言語を用ゐた思考の生成には依據する規則があり、その規則を文法と呼びます。文法は言語によつて異ります。
人は思考を形成する際、概念を記號的に置換へた單語を、或種の方法で結合し、一聯の文章を生成します。この、語の結合の仕方は、言語によつて違ひがあります。日本語に於いて、語と語とを結合する仕方は、「てにをは=辭」によつて語を膠着させる、と云ふものです。言換へると、日本語に於て文法の機能は「てにをは」に據つて實現されてゐます。
文法の機能を擔ふ「辭」は、古い日本語では未發達でした。上代の日本語で、主格を表はす助詞「が」は「なかつた」とされます。その他の助詞も、古典の文章で屡々「ない」事に、讀者は氣附いた事があるでせう。「花咲く」「鳥鳴く」のやうな表現は、古典では普通にあります(現在でも決して不自然な表現とは言へません)。極端な表現かも知れませんが、「膠着語として日本語が整備されたのはそんなに古い事ではない」と言つても良いでせう。
しかし、日本に支那から漢字が導入されたのに伴ひ、日本人は複雜な觀念とそれを表現する文字とを獲得しました。日本人の間には、觀念語を漢字で表現する習慣が定着しました。ところが、日本人は漢文を支那の發音で讀む許りでなく、訓讀と云ふ方法を發明しました。
漢文訓讀では、漢字で構成された文字列に、返り點と共に「てにをは」を附します。この時、事實上の「漢字假名交じり文」が成立したと言ふ事が出來ます。
漢字の使用に伴ひ、日本人は多くの觀念を持つやうになりました。そして、漢字で表現された觀念語をそのまゝ使用しながら、それに「てにをは」を附けて「日本語」の文章にしてしまふ、と云ふ事を日本人はやつてのけました。かうした「外國語の讀み方」は、世界的に見ても珍しい事態であるさうです。漢文は、主に男性が用ゐました。また、學問をやる寺院の僧侶も用ゐました。漢文訓讀は寺院で發達したもののやうです。
一方で、和歌の發達は源氏物語のやうな物語文學の出現に繋がつてゐます。歌や女流文學では、主に和語を用ゐました。
以上の事は奈良時代から平安時代にかけての事です。鎌倉幕府が成立し、貴族の時代が終つて武家の時代が來ると、女流文學の和文體と、男性や學僧の間で用ゐられた漢文とが合流し、雄渾な和漢混淆文體が成立しました。保元・平治物語や平家物語のやうな軍記物で使はれた文體です。茲では和語も漢語も取混ぜて用ゐられてゐます。
この間、「てにをは」も發達を遂げました。と言ふより、「てにをは」の發達が、和文體と漢文體との合流を實現した、と言つて良いでせう。
その後、明治時代に再び日本語は大きな變化を經驗しました。その際、西歐から流入した新概念を飜譯語として採入れる作業が行はれてゐます。我々はその新語の創出だけを重視しがちです。しかし、新概念を組合せて思想を形成する事が出來なければ、思想を受容れた、と云ふ事にはなりません。我々の御先祖樣は、既に明治時代、新語を組合せて意味のある思想を形成出來るだけの、文法を持つてゐました。既に明治の時點で、「てにをは」が相當の發達を遂げてゐたのです。
けれども、既存の「てにをは」の組織では、當時の口語とは必ずしも合致しません。その爲、言文一致の運動が行はれ、その過程で、新たな文體として、新たな「てにをは」の體系が成立してゐます――と言ふより、口語に存在したものが再編されて、文章語で使用されるやうになりました。
かうして、現在見る事の出來るのやうな、複雜な「てにをは=辭」の體系が成立した訣です。
この間、音韻・發音の變化で、例へば「は」「へ」「を」が「ワ」「エ」「オ」の音に變化してゐます。しかし、表記は元の「は」「へ」「を」と云ふ形を保存してゐます。歐米諸語と違つて、日本語においては、書き言葉が、話し言葉の影として存在したのでなく、話し言葉と相對的に獨立して存在し、或意味、話し言葉をも支配してゐた爲です。日本語に導入された概念語は、漢字の形で――書き言葉として――流入し、定着しました。そして、「てにをは」が認識され、意識されて用ゐられたのは漢文訓讀に際しての事です。
特に、文法の機能を擔ふ語として、「てにをは=辭」の類の語は原型を留める必然性があつた、と筆者(野嵜)は考へます。筆者は以下のやうに考へます。
語順によつて文法の機能が實現される(所謂)孤立語(としての性質が強い語)では、記號として語を扱つてもそれほど文法には影響しません。しかし、膠着語である日本語では、文法の機能を擔ふ「てにをは」を弄ると、即座に文法に影響を與へます。
「現代仮名遣」では「は」「へ」「を」に限つて原形を留めてます。しかし、辭一般――助詞・助動詞・用言の活用語尾は全て、原型を留めた表記であるべきである、と筆者は考へます。最低限「てにをは」の類の語は、假名遣が出現しても、歴史的假名遣を保存するのが望ましい。
もちろん、辭であつても、變化は起ります。實際、日本語の辭は、極めて激しく變化してゐます。「は」「へ」「を」等の助詞は比較的變化の少い方で、それで語意識が強く働き、「現代仮名遣」でも保存されてゐる、と言へます。けれども、激しく變化したとは言へ、多くの助詞・助動詞が過去の變化の過程を表記の上に留めてゐました。特に「は」「へ」「を」だけを特別扱ひして、その他の辭を表音化する、と云ふのは、何うも一貫性が無い方法であるやうに思はれます。