制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2002-02-13
改訂
2005-04-23

歴史的假名遣は作られたものか

「国語は明治政府によつて作られたものだ」と言つて、「国語」と云ふ用語を使ふ人間を非難する人がゐます。

「国語」と云ふ概念はイデオロギー的なものだ、と云ふ意見も、大流行してゐます。しかしながら、「国語」をイデオロギー的に眺める自分の態度を疑ふのが先決でせう。イデオロギーを信ずるのは勝手ですが、イデオロギーで判斷する前にすべき事があるのではないですか。

一概に「国語」と言つてしまつて、大雜把に物事を極附ける態度は、感心出來ません。個別の事物については、それぞれ精密に檢討を行ふ必要があります。さうすると、國語と言つても、それに含まれる事物・概念が一概に論じられるものでない事が判ります。

「国語は明治政府に作られたものなのだから、歴史的假名遣も明治政府に作られたものなのに決つてゐる」と云ふ「理論」が屡々主張されてゐます。この「理論」は、「国語」の概念に含まれる事物を一概に論じてしまつたもので、をかしなものです。しかし、案外多くの人がさう云ふ「理論」を信じてゐます。以下、この「理論」を檢討して見ます。

先づ結論だけ申し上げておきますと――假名遣は、創作し得ない體系的な表記の規則であり、明治政府によつて作られたものではあり得ません。そして、歴史的な事實として、既存の歴史的假名遣を明治政府は採用してゐます。

標準語は作られた物

「富國強兵政策を推進する明治政府は、日本人の精神的な結合を意圖して標準語を策定し、歴史的假名遣を標準の表記として採用した」とは、良く言はれる事です。そして、「明治政府は標準語を押附け、方言を壓殺しようとした」と言つて、「国語」に反對する人は「国語」を非難します。

話し言葉の標準としての標準語

ここで、標準語を憎む人々が歴史的假名遣をも憎んでしまふのは、どうも論理的とは言へない行動であるやうに思はれますが、良くある事です。坊主が憎いので、坊主の着てゐる袈裟まで憎んでしまふ、と云ふ喩へがありますけれども、それと似てゐます。

標準語は話言葉の標準として策定されたものです。一方で、歴史的假名遣は江戸時代の研究に基いて書き言葉の標準として採用されたものです。

標準語に關しては、明治政府の創作性を云々する事は、データベースのデータ排列を云々するのと同じ程度に、可能でせう。しかし、歴史的假名遣をもまた明治政府の創作であると言ふのは、もしそんな事を眞面目に言ふ人がゐたら、言過ぎであると評價すべきでせう。

しかし、「作られた国語」「国語という思想」と云ふ觀念に基いて、標準語とセットで歴史的假名遣を非難する人が、言語學を專門にしてゐる人の中にも多くゐます。もつとも、さう云ふ人は、言語を研究してゐると言ふよりも、言語を出しに自分の政治的信念を語つてゐると言つた方が良いやうに思はれます。

語彙における改革としての標準語

「お母さん」なる語が明治政府によつて標準語として選ばれた語であると云ふのは、有名な話です。しかし、helloがトーマス・エディソンによつて作られた語である、と言ふのと、「お母さん」が明治政府によつて「作られた」語である、と言ふのでは、大違ひであるやうに私には思はれます。

「国語は明治政府の創作」と言つても、明治政府が一から国語を作り上げた譯ではありません。中立な人工言語を目指して創作されたエスペラントですら、ヨーロッパ語由來の語彙を含んでゐます。明治政府が作つた「国語」と呼ばれるものも、當然明治以前の日本語の語彙を含んでゐます。

ただ、多くの語の中から特定の語を選擇し、それに「標準語」のレッテルを貼る、と云ふ作業は、データベースを作成するのと同樣に、創作性はあると言へなくもないでせう。

歴史的假名遣は創作出來ない物

その一方で、明治政府は、日本語を書表す方法として、歴史的假名遣を採用しました。

表記の標準として採用された歴史的假名遣

假名遣とは、日本語を表記する際のルールです。しかし、そのルールを定めるには、根據が必要となります。「現代假名遣い」は、現代の日本人が感覺する音韻をだいたいの基準にして定められた、現代の日本語を表記するルールです。一方で、過去の日本人が用ゐてきた表記法を參考に定められたのが歴史的假名遣です。

ここで申し上げておきますが、極めて多くの日本人に、半ば意圖的に誤解されてゐるのですけれども、語彙と假名遣とは間接的な關係しかありません。

所謂「標準語」は、或特定の語を選んで、それに明治政府が「標準語」と名附けたものです。しかし、歴史的假名遣は、既存の語に共通する表記の原則を抽出したものです。

標準語は、明治政府によつて選擇された具體的な語彙のセットです。一方、歴史的假名遣は、既存の日本語に共通する規則・原理であり、抽象的な概念です。

表記の體系は創作し得ない抽象的な概念である事

具體的な語彙は、政府によつて選擇可能ですし、選擇の仕方は意圖的であり得ます。その意味で、標準語が明治政府の創作的なものであるとは言へます。

しかし、既存の日本語から抽出された結果としての、抽象的な概念である歴史的假名遣は、改めて明治政府が創作し得るものではありません。

「言はない」「思ふ」といつた個々の語は具體的な物です。けれども、そこから抽出された「は行四段活用」の概念、「未然形」「連用形」のやうな活用形の概念は抽象的なものです。さう云ふ抽象的な概念を對象にして、「その場合には斯う書く」と云ふ決りが定められてゐます。その決りが假名遣です。

歴史的に假名遣の概念が成立してゐた事

實のところ、平安時代末には既に、表記の規則が意識されてゐたと考へられてゐます。意識されてゐたのみならず、定家や契冲と云つた人々によつて、歴史的假名遣の概念は、明確で體系的な規則として、江戸時代迄に記述されてゐました。ですから、歴史的假名遣が明治政府の創作である筈がありません。明治政府は單に既存の歴史的假名遣を採用しただけです。

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