制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」2000-09-30
公開
2000-01-03
改訂
2001-03-03

「表外字」の問題

「表外漢字字体表」(試案)の発表

「国語審議会は(1998年6月)24日、常用漢字以外の印刷文字には、伝統的な字体を標準にするといふ『表外漢字字体表』(試案)を発表した」(読売新聞1998年6月26日朝刊 A13版17面「解説」のページ)。

今回の字体表は、1945字の常用漢字以外の『表外漢字』の中でも、使用頻度が高く、ワープロなどで入力すると略字になつてしまふ215字について定めたものだ。このうち38字については、例外的に「簡易慣用字体」(計39字)として略字を認めた。しかし、基本的には明治以来の伝統的な字体「康煕字典体」を基準としてゐる。

今回の字体表がこのままの形で答申されれば……、複雑な字体で書くのが基本となる。

この「表外漢字字体表(試案)」は戦後50年、ひたすら改良の名において国語破壊に邁進してきた国語審議会が、はじめてその方針の誤りを認めた画期的なものであつた。試案では安易な漢字の簡易化、平易化に疑問が表明され、審議会の報告書では「常用漢字表以外の漢字にまで、略体化を及ぼすといふ方針を取ると、結果として、新たな異体字を増やすことになり、印刷文字に大きな混乱を招くことになる。」と述べられてゐる。

マスコミによる「世論」の操作

朝日新聞がさつそくこれに反対した。フジテレビニュースジャパン木村太郎氏はこの試案を「時代錯誤」と決めつけた。読売新聞の記述も、反対を控へ目に表明するものである。

しかも、いづれもこの「試案」の意図を曲解してゐる。この「試案」は印刷字体について定めたものなのだが、読売新聞は「複雑な字体で書くのが基本」といふ(不注意によるものか故意によるものかはわからないが)誤つた註釈を付してゐる。「試案」は「本や雑誌・新聞では正漢字の活字を用ゐなさい」といふことで、手書きに関しては定めてゐない──鉛筆やボールペンで紙の上に書く時には、どのやうに略して書かうとも構はないといふことなのである。

しかしながら、フジテレビ「NEWS JAPAN」の安藤優子アナウンサーもフリップに挙げられたいくつかの普段は使はないやうな字を見て「こんな難しい字、私には書けません」と堂々と述べてゐた。

表外漢字字体表(試案)」の意図

「常用漢字表」は略字を採用してゐるが、それ以外の「表外字」に関してはなんら決りはない。といふより「常用漢字表」の中の漢字でさへ、略し方の基準はあつてなきが如き状態だつたのである。今回の「表外漢字字体表(試案)」はさうした基準なき「表外字」の中で、39字については例外的に「簡易慣用字体」として略字を認めた。しかし基本的には略字の字体の示されてゐない文字は本来の表記を使用するやうにといふ。

審議会の報告書は……、「常用漢字表以外の漢字にまで、略体化を及ぼすといふ方針を取ると、結果として、新たな異体字を増やすことになり、印刷文字に大きな混乱を招くことになる。漢字の使用実態を混乱させないことを最優先に考へた」と説明してゐる。

審議会員の一人、小林一仁・桜美林大教授(国語教育学)は、「今回はまだ、出版・印刷業界の実態調査をもとに国民のみなさんへのたたき台を示したといふ段階に過ぎない。今後も新聞の表記の実態など、さらに材料を広げて引き続き検討を進めていきたい」と話す。

JIS規格を所管する通産省の工業技術院では、「審議会の提言は尊重したい。今後の審議の経緯を見守りながら対応を考へていく」(情報電気企画課)としてゐる。

JIS規格に関しては別項でとりあげる。要するに、観念的な国語審議会及び文部省は、国語表記は「当用(常用)漢字表」の範疇ですべて行はれ「表外字」は存在しないといふ建前を戦後50年間に渡り保持し続けてきた。しかし現実に「表外字」は使用されてゐたから、現実的な工業技術院及び通産省では独自にJIS規格を制定せざるをえなかつたのである。

今になつて国語審議会がこの「試案」を発表したのは、文部省と通産省の縄張り争ひだといふ見方がある。

「表外字の問題」は国語国字問題

「表外字の問題」は国語国字問題とは無関係であるとする立場もある。だが、無関係だといふのならば、これは一体全体、何の問題になるといふのだらうか。「表外字」とは「常用漢字表」の「表外字」なのであり、「表外字」の問題はすなはち「常用漢字」の問題なのである。言換へれば、表外字の問題は国語国字改革の矛盾点が時代の変化によつて自然に明らかになつたものなのである。この「試案」が発表されたといふことはすなはち、常用漢字の前身である当用漢字が制定されたことで印刷文字に混乱が起きてしまつたこと──過去の政策(=国語粗略化運動)が誤りであつたこと──を、政府自らが認めたものである。

実際には彼らが自分自身どんな誤りを犯したのか全く理解してをらず、依然として略字を使用し続ける意図をはつきり表明してゐるのが問題である。略字の使用が印刷文字の混乱を生んだのだから、略字を廃止すべきなのである。とにかく、政府・文部省の意図はなんとか騒ぎを起さずに穏便に事を済ませ、「常用漢字」を保守しようといふのである。

だがこれは正統表記復興を目指す者たちにとつては「またとない好機」である。この好機を逃がして、いつ国語政策の誤りを指摘することができようか。

追記

国語審議会から「表外漢字」1022字の「印刷標準字體」最終試案が出てゐる。讀賣新聞は結果的に二重基準になつてしまつたが……やむを得ない選擇と言へよう、と社説で言つてゐる。二重基準は基準ではないので、それを容認するのはをかしいが、『傳統尊重』を貫いた略字は認められず、定着した常用漢字でさへ『元に戻す』理屈になると一應指摘してゐるのは評價出來る。定着した常用漢字でさへと云ふ決めつけ以外の何物でもない表現を平氣でしてゐる邊りは納得が行かない。