制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2006-01-24
修正
2012-03-28

「わけ」の話

鴎外の用語

正字正假名文庫
森鴎外『鸚鵡石』(序に代ふる対話)

高島俊男の考へ

タイトルは「訳がワケとはワケがわからぬ」(初版第一冊では145ページ)です。

以下、要点だけ書きます。

  1. 「訳」は「やく」、つまりトランスレイトなのに、なぜ「わけ」と訓じるのか。
  2. 三省堂『新明解国語辞典』では、〔「訣」に似ている所から流用された用字〕と説明してある。
  3. 日本語の「わけ」は、ものごとをわけて(分析して)説くこと。「わかる」はその自動形。
  4. 「わけ」にあてる漢字は、「分」、「判」、「別」、「理」などの諸例がある。訣別、永訣の「訣」もわかれの意であるから「わけ」の字にもちいられる。
  5. どうも、「譯」の字は、手書書体の「訳」が「訣」と似ているために誤解(誤植?)されたり混用されたりして「わけ」として使われるようになったらしい。
  6. 「新明解」の山田忠雄がこの混用に怒って文章を書いている(省略しますが、これ山田さんの癇癪ぶりがよく出ていて面白い)。
  7. 森鴎外(いつ見ても「鴎」はイヤですね)が博文館に出した原稿では「わけ」とかな書きしていたものが、校正刷ではみな「譯」になって返ってきて大変立腹した。
  8. 著者再校で、できる部分は「わけ」に戻し、かなにするのが煩わしいところはしょうがないので、「訣」となおしてかえした。
  9. すると博文館はまた「譯」になおして返してきたので、結局出版自体を取りやめた。

高島さんの文章には、このいきさつを書いた森鴎外の小説「鸚鵡石」も引用されています。これも山田さんの文章と同様、ひたいの癇癪筋がみえるような怒りかたで大変面白い。

森鴎外は、「併し僕には翻譯の「譯」の字に、何故「わけ」という義があるか分からない。そこでこんな字はなる丈假名で書きたいのだ」と小説の中の登場人物に喋らせています。

結局、歴史的には「訣」が正しく、明治時代の成りゆきで「譯」が市民権を得たということのようですね。

言海

訣を「わけ」の意味に遣ふ件について、補足しておきます。

手元に在る『言海』の一〇八五頁を見ると、「譯」と出てゐます。此の字引が全て正しいとは申しませんが、此の字引が出版された当時、既に「譯」を「わけ」に遣ふ用法が存在した証左となると思はれます。