固有名詞を漢字で表記する事については、予てから疑問視する聲があつた。
これらの主張は、表音主義者のみならず、正假名遣を用ゐる人の中にも、支持する人が少くなかつた。中野重治や津田左右吉は、人名や地名をかな書きにすべきだと主張し、實踐してゐた。
一方、表音主義者の保科孝一は、「人名や地名のやうな固有名詞の假名書きの問題は國字改革の致命傷になる」と豫言してゐた。
昭和26年、「人名用漢字別表」の建議に際して、固有名詞部会が設けられ、地名について、以下のやうな事柄が問題であるとされた。
- 市町村の統合新設の際の名づけについて
- 地名用漢字表を作るかどうか
- 地名のかな書きの際のかなづかいについて
- たとえば、「大分」のような難読地名について
漢字表については、「当用漢字表」の他に新たな表を作るのは妥當でないとされた。そして、地名の表記は、人名のそれと關聯して處置を考へるべきである、機會を捉へて規制なり改革なりを行ふべきである、とされた。
國語政策の當事者の間では、早くから「地名の表記はかな書きにするしか解決法がない」と云ふ考へ方が支配的になつてゐた。
「公用文作成の要領」(昭和27年4月4日)の「地名の書き表わし方について」で、地名について以下のやうに方針が示された。
- 地名はさしつかえのない限り、かな書きにしてもよい。地名をかな書きにするときは、現地の呼び名を基準とする。ただし、地方的ななまりは改める。
- 地名をかな書きにするときは、現代かなづかいを基準とする。(ふりがなの場合も含む)
- 特にジ・ヂ・ズ・ヅについては、区別の根拠のつけにくいものは、ジ・ズに統一する。
- さしつかえのない限り、当用漢字字体表の字体を用いる。当用漢字表以外の漢字についても、当用漢字字体表の字体に準じた字体を用いてもよい。
昭和28年9月1日、「町村合併促進法」が制定され、地方公共團體の規模の「適正化」が進められる事となつた。その爲、市町村の合併が全國的に増加する事が豫想された。
この機會を捉へて、国語審議会は新しく附けられるべき市町村の名稱の表記について、要望を纏め、建議した。それが「町村の合併によって新しくつけられる地名の書き表わし方について」である。
政府では、こんど全国の市町村の合併を促進されることになったと承っています。
ついては、この機会に、別紙の趣旨をお合みのうえ、合併後の市町村名の書き表わし方が、できるだけわかりやすく、読みちがいの起らないようなものに決定されるよう、適当な処置をとられることを希望いたします。
地名の漢字については、国民生活一般に影響するところが大きいので、当用漢字表選定の際にもいちおう問題となりましたが、法規その他の関係上、その解決は後日に見送られることになって今日に至りました。しかし、すでに当時から七年を経過した現在、当用漢字表制定の趣旨も広く一般に理解されるようになってきました。ちょうどこのとき町村の合併が行われるということは、地名の文字をわかりやすいものにするうえに、またとないよい機会であると思います。よって、ここに建議いたします。
建議の別紙には、難しい漢字が用ゐられてゐる例、難讀漢字が用ゐられてゐる例が掲載され、國語政策の立場から「望ましくない」とされた。そして、かうした地名を用ゐる弊害として、以下のやうなものが擧げられた。
- 学習上、非常な負担となっていること。
- 通信・交通・事務上に手違いを起こさせること。
- ラジオなどで地名を聞いても、理解できないこと。
- 使用度の少ない活字を数多く揃える必要があること。
また、長野縣の「茅野町」が「ちの町」と假名書きにした事、東京都の區の合併に際して「飛鳥区」「春日区」の案が採用されず「北区」「文京区」が採用された事を「好ましい」として評價した。
この建議は所管官廳である地方自治廳に囘付され、地方自治廳は町村合併推進本部の委員に寫しを配布した。その趣旨については、委員会の席上で文部省の擔當官に據つて説明が行はれた。地方自治廳では、都道府縣の地方課長會議において説明が行はれた。
建議の趣旨は、關係方面に汎く傳へられた。しかし、「町村合併促進法」の施行規則の條文には盛込まれなかつた。實施の實状から見て、建議は「要望」のレヴェルに留められたのである。その爲、国語審議会の建議の趣旨を「尊重」しなかつた町があつた。
以下、昭和三十年に町村の合併によつて町制を改めた637の町について。
法律に據る「規制」が行はれなかつた爲、結果として国語審議会の建議の趣旨は徹底しなかつた。一方で、「自主規制」に據り国語審議会の建議の趣旨に沿つた形で地名を改めた例も少くなかつた。和歌山縣の「すさみ町」、滋賀縣の「マキノ町」は假名に據つてゐる。
傳統的な地名に愛着を持つ住民の存在を無視した一方的な建議が、徹底はしなかつたものの、可なりの效力を發揮したのは慥かである。
自治省は「市町村の住居表示が複雜な事は住民の日常生活に大きな支障となつてゐる、として」合理的な住居表示について調査・檢討を行つた。その結果として、昭和37年5年10日に「住居表示に関する法律」が公布・施行された。
- 第五条(町又は字の区域の合理化等)
- 街区方式によって住居を表示しようとする場合において、街区方式によることが不合理な町又は字の区域があるときは、できるだけその区域を合理的なものにするように努めなければならない。この場合において、町又は字の名称をあらたに定めるときは、できるだけ従来の名称に準拠するとともに、読みやすく、かつ、簡明なものにしなければならない。
- 第十二条(委任規定)
- この法律の規定による住居表示の実施について必要な技術的基準は、自治大臣が定める。
……。この法律の施行により、市町村は、新たに区域を定め、その区域内における住居表示の方法を定めることが義務づけられたわけである。
その場合、市町村は、新たな方式によることが不合理な町または字の区域があるときは、できるだけその区域を合理的にすることになった。問題はその場合の町または字の名称であるが、これについては、第五条の中で次のように規定されている。……。
第五條の規定は、「町村の合併によって新しくつけられる地名の書き表わし方について」の趣旨に沿つて定められたものである。
「住居表示に関する法律」では、その實施基準において、用ゐる漢字の字種に關して、制限は行はれなかつた。「街区方式による住居表示の実施基準」では、以下のやうに規定された。
- 従来の町の名称又は当該地域における歴史・伝統・文化の上で由緒のある名称で、親しみ深く語調のよいものを選択すること。
- 当用漢字を用いる等読みやすく簡明なものとすること。
- 同一市町村の区域(特別区の存する区域を含む〕内で、同一の名称又はまぎらわしい類似の名称が生じないようにすること。
- 町の名称として丁目をつける場合においては、その利害得失を十分検討のうえ行なうものとすること。
なお、丁目の数はおおむね四、五丁目程度にとどめることが適当であること。
ここでは、地名を新しく定めたり、變更したりする際の基準が示されてゐるが、戸籍法施行規則と異り、「目安」として「当用漢字」の言及があるだけで、用字の制限は行はれてゐない。
用字の制限は行はれなかつたが、「住居表示」は地名の變更を惹起し、「地名の改革」が行はれる事となつた。
朝日新聞社会部『東京地名考(上)』の「まえがき」に、以下のやうな記述がある。
文中、しばしば「住居表示」という言葉が出てきますので、簡單に触れておきます。昭和三十七年に、「住居表示に関する法律」が施行されました。従来は、住所を示すのに土地に付された地番を流用していたのですが、市街地の街区ごとに順番に各戸に番号をつけることになったのです。これだけなら問題はなかったのでしょうが、町域の再編成や町名の改変をも伴うものだったため、住民の反対運動が各地で起こりました。
愛着ある地名を存続させたいという住民の声を背景に、昭和四十二年に法律の一部改正、同六十年には再改正が行われ、町域の合理化を最小限にとどめ、伝統的地名を継承するという原則が確認されました。しかし、すでに東京でも大幅な町域、町名の再編成が実施されたあとでした。
この本の中にも、過去とのつながりを無視された悲劇の主人公が少なからず登場するのは、そういうわけなのです。
昭和四十九年施行の「住居表示」に反對し、「麻布台三丁目」になるところだつた港區の麻布狸穴町の地名を守つたのは、住民だつた木内信胤氏(國語問題協議會の元會長)であつた。
木内氏は以下のやうに述べた。
歴史は断絶するし、いいことないですよ。幸い、町の大多数の人が支持してくれましたから。でも、我善坊町とか古い町名もつぎつぎ消えて行ったし、勝ったとはいえないと思う……。
昭和36年に「地名・人名のかな書きについて」と云ふ「報告」が国語審議会の第一部会から出された。
今日、世間では、地名・人名をかな書きする向きがふえてきた。
こういう現状にかんがみ、また「公用文作成の要領」(昭和27・4・4 内閣閣甲第十六号依命通知)の4「地名の書き表わし方について」、5「人名の書き表わし方について」にかえりみて、一般に、地名・人名は、さしつかえない限り、かな書きにしてもよいのだ、という見解をはっきりさせることの必要を認める。(以下略)
地名に關しては、字種が多い事、傳統的に難しい漢字や難讀漢字が使はれるケースがある事もあつて、漢字制限で對處する事が不可能である事は判つてゐた。そこで、国語審議会の一部のメンバーから、地名・人名を假名書きに制限すべきであるとする意見が出され、第一部会で審議が行はれた。
この件では、「かな書きを推進する意見」と「漢字書きを推進する意見」とが出され、對立した。
「かな書きを推進する意見」は、「地名・人名に用ゐる漢字の字種が多く、讀み方が複雜である事は、日常生活の障碍であり、事務能率の向上を妨げるものである」と云ふ事が根據であつた。しかし、「かな書き」派の主張は、「かな書きにすると決める」のではなく、「公用文作成の要領」に示されたさしつかえのない限り、かな書きにしてもよい
と云ふ地名・人名についての趣旨を周知徹底し、推奬する事を決めるだけでも良い、と云ふ及び腰の主張であつた。
これに對し、『漢字書きを推進する意見」の立場からは、「地名・人名に用ゐる漢字が不便だと言つても、それは印刷關係だけの問題に過ぎない。全國の村や字の名の正しい讀み方について、全ての人が覺える必要はない。教科書に出て來る地名・人名については、難しいものには振假名を附ければ良い」「各分野で必要に應じてかな書きやローマ字書きをするのは自由であるが、内閣訓令でかな書きを奨励する必要はない」と云ふ批判が出た。
結果として、地名・人名を「かな書きにしてもよい」と云ふ「公用文作成の要領」の規定を、「公用文以外にも適用してもよい」と云ふ見解を取る事になつた。
しかし、今度は「かな書きにしてもよいと云ふ見解を積極的に示すべきである」と云ふ意見と、「かな書きを認めるだけで強い基準を打出す事には贊成出來ない」と云ふ意見とが對立した。
最終的に、「第一部会としては、地名・人名のかな書きを國字問題解決の方法として推進する訣ではない」とする結論に至つた。「報告」は妥協的な文言となつてゐるが、表音主義者の「固有名詞の表音化」の意圖は挫かれたのである。
武部良明『日本語の表記』(角川書店・角川小辞典29)の記述に據つた。