かう云ふ文章があつて、「不要」と「不用」の遣ひ分けはどうなつてゐるのだらうと思つた。
ML に限らず、技術に関する話には虚礼は不用であるはず。
言葉を疑へのコーナの題材としたい、と云ふ當方の意圖を無視した言ひ譯を發言者から頂戴したのだが、當コーナの目的とは全く關係ない文章であるため割愛。
さて、「岩波国語辞典第三版」に、「不要」と「不用」の意味は以下のやうに出てゐる。
- 不用
- 使はないこと。
- 役に立たないこと。
- 不要
- 必要がないこと。いらないこと。
かう云ふ「定義」では、さつぱり區別がつかない。どう云ふ場面でどちらの語を選ぶべきか、の解説がほしいのである。
「不用」は
用がない、役に立たない「不要」は必要がない(ATOK の註釋、及び「国語例解」)。「不用」はやや特殊な用途しかないやうな。
調べてみた。「広辞苑」第五版より。
- ふ‐よう【不用】
- いらないこと。用のないこと。土佐日記「けふ節忌せちみすれば、魚―」。「―な子供服」
- 役に立たないこと。無駄なこと。駄目。無益。枕草子23「さらに―なりけりとて、御草子に夾算さしておほとのごもりぬるも」
- しないでよいこと。無用なこと。今昔物語集28「猛き兵つわものと申せども、車の戦は―に候なり」
- 人に迷惑のかかる乱暴をはたらくこと。不届きなこと。保元物語「弓も普通にこえて、余りに―に候ひしかば、幼少より西国の方へ追ひ下して候が」
- 怠けがちなこと。無精。義経記1「牛若学問のせいよく候とも、里に常にありなんとし候はば、心も―になり、学問をも怠りなんず」。日葡辞書「フヨウヲカマユル」
- ―‐じん【不用仁】
- ―‐もの【不用者】
- ―の用
- ふ‐よう【不要】‥エウ
(明治期の造語) 必要でないこと。いらないこと。「―不急」「会費は―です」「―な買物」
私の場合、「不要」しか使っていない。もしこのサイト内に「不用」があるとすれば、それは変換し忘れ。MS-IME 98 は「不用」が上位に来る、はず。「必要」の対義的な言葉だと思ってた。「不用」は新聞雑誌類の記事ではあまり見かけない気がする。見ると違和感があるし。近年はもっぱら「不要」が用いられてるのでは。
「不要」と「不用」の違いについて。気になるので。
- ふ‐よう【不用】
- いらないこと。用のないこと。土佐「けふ節忌(セチミ)すれば、魚―」
- 役に立たないこと。無駄なこと。駄目。無益。枕二三「さらに―なりけりとて、御草子に夾算さしておほとのごもりぬるも」
- しないでよいこと。無用なこと。今昔二八「猛き兵(ツワモノ)と申せども、車の戦は―に候なり」
- 人に迷惑のかかる乱暴をはたらくこと。不届きなこと。保元「弓も普通にこえて、余りに―に候ひしかば、幼少より西国の方へ追ひ下して候が」
- 怠けがちなこと。無精。義経記一「牛若学問のせいよく候とも、里に常にありなんとし候はば、心も―になり、学問をも怠りなんず」。日葡「フヨウヲカマユル」
- ―の用
- ―‐じん【不用仁】
- ―‐もの【不用者】
- ふ‐よう【不要】‥エウ
- (明治期に造られた語) 必要でないこと。いらないこと。「―不急」「会費は―です」
明治期に造られた語、というのは初耳。しかし、ニュアンスの違いはどうもはっきりしません。「これはもう二度と使わない道具だ」というときは「この道具は不用」、「これは今回の仕事では使わない道具だ」というときは「この道具は不要」、とか。用済みになったものを「不要なもの」とは……はて。
用が済んだものを不用、はじめから必要ないものを不要、というのかな。
我が父曰く、不要は「必要でないこと」、不用は「用いないこと」だそうです。なるほど。
ものはついで、ATOK14がこんな解説を出してくれました。
- 不要
必要でないこと。
「不要な買い物」「不要不急の工事」「礼金不要のマンション」「不要投資」
- 不用
何かが使用されなくなったようす。また、役に立たないようす。
「不用になった品」「不用の建物」「不用品バザー」「予算の不用分」
又々調査依頼が掛つたやうですので、用例を中心にちよいと調べてみました。使分けは可能か、或は使分けるのであればどうすべきか、と云ふ点を考察します。先づは仮名遣から、
- ふよう【不用】
- ふえう【不要】
見ての通り字音仮名遣ですね。不要のはうの「え」は「ヤ行のエ」です。仮名遣から見れば使分けは可能のやうです。
次は用例です。例によつて『日本国語大辞典』小学館から用例を抜出してみませう。
「僕が本箱の中から不用の書籍を一二冊と」徳富蘆花『思出の記』三・一 「兵者詭道也、故能而示之不能、用而示之不用」孫子『始計』 「宰相も、参りにしよしききはてて、ふようになりにければ」『宇津保』あて宮 「さきの承久の廃帝の、生させ給とひとしく坊にゐ給へりしは、いとふようなりし」『増鏡』三・藤衣 「こころもふようになり、学問をも怠りなんず」『義経記』一・牛若鞍馬入の事 「余に不用に候しかば、幼少より西国の方へ追ひ下して候」『保元』上・新院為義を召さるる事 「又不要に帰したる施設は適時之を撤収すること必要なり」『作戦要務令』一・三九一見してみるに、不用のはうは漢文の引用からも判るやうに非常に古くから使用されてをり、用例が豊富だと云ふ事でせう。方や不要のはうは、『作戦要務令』の一件きりです。時代も古く見積つても明治より前には行かないでせう。
「(明治期の造語)」『広辞苑 第五版』岩波書店などと云ふ其のものずばりの解説もある位です。不要と云ふ語が比較的に新しい熟語である事は疑ひやうが無い事実です。一方、不用の場合、其の用例が豊富なだけあつて、色々な意味で使用されてゐる節があります。用ゐない、用無し、役立たず、不都合、怠けてゐる、乱暴者、云々。どれがどの用例に当て嵌るかは各自の判断に任せる事にします。
今時の意味から判断すれば、不用が使用しない事、不要が必要無い事を云ふんでせうが、どちらにせよ要らないと云ふ意味に統合されてしまひ、あまり大差は無ささうです。
結局、以前は【不用】を使つてゐたんだけど、明治の頃から新たに【不要】と云ふ用語が使はれ始めて、現在に至つてゐると云ふ事でせう。違ふ言ひ方で表現すれば【不用】が【不要】に取つて替られたとも云へさうです。どうやら使分けをすると云ふよりは、現在は【不要】のはうを使つてゐたはうが好ましいと云ふ結果になつてしまひました。
報告は此処迄ですが、こんなんで宜しいでせうか。「其れでも使分けが必要であるべき」と云ふ事ならば、もう一度調べ直さないとならないですね。
『新釋漢和』(明治書院)には「不要」「不用」ともに載つてゐません。
- 不
- ず。…せず。…しない。打ち消しの助辞。
- …にあらず。しからず。…でない。
- いなや。…どうか。=否(ひ)
- いな。いや。そうでない。=否(ひ)
- おおきい。=丕(ひ)
- 解字
- 象形。植物の花のがくに花弁のついた形を示す。後に、借りて専ら否定詞として用いる。
- 要
- かなめ。
- たいせつなところ。根本。「枢―」
- だいじな。物事のしめくくり。「―点」
- つまるところ。ようするに。
- かならず。きっと。
- こし。=腰
- しめくくる
- もとめる。(もとむ)ほしいとねがう。「―求」
- まつ。まちぶせする。「―撃」=邀
- いる。必要とする。「―具」
- もし。仮定を表す。
- おどかす。
- ちぎる。約束する。「久―」
- しらべる。「―察」
- 王城から五〇〇里の土地。
- 国訓 かなめ。扇の骨のとじめ。扇眼。
- 解字
- 会意。もと*(背骨)、*(足)、*(両手)をあわせて、腰を両手でおさえる形を示し、「こし」の意を示し、腰の原字。衣服は腰の所でひもでしめるので「かなめ」の意に用いる。
- 用
- もちいる(もちふ)。
- つかう。「使―」
- 行なう。「―事」
- あげもちいる。ききいれる。「採―」
- はたらき。
- ききめ。「効―」
- 作用。
- ついえ。ものいり。「費―」
- 道具。
- もって。…によって。
- 国訓
- よう。仕事。なすべき事。
- 必要。
- 大小便をする。「―便」
- 解字
- 象形。材木を組んだ牧場のさくの形を示し。墉(ヨウ・かきね)の原字。後、字を借りて、「もちいる」意として用いる。部首として用いる。
「要」に「必要」の意味があるのは當然の事として、「用」にも「必要」の意味があるんですね、「不要」と「不用」が混用せられる譯です。
「不用」の方が由緒正しい語で、「不要」は明治以後の「新語」である、と云ふ事のやうです。
VJEの辞書より。
- 不要
必要でない。いらない。
- 入場料不要
- 当面は不要な施設
- 助言は不要だ。
- 不要不急
- =不用
- <>必要
- 不用
使われない
- 不用の品を払い下げる
- 当面不用の土地
- =不要
- <>入用