ただ助詞は浮かんでこないので日記なんかに思考結果をダンプしてるとてにおはが欠けて至極読みにくくなってしまう。
「てにをは」と申します。
漢文の訓點で、漢字の四隅・中央・内部などのある箇所に點や符號を加へ、その形や字面上の位置によつて、一定の讀み方を示すやうにしたもの
が「てにをは點」と呼ばれるものです。
そこから轉じて、漢文訓讀の際に書き加へられた語の事を「てにをは」と呼ぶやうになりました。のちに更に轉じて、辭に屬する語一般を「てにをは」と呼ぶやうになりました。歌學では更に意味が擴大され、言葉の前後の承應
或は文中に於る語句の調和統一をも「てにをは」と言ふやうになりました。
定家作と言はれる(僞作)『手爾葉大概抄』、宗祇による『手爾葉大概抄之抄』と云ふ書があります。『手爾葉大概抄』には、詞者如寺社、手爾葉如莊嚴
と云ふ、詞とてにはの違ひを述べてゐる箇所があり、また、係り結びや反語、助詞に關する記述もあつて、文法史上、有名です。
訓讀の際に書き加へられるのは、漢文では存在しない日本語特有の辭(助詞・助動詞)と呼ばれるものです。辭は、詞(用言・體言)の關係を示す語或は話者・筆者の判斷を示す語であります。
「詞」と對立し本質的に次元の異るレヴェルで成立してゐる「てにをは」が存在すると云ふ事が近世までの國語研究で明かになつてきたのでありますが、それが詞と辭の對立・統合關係にあると云ふ「時枝文法」のヒントとなつたとされます。時枝誠記の言語過程説は、詞と辭による具體的觀念と抽象的判斷の統合によつて國語を説明するものと言へます。
「ヲコト點(乎古止點/乎己止點)」では?
乎古止點にもいろいろ種類があるのですが、そのうちの一つ、博士家點のヲコト點圖の四隅の點を、左下から右囘りに讀むと、「弖爾乎波(弖爾遠波)」詰まり「てにをは」となるのでした。
東大寺點を左下から上へ順に讀んで「てには」と言ふこともあるさうです。知らなかった。(以上、參考資料『古語例解』)
どちらの言ひ方もあるやうです。
さらにまた、奈良朝の終わりごろから行なわれてきた、漢文への訓点記入のことがある。その中のヲコト点・テニヲハ点などと呼ばれるものは、漢字の四隅・中央・内部などのある箇所に点や符号を加え、その形や字面上の位置によって、一定の読み方を示すようにしたものである。これらには種類が多いが、中田祝夫は、それらを八群に大別した。これらの「点」の四隅を、左下・上・右上・下と読めば、テヲニハ・ヲニハテ・テニヲハなどとなるものであり、テニヲハの名称もこれから生じたと判断される。テニヲハあるいはテニハは、元来は訓読の際に書き加えられた語をさしていたが、のちにはそうした性質の語一般をさしていうようになった。これが、やがて歌学のほうに取り入れられて、ことばの前後の承応ということもさしていうようになってきたのである。
- てにをは
- だいたいにおいて付属語を中心とする一類の語をいうことば。天仁遠波・天爾遠者・手爾尾葉。氐遡乎波など、いろいろに書かれる。「てには」ともいい、これも天仁波・手爾葉・手似葉・出葉など、いろいろに書かれる。また、「辞」と書いて、「てにをは」と読ませることもある。「てにをは」「てには」の名称は、漢文訓読に由来し、元来は、ヲコト点によって表わされるようないろいろの語をいったものである。したがって、「てにをは」とよばれるものには、今日の文法上の品詞からみると、助詞・助動詞をはじめ、動詞・形容詞の活用語尾、接尾語、一部の副詞・名詞などが含まれる。江戸時代の中ごろ以後は、だいたいにおいて、今日の助詞・助動詞の類をさしていうことが多くなった。ただし、本居宣長などは、係結びや呼応のきまりの意味にも用いている。明治以後は、ふつう、助詞のことをいうようになった。大槻文彦の「広日本文典」などでは、助詞というかわりにこの語を品詞名として用いている。