小学校などのシロウト相撲を見ていると、「見合って見合って、はっけよい、のこった!」という掛け声で取り組みを始めていることが多い。まるで「よーい、どん!」かのようにこれらの科白を使っている。また、取り組みの最中にむやみやたらと「のこった!」と激を飛ばす光景も見られる。
しかし、これらの用法は本来は間違い。
「激を飛ばす」とは言はない。「檄を飛ばす」と言ふ。「檄」の代りに「激」と云ふ字を用ゐるのは間違ひ。
但し、「檄を飛ばす」は、「活を入れる」とか「激勵する」とかの意味ではない。
- 檄
- ふれぶみ。
- めしぶみ。まわしぶみ。昔、役所から人民を呼び集めるために出した木札の文書。
- 皆に知らせるために出す回状や通信。
- 敵の悪い点を書き、味方の正しい点を人に知らせる文書。
「檄を飛ばす」を「野次を飛ばす」の類と混同してゐる人が澤山ゐる。檄は、飽くまで文書、掛け聲や御説教ではない。
參考:「『ゲキトバ』新説」高島俊男(『せがれの凋落 お言葉ですが…(3)』所收)
新聞記者まで間違つてゐるのだから沙汰の限り。「長嶋監督が巨人の選手に檄を飛ばした」と、よく讀賣新聞の記事に書かれてゐる(本當によくある)のですが、大間違ひのこんこんちきです。
シーズン中、長嶋さんがジャイアンツの選手に「檄を飛ばす」事はありません。長嶋さんは常に監督として、選手のそばにゐます。選手の面前でその選手あてに檄を飛ばしても仕方がありません。面と向つて選手を教へ諭したのなら、訓辭とか、激勵したとか、書けばよろしいのです。
例の「檄! 帝國歌撃團」の「檄!」も、どうも勘違ひの産物であるやうな氣がしないでもないのだが、ゲーム或は番組の正しい事をマニアに訴へ知らしめようとしてゐる意圖の下、正しい意味で使はれてゐるのかも知れない。そもそも、繰返し聽いてゐるうちに洗腦された氣がしてくる邊が非常に嫌なのだが(關係ない)。
「檄」に関してはその通りですが、「檄を飛ばす」という慣用表現になると、必ずしも文書でなくてもよいのではないかと思います。「飼い犬に手をかまれる」と言っても実際には相手は犬じゃなかったり、手を噛まれるわけではなかったりするのと同じように。
本当に馬鹿の何とかですみませんが、広辞苑 第五版には
- 檄を飛ばす
- 考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める。また、元気のない者に刺激を与えて活気づける。
とあります。……と思ったら、新明解国語辞典だと、
- げき【檄】
- 〔人を呼び集める主旨をしるした木札の意〕人びとを奮いたたせて、積極的な行動をとるように勧める文書。「―を飛ばす〔=檄を書いて、決起を促したりする。俗に激励の意で用いるのは全くの誤り〕/―文」
だそうで。「全くの誤り」とまで言うか。むむむ。どちらを信用すればよいやら。
広辞苑ってちょっと日和見主義なんじゃないかとか思いました(笑)。
御意。