「堪能」を「たんのう」と讀むのは百姓讀みである、と、時々、解説されます。
が、例によつて『岩波国語辞典第三版』を調べてみると、こんな説明文があつたりします。
その道にすぐれていること。「書に――だ」
満ち足りて十分なこと。「もう――した」
(1)は「かんのう」、(2)は「足んぬ(=満ち足りた)」の転といわれる。
一概に「堪能」を「たんのう」と讀むのは誤、とは言へません。
「かんのう」の讀みで調べて見ると。
深くその道に通じ、すぐれていること。そういう人。たんのう。
と出てゐます。
『講談社日本語大辞典』には、次のやうに出てゐます。
(「たんのう」は慣用読み)専門のわざに練達していること・人。
「足りぬ」の音便「足んぬ」の転。当て字。
満足すること。気が済むこと。
(「かんのう」と混同して)学芸がすぐれたさま、上達するさま。
と云ふ譯で、「日本一の無責任旅行の巻その2」の大戸島さんごの臺詞、
めったに入れない露天風呂だぞ! 恥ずかしがってちゃタンノウできないよォ!!
は、正しいのであります。
が、『究極超人あ〜る』は、鳥坂先輩の臺詞を中心に、出たら目な假名遣が頻出するので、素人にはおすすめ出來ない。