好い加減な事を書くと「つつこみ」が入ると言ふ實例。
- 〜させていただきます
- 自分を卑め過ぎぬやうに。「いたします」「します」で充分。
- 〜していただけますか
- 相手を輕んずべからず。「して下さいますか」「して下さいませんでせうか」
この「敬語篇」に「つつこみ」が。
- いただく
- (二)補助動詞
- 自分のために相手に何かしてもらう意の謙譲表現。『先生に見ていただく』『お考えいただきたい』『お世話いただく』『御心配いただく』
- 相手に願って、自分が何かすることを許してもらう意の謙譲表現。「…させていただく」の形で用いる。『そうさせていただきます』『考えさせていただきます』
敬語が慣用表現となるうちに敬意が薄まり、更に敬意を附したがる。此れを「俗信おみおつけ現象」と呼ぶことにする(解略)。
他は煩雑すぎる感もありますが、取り敢へず「していただく」は敬語として正しいと思ひます。「頂く」は話者の動作です。此の邊は「御」の附け方とも關聯しますが。「御食事を作って差し上げる」は「自分が作ったものに対して『御』を附ける」のではなく「尊敬する相手が受け取るもの」故に「御」を附ける、の類。
因みに『やらさせて頂く』は誤り。『やらせて頂く』。ATOK14 ではパッケージでも謳ってゐるやうに≪さ入れ表現≫と突っ込みが入る。
「轉んでもただでは起きない」と云ふ譯で(?)、「つつこみ」の文章をありがたく引用させていただいた(?)。
以下餘談。
満員電車で、降りようとして「出させて下さい」と「御願ひ」するのはをかしい、と福田恆存さん。自分ではなく、子供や荷物を降ろしたいのなら、「出させて下さい」で良いだらうが、自分が降りたいのなら「出す」ではなくて「出る」事を「させて下さい」と言はなければならない。
中には「だしてくれ!」と悲鳴をあげてゐる人もゐる。とても自分の力では出られないと諦めて、荷物のやうに他人に引張り出して貰ふつもりなのだと言ふかも知れないが、それならわかる。「自分のことは自分でせよ」と教へた戰前の修身教科書を否定した今日にふさはしい變化といへよう。