制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成十五年四月十六日〜十九日
公開
2013-03-08

鳥肌が立つ

平成十五年四月十六日
Google 検索: 鳥肌がたった
Google 検索: 鳥肌が立った
誤つた意味で使つてゐる人の方が最近は多いやうだ。困つたものだと思ふ。
平成十五年四月十七日

や、一応知識としては、「鳥肌が立つ」という表現は恐怖や嫌悪などネガティブな感情が生じた時に使うのが正しいとされているらしいということは知っていますが、それはなんと言うか「耳にたこができる」「足が棒になる」みたいな慣用句・言い回しとして「鳥肌が立つ」を解釈されてみたいで、ものすごく違和感があるのです。

だってある人が「鳥肌が立つ」と述べる場合というのは、実際に鳥肌が立ったからこそそう述べるんではないでしょうか。ただ言葉通りに、ありのままの事実として! ……と、自分は今まで思っていたのですが、違うのでしょうか。

「事實だから」と言はれたら、何でもかんでも事實なのでせうとしか言ひやうがありません。が、個人的には非常に嫌です。「鳥肌が立つた」が「リアリティのある言葉」「實感のある言葉」であるならば、ますます嫌です。
新用法にリアリティなり實感なりがあつたとしても、言葉の新用法は新用法であるが故に否定されるべきだと私は思ひます。新しい言葉遣ひは、簡單に認めるものではないと思ひます。
「武者ぶるひ」とか、良い言葉があつたと思ふのですが、「鳥肌が立つた」の新しい用法がさう云ふ古くからある言葉を驅逐するのは、私には殘念な事に思はれます。と言ふか、猫も杓子も「鳥肌が立つた」と言ふ風潮は如何なものかと。もつと表現を工夫する餘地があつても良いのではないかと。
NIE-東京新聞「ことば 12/2」:『鳥肌』は感動とは別
月間日本語:そこが知りたい日本語何でも相談:感激しても「鳥肌が立つ」?
平成十五年四月十七日
Google 検索: さぶいぼ
うちの邊では「さぶいぼ」とは言ひません。
平成十五年四月十八日
「鳥肌が立つ」は「急激な寒さ、恐怖等が原因で、立毛筋が反射的に收縮して、皮膚が鳥の毛を毟り取つた後の肌のやうになる事」で「身震ひする事」ではないから、感動して體がふるへるのを「鳥肌が立つ」と言ふのはをかしいと思ふ。
平成十五年四月十八日
昔から、感動した時には「鳥肌が立つ」とは言はないものだ。「鳥肌が立つ」は、昔から不快な事、寒さが原因の時に使ふのが普通だつたから、「感動した時」に使ふのには違和感がある。それが「事實だから」と言はれると、ますます嫌なもののやうに感じられる。體の反應で感動を表現するのは、下品な事だと思ふ。
「さうけ立つ」「ぞつとする」は、何れも「寒さ」「恐怖」が原因。「ぞくぞくする」もさうだが、嬉しさも原因の時にも使ふと辭書には出てゐる。
何より、誰も彼もが、流行語だからと言つて「鳥肌が立つ」と表現するのは、劃一的な事で、詰らない。もつと言葉は工夫して使つたら良からうと思ふのだが、世間では他人が言つてゐる流行り言葉を言はないといけないと思ふ人が多いらしい。
「鳥肌が立つ」を、感動した際の「事實」を客觀的に表現したものと勘違ひしてゐる人が多過ぎる。感動は主觀的な事だと言ふのを、さう云ふ人は忘れてゐる。それを表現する言葉も主觀的なものだと言ふ事は明かだ。
と言ふか、「鳥肌が立つ」の誤用は、どう考へても、他人が言つてゐるのを口眞似したものだらう。さう云ふ安易な言葉の使ひ方には大反對。
平成十五年四月十九日
最近流行の「鳥肌が立つた」は「感動した」の符牒であり、感動を矢鱈と表明するのははしたない事だ。
平成十五年四月十九日

凄い作品を見たときやなんかの首筋にゾクゾク来る感覚は、ホント、どう言い表せばいいのだろう。

既にPiroさん、言表はしてゐるやうに見えますが。
平成十五年四月十九日
最近流行の「鳥肌が立つた」は、誤用であるか、下品な表現であるか、もつと的確な表現がある、と云ふ事だ。