正字正かな派のサイトで正字正かな派の人間は、正字正かなの文章を書く際、原文で畧字畧かなの文章を屡々引用する。その時、畧字畧かなの文章を正字正かなに改めて引用する事がある。
この行爲が、畧字畧かなを使つて文章を書いた人間は許せないのださうである。彼等はこの行爲を「引用ではない、改竄だ」と決めつけ、「このやうな行爲は人間として許されない」と言つて非難する。
この件に關して、過去から現在に至るまで、何度となく論爭があつたが、決着がつかない。
決着がつく譯はない。これは「宗教論爭」である。「畧字畧かな派」が「假名遣の變更は改竄であり、さう云ふ事をする奴は人間ではない」と信じてゐるのならば、正字正かな派は「畧字畧かなで書く奴は人間ではない」と信じてゐる。
畧字畧かな派が單に教育によつて教へ込まれただけの假名遣を墨守してゐるだけであるのに對して、正字正かな派は進んで正字正かなと云ふ表記を選びとつた、と云ふ違ひはあるが、どちらも「正しい表記」を「信仰」してゐるのであり、その「信仰」に基いて「異教徒」を叩いてゐるのであり、互ひに互ひを人間と見てゐないのである。
人間と、人間以外のものとの間に「話し合ひ」は成立しない。
では、いざ「裁判だ」と云ふ事になつたら、畧字畧かな派はどうするだらうか。畧字畧かな派は、純粹に假名遣或は表記の問題を爭はうとはすまい。なぜか。そんな眞似をしたら、裁判に負けるからである。なぜ負けるか。表記の變更は、法律の條文をもとに正當化されるからである。
文章の引用に關する法律は、著作權法である。「第2章 著作者の権利 第1節 著作物 第10条第1項」を見れば、正字正かなであらうが畧字畧かなであらうが、表記に關りなく、文章は著作物である。
- 第10条 (著作物の例示)
この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。
- 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
- 音楽の著作物
- 舞踊又は無言劇の著作物
- 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
- 建築の著作物
- 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
- 映画の著作物
- 写真の著作物
- プログラムの著作物
2 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第1号に掲げる著作物に該当しない。
3 第1項第9号に掲げる著作物に対するこの法律による保護は、その著作物を作成するために用いるプログラム言語、規約及び解法に及ばない。この場合において、これらの用語の意義は、次の各号に定めるところによる。
- プログラム言語 プログラムを表現する手段としての文字その他の記号及びその体系をいう。
- 規約 特定のプログラムにおける前号のプログラム言語の用法についての特別の約束をいう。
- 解法 プログラムにおける電子計算機に対する指令の組合せの方法をいう。
畧字畧かな派の人間がいかに嘲笑はうとも、ウェブサイトで公開されてゐる正字正かなの文章は法律で保護される著作物である。閑話休題。
引用に關しては以下の規定がある。
- 第32条 (引用)
公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国又は地方公共団体の機関が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。
畧字畧かな派は「假名遣を改めるのは慣行に合致
しないから引用ではない」と主張するかも知れない。しかし、「假名遣を改めてはならない」と云ふのが公正な慣行に合致するものであ
ると言へるか。「慣行」と「公正な慣行」とは異る。もし裁判で爭はれるならば、畧字畧かな派は、「假名遣を改めてはならない」が慣行として公正である事を立證しなければならない。
次いで、變更されたくない、と云ふのであるから、「畧字畧かな派」は同一性保持權
を主張してゐる事になる。
- 第20条 (同一性保持権)
著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
2 前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。
- 第33条第1項(同条第4項において準用する場合を含む。)又は第34条第1項の規定により著作物を利用する場合における用字又は用語の変更その他の改変で、学校教育の目的上やむを得ないと認められるもの
- 建築物の増築、改築、修繕又は模様替えによる改変
- 特定の電子計算機においては利用し得ないプログラムの著作物を当該電子計算機において利用し得るようにするため、又はプログラムの著作物を電子計算機においてより効果的に利用し得るようにするために必要な改変
- 前3号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変
畧字畧かな派の筆者Aが畧字畧かなを目的をもつて選擇して記述した文章を、正字正かな派の筆者Bが引用時に目的もなく變更したのならば、それは問題であらう。しかし、筆者Aが意味もなく漫然と畧字畧かなに從つて記述した文章の假名遣を、筆者Bが引用時に一貫して正字正かなの文章を書きたいと云ふ意圖をもつて變更したのならば、それは著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし
、と云ふ條文に基き、法的に正當だと言へる。
この「假名遣を變更してゐるが正當な引用」に關する圖を參照して貰へばわかる通り、多くの畧字畧かな派の人間の注目してゐる部分と、私の注目してゐる部分は異る。
畧字畧かな派の人間は、「一般に假名遣の變更は許されない」と主張してゐる。それは誤りだ。「或種の假名遣の變更は許されない」だけで、「或種の假名遣の變更は許される」のである。
私は自分の引用が「假名遣を變更してゐるが正當な引用」に含まれる、と主張してゐるだけである。或は、引用の仕方によつて、畧字畧かなの原文を正字正かなに改めて引用する事は、法的に正當なものとなり得る、と主張してゐるだけである。
なほ、引用は一般に「無斷で行へる」と解釋される。表記の變更を行つた法的に正當な引用は、無斷で行へる。その場合、畧字畧かなで原文を書いた筆者が文句をつける事は出來ない。
また、表記の變更に正字正かな派の「傲り」を見出したとしても、それを根據に非難する事も、法的には不適切である。誹謗・中傷・侮辱と言つて訴へる事も出來ない。價値觀に基いてゐても、公正であるならば、その批評には「批評權」がある。