制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2002-01-08

「ややこしい日本語の規則」と云ふ嘘

「複雜系」と云ふ言葉が數年前にはやりました。本來單純明快な規則に從ふものも、幾つか組合さると元の規則のわからないくらゐ「出たら目」な結果を生む、と云ふのが所謂「複雜系」の「理論」です。いまさら、取り立てて言はなければならないほど、大した理論でもなかつた筈ですが、そんな「複雜系」がはやつたのだから、いつの間にか、單純な話に我々は慣れ切つてゐたのでせう。

日本語に於る書き言葉は、漢字の表記と、假名遣の二つによつて成立つてゐます。それぞれに、整然とした規則・體系が存在します。

しかし、漢字と假名と、二つがあるがゆゑに、日本語の表記は「複雜」で「怪奇」なものに見えるやうになつてゐます。そこにつけ込む「理論家」が從來、非常に多かつた。もちろん、その「理論家」は、實際のところ、何もわかつてはゐなかつたのです。彼らは、單に「複雜だから」と云ふだけの理由で、國語の表記をやつつけてゐたのですから。

どこへ行つても、「假名遣の問題」と言へば「てふてふ」と云ふ語が持出されます。しかし「てふてふ」は「蝶々」の字音であり、その問題は本質的に「漢字の問題」に屬します。ところが、「國語は難しい」と主張する人々は、この違ひを全く氣にしません。