、單なる「報告」に過ぎないものが、何とも強力な規範として通用したものである。「常用漢字表」の所謂目安なる文句が當てにならない事は、本「報告」の及ぼしてゐる影響力を考へれば明かであらう。たかが「報告」ですら日本人の表記を支配するのに、目安を自稱してゐるとは言へ、れつきとした「内閣告示」である「常用漢字表」が日本人の表記を支配し、制約しない譯がないのである。

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