「合州国」と云ふ言ひ方は、「合衆国」から思ひ附かれたものだ。「合衆国」なる言葉なくして「合州国」なる言葉も存在し得ない。ならば、「合衆国」と云ふ言ひ方が本來のものであり、そこで敢て「合州国」と言ふ必要はない。或は、「合州国」なる言ひ方は、「駄洒落」に過ぎない。
「合州国」なる語を使ふべきだ、と本多勝一は主張してゐるが、彼の主張を我々は信ずる必要はない。
「合衆國」は元々支那の言葉である。今で言ふ「民主」の事を昔、支那では「合衆」と呼んだ。それで民主主義の國アメリカを「アメリカ合衆國」と呼んだのである。
高島氏曰く、「合衆國」が不適當だと主張するのは勝手だが、それならばstatesを「州」と譯すのも不適當だと言へる、stateは憲法や軍隊を持つ立派な國であり、「州」ではない、「アメリカ合衆國」と呼びたくないのならば、「アメリカ聯邦(連邦)」と呼べばよろしい。
よくわが国のジャーナリストとか、アメリカのことを知らない評論家たちは、合衆国のことを合州国と書いて得意になっているが、これは間違いである。
独立直後はたしかに合州国といえる状態であった。その時代をコンフェデレーション(連合)の時代という。要するに一七七六年に独立宣言を行なって、そして一七八七年に憲法が制定されるまでの間である。この時代にはどのステートも同じ権限をもっていたわけであるから、まさに合州国であった。
しかしそのときには、一つの国家としてまとまったようなまとまらないような状態であった。たとえば現在の国連のように、人口に応じて分担金を集めたり、あるいは全体の議会はあったが、元首というものはなかった。大統領はいない、といったような状態であった。
ニューヨーク州からニュージャージー州へ物を運ぶときに、その州の境で関税を取ったり、全く外国扱いであった。そういうことは非常に困るんじゃないかというので、またみんなフィラデルフィアに集まって、一七八七年に連邦憲法をつくったのである。
その憲法の前文は、
我等合衆国の人民はと、ウイー・ザ・ピープル・オブ・ザ・ユナイテッド・ステーツという言葉で始まっている。これこれの目的をもって、アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定する、と書いてある。要するにこの憲法は人民相互間の契約であって、州と州との間の契約ではない。したがってアメリカは合州国ではなく合衆国なのである。
アメリカの憲法に、州相互の契約によるのではなく、人民相互の契約による國家として、ユナイテッド・ステーツ・オヴ・アメリカと云ふ國家は定義されてゐる、だから譯語もアメリカ「合衆国」である、と云ふ説である。