制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2000-11-26
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國語の成立と破壞の過程

無意識的な體系化

日本語は、世間で使はれてゐるうちに、無意識のうちに體系化されてゐたと推測される。奈良時代には、一貫した體系としての日本語は成立してゐたであらう。日本語の基本原則である詞と辭の區別は當時、不明瞭ながら既に存在してゐた。當時の日本語の基本原則は、無意識的に成立したものなので、容易に變化するものであつた。

海外の文化を積極的に採入れる上で、日本語は外國語を體系に取込む爲の無意識的な「調整」を屡々行つたと思はれる。詞の固定化は語彙の單純な移入に便利であつた。辭の變化は、外國語の語彙を日本語の體系に組込む上で便利であつた。そして日本語はもともと語彙が不足してゐたから、自らの持たない語彙を採入れるのに都合良く進化して行つたに相違ない。

發音の變化も、私見では「調整」の部類に入る。日本語では、p音がf音、そしてh音へと變化してゐる。「ぢ、づ」が「じ、ず」と同音に變化してゐる。一方、日本語には西歐諸語に見られる目立つたアクセントが存在しない。これは最初から存在しなかつたとは言切れない。日本語は發達の過程で、發音を平準化してきた可能性がある。日本語の語彙と移入された語彙の發音を差別なく行ふ事は、一切の語彙を日本語の語彙として扱ふのに都合が良い。これは日本語の特質か、日本語になされた工夫であつたと思ふ。私はこの「工夫」を假に「調整」と云ふ語で呼んでおく。この「調整」は便宜的なものだから、場當り的に行はれたものであらう。結果として日本語は全體として一貫性を缺くやうになつた。

意識的な再構成

日本語に於る混亂とは、日本語の體系が崩壞すると云ふ事にほかならない。これは、一貫したシステムが成立した以後になされた「調整」が、場當り的であつた事實によるものである。契冲等が行つた作業は、日本語が最初に成立させた體系を再現する事、そして、「調整」を最初の體系に基いて意識的にやり直す事であつた。契冲の「歴史的假名遣」は、國語の體系的な再構成であり、すぐれて近代的な行爲であつた。

明治政府が「歴史的假名遣」を「公認」したのは、「歴史的假名遣」が日本の近代化の一貫として認められるものだつたからである。明治政府の使命は前近代的な日本を近代日本へと變身させる事であつた。明治政府の下で推進された近代化は、無意識的な社會のシステムを意識的に再構成する事であつた。國語が明治政府の「でつち上げ」であるならば、廢藩置縣や藩籍奉還もまた「でつち上げ」である。日本の近代化は日本の宿命であるから、「意識的な再構成」を否定的に「でつち上げ」と呼ぶのは不當である。或は、近代化とは無意識的な體系の意識的な再構成である。

言語の近代化を否定する「現代かなづかい」「占領漢字」

契冲以來、日本語の意識的な體系化・再構成は國語学者によつて進められてきた。山田孝雄や橋本進吉らは、日本語獨自の體系を認識し、洗練させようと努力してゐた。しかし、日本が西歐の文明を移入する都合上、再び日本語の便宜的再調整を望む聲が高まつた。これが所謂表音主義である。表音主義の本質は、日本語自身の近代化を否定し、言語の近代化拔きで、日本社會の近代化を實現する事であつた。

近代化が無意識的な社會のシステムを意識的に再構成する作業である以上、社會のシステムを明確に意識・認識する事は絶對に必要な事である。そして、人間が事物を意識或は認識するとは、事物を言葉で正確に記述する事にほかならない。ならば、社會の近代化には前提條件として言語の近代化が必須である。ところが日本人は、日本の近代化を前近代的な手法で實現しようと考へたのである。

言はば、眞の意味での近代化に「封建主義」のレッテルを貼り、前近代的である自らのやり方に「進歩主義」のレッテルを貼る事で、日本人は遲々として進まない近代化を、恰も進んでゐるかのやうに見せかけたのである。その「見せかける」事の對象が自分自身であつたところに、日本の「進歩主義者」の救はれないゆゑんがある。

日本の近代化の歴史は、進歩主義を標榜する封建勢力と、封建主義に擬せられた近代人とのせめぎ合ひの歴史であつたと言へよう。不幸な事に、近代化の最先端を行くのは常に軍隊である。その日本の軍隊がアメリカの軍隊に負けた事は、日本人は自助努力で近代化を行ふ意思を抛棄するきつかけとなつた。敗戰の翌年、昭和21年に、表音主義をベースに制定された「現代かなづかい」「當用漢字」が制定されてゐる。