制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
1999-10-21
改訂
2001-06-12

読売新聞を斬る

2002年5月5日附、読売新聞気流欄「4月の読者相談」コーナに、「難しい漢字表記と読み方」と云ふ記事が載つた。

讀者の意見も非道いものだが、読売新聞の囘答もあきれたものなので、紹介する。

1

「事故恐れ診療委縮」(十七日朝刊社会面)医療事故『重篤』387件」(二十三日夕刊一面)。見出しの委縮の読み方に問い合わせが殺到しました。

委縮の読み方と読売は書いてゐるが、以下の文章を見る限り、「同音の文字による書き換え」が混亂を惹起こしたものである。

埼玉の病院から「委縮は草かんむりが付く萎縮が正しいのでは?」と疑問を呈する電話があり、その後同様の意見が相次ぎました。

この意見に對する読売の囘答は以下の通り。

萎は常用漢字表にありません。読売新聞では常用漢字表にない語(音訓を含む)は、言い換えるか書き換えることにしています。従って萎縮は委縮に書き換えていますが、漢字制限の緩和がさらに進めば萎縮も容認されるかもしれません。

漢字制限の緩和が云々は、何とも他力本願の逃げ口上だ。しかし、その直前の文では、読売新聞では云々と、自らの判斷で書き換えと云ふ手段を選んでゐるかのやうに言つてゐる。

2

續いて、「重篤」の讀みについて。

重篤は「じゅうとく」と読みます。危篤の篤です。都内のお年寄りは「孫から何と読むか聞かれて答えられず、悔しいので電話した」と言っていました。

あきれた年寄りで、自分の頭の惡さを棚に上げた「逆切れ」をしてゐるのだが、こんな「読者の意見」にも附合はなければならない新聞社には、或意味同情する。「亀の甲より年の功」と言ふが、讀めない漢字があつたら辭書を引く、と云ふ智慧も持たない年寄りには「馬齢を重ねる」と云ふ言ひ方がぴつたりだ。

しかし、この読売の言ひ方は、どうだらう。

「こんなむずかしい漢字を使うな。使うならルビを振れ」とおしかりの電話も受けましたが、篤の字は常用漢字ですからルビは不要です。

こんな事を言はれても、「難しいものは難しい」と思つてゐる讀者は、納得しないと思ふのだが。「讀者が難しいと言つても、常用漢字表にある漢字は難しい漢字ではないのである」と読売は言ひたいのだらうが、まともな人間がそんな事を言はれて納得出來るものではない。

読売は、「易しいから常用漢字表にある」と考へてゐるのか、「常用漢字表にあるから易しい漢字なのである」と考へてゐるのか。おそらく、この記事を書いた記者も、わかつてゐないのだらう。どちらにしても、常用漢字表を難易の指標として絶對視するのはよろしくないと思ふ。

取敢ず、読売は表記の問題に對して、「官僚的」な頭の固い對應をするのはやめて、もつと柔軟な對應をするやうに心掛けたらどうか。読売は、讀者を馬鹿にしてゐる。

3

今の読売は、讀者よりも常用漢字表を重視してゐるやうに見える。読売には、そんなに常用漢字表が大事なのだらうか。もしさうならば、「讀者にとつて讀み易い表記」を、読売は目指してゐない、と云ふ事になる。

それはそれで結構だが、なぜ読売は、讀者に恩を賣るやうな言ひ方をいつもするのだらうか。なぜ、「讀者にとつて讀み易い表記」のやうな御題目を唱へるのだらうか。

結局のところ、読売はごまかしてゐるのである。そのごまかしは、常用漢字自體のごまかしと、同じものである。本質的に、常用漢字は出たら目なもので、實際に文章を書く際、何の役にも立つてゐない――それを、恰も役に立つてゐるかのやうに言ふから、ごまかしが生ずるのである。


それにしても、常用漢字に義理立てする読売が、常用漢字表の「前書き」にある以下の記述を忘れてゐるのは面白い。

この表は、科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。

読売にとつて、「医療」は各種専門分野に屬するものではないらしい。