制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2005-06-28

歴史的假名遣で尊重すべき事

覺書

歴史的假名遣は、日本人の御先祖樣が永らく用ゐて來た日本語の表記です。我々は、御先祖樣の流儀を守つて行くべきでせう。

もちろん、「御先祖樣の流儀を墨守せよ」とは申しません。しかし、御先祖樣が國語を發展させて來た事實は認めるべきでせう。そして、國語の歴史を守る事が大事であると主張します。「歴史を守る」とは、現在を過去の歴史の延長たらしめ續ける事です。

固定的な觀念としての「歴史的假名遣」なるものは、實は存在しません。だからこそ、我々の多くは、規範として定められた「現代仮名遣」を、「確實なもの」と看做して、安心して寄掛かつてゐられます。しかし、その「現代仮名遣」ですら、もともとは過渡的なものとして「變化して行くもの」として、一時的に定められたものに過ぎませんでした。實際のところ、昭和二十年代以來、「新しい仮名遣い」は全く變化してゐません。けれども、言葉は本來、變化して行く筈のものです。

歴史的假名遣も、長い歴史の間に、隨分變化しました。ですから、「これが歴史的假名遣だ!」と言切れる實態は存在しません。

けれども、歴史の中で、日本語は或一定の方向に發展を續けてきました。表記もまた、或種の原理の下で、發展して來ました。さうした發展は、「現代かなづかい」が制定された時、斷絶したのですが、本來は斷絶ナシに發展させて行くべきものでした。

歴史上成立したものは、それなりの合理性を持ちます。歴史的假名遣にも、ちやんと合理性があります。歴史的假名遣の原理は――歴史的假名遣が歴史の中で形成される過程で徐々にはつきりしてきた合理性ですが――「現代仮名遣」に、極纔かな一部しか、引繼がれてゐません。「現代仮名遣」は、表記の原理を歴史的假名遣と異にします。

歴史の中で發生し、育つて來た日本語の表記の原理――これを意識的に整理し、體系化する事が、國字改革を行ふのならば當然、必要な事でした。ところが、實際には、ただの便宜主義で國字改革は行はれてしまひました。「現代仮名遣」は大變不合理な代物です。

「國語國字問題解説」では、「現代仮名遣」の非合理性を指摘するのみならず、歴史的假名遣の持つ性質を明かにし、合理的に再構成してみたいと思ひます。

附記

今後、歴史的假名遣が一般化し、「現代仮名遣」を押しのけて本來の地位に就く、と云つた事は、日本が何處かの親切な國に征服されでもしない限り、あり得ないでせう。しかし、だからと言つて、意見を述べて惡いと云ふ事はないと思ひます。

別に「正字正かな主義者」としての自負も矜持もありませんし、エリート意識もありません。話は逆で、「多くの日本人に認められている現代仮名遣いの権威」みたいなものに倚り掛かつた多くの人々が居丈高な態度で正かな派の人間を非難(と言ふより嘲笑や罵倒)してゐる、と云つた事の方がずつと多いのです。

「不當に貶められてゐる歴史的假名遣」を擁護し、その「名譽」を恢復したい、と云ふのが當方の意圖であると考へていただければ幸ひです。