制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成二十二年三月十一日
公開
2010-06-23

明治政府が作つた平假名

私も不勉強なもので、今まで假名文字の成立事情については調べもせず、よく考へもしないでゐたのだけれども、平假名と云ふもの、これも歴史的假名遣と同じく「明治政府の創作」なんださうですね。

日本人は支那から漢字や漢文を學びましたが、日本語獨自の表記は持つてをりませんでした。奈良時代に、漢字の音を借りて日本語の音韻を書表すやり方が發明されて、萬葉集で知られた爲にこれを「萬葉假名」と申します。この萬葉假名、實は奈良時代だけの書き方ではありません。草書で書かれるやうになりますが、江戸時代及び明治時代初まで、日本語の假名の表記はずつと萬葉假名です。明治政府が教育の爲に複數の書き方の中から一つの文字を選び、これを「平假名」として定めます。その時切捨てられたのが「變體假名」です。ですから、「平假名」は歴史的假名遣と同樣、「新しい」ものであるのです。

「明治政府が創作した歴史的假名遣」を「認められない」と言ふ人がゐましたけれども、さう云ふ人にとつては平假名もまた「認められない」ものである筈です。「歴史的假名遣」以前の「自由な假名遣」ならば「認める」と云ふ人は、かな文字も萬葉假名に戻したら如何でせう。もし歴史的假名遣だけを惡く言ふとしたら、その人はただ、歴史的假名遣(とその「信奉者」)に嫌がらせをしたいだけで、本氣で「明治政府の創作」なる事に怒つてゐるのではないのです。

漢字・漢文の修得に伴い、日本語表記の方法も進み、かな文字の進歩と同時に、音訓併用による日本語表記もはじめられました。

例えば、「開中費直人」「今州里」などの用法が残されています。

飛鳥時代から白鳳時代にかけて、多くの金石文が残されています。これら六世紀末から七世紀にかけての金石文の多くは、、造像記でありますが、そこには一字一音の固有名詞が多く、法隆寺金堂薬師如来像光背銘では、漢文の語順を無視して、漢字による日本語表記も生みだされています。

その後、群馬県山ノ上の碑、『古事記』や宣命などと、我々の祖先が苦心を重ね、日本語の表記方法を発展させ、ついに八世紀後半の『万葉集』編纂において、一字一音の方法を一段と進め、音訓併用による日本語表記の方法を完成しました。

『万葉集』は、一字一音のかなと訓で、完全に日本語の表記に成功したのでありますが、一字一音のかなは、同一文字を連続して使用しておりません。例えば、「い」は、「以・伊・夷・移」、「ろ」は「呂・路・露・楼」、「は」は「波・八・半・葉・羽」のように、一文字について種類が多くあります。これらのかなを、後世万葉仮名と呼ぶようになりました。

奈良時代は、万葉仮名を楷書・行書の二体で書くのが普通でありました。公的な記録は男性の仕事で、漢文で書くのが建前であり、日常的・私的なことは、女性の世界で、万葉仮名で書いたと思われます。

生活は簡便を尊ぶのが自然で、日常的なことや私的な方面では、万葉仮名の草体化が進んでいたことでしょう。そのことは、正倉院に残されている半草体化したかなの存在によってもわかります。

奈良時代の「万葉仮名」といいましても、藤原時代の「かな」のような、和様体の優美な姿はしておらず奈良時代使用されていた、王羲之風の漢字の姿そのままで、漢字の音を借りて、かなとして使用していたので、書の姿は漢字と変りがなかったと思います。

漢字・漢文用に使用されている楷書体、行書体、草書体の文字を真名と呼び、日本語表記に使用されている楷書体、行書体の文字、および草書体が略体化され、ついには草書体の元の姿を想像することができないくらい簡略化された文字をかな(仮名)と呼びます。

かなには、前にも述べたように、「あ」に「安」「阿」「悪」、「さ」には「左」「散」「斜」「沙」「乍」のように、同音の文字に数文字があてられていました。多いものは三十数字の字があてられた例があります。奈良時代からかなの略体化がはかられ、反草体化したかな文書が正倉院に残されています。

おそらく、漢字漢文から門戸を閉ざされ草書の原字を知らない女性や、大学に行けない男性によって、原字に拘泥することなく自由奔放に書き崩していった結果、日本独自の女手(かな)を作り上げたと思われます。

女性は身分が高くなればなるほど、御簾や几帳の奧深く閉じこめられて生活していましたので、身内の者以外に姿を見せることがない女性が、男性との交際にも、用を弁ずるにも、和歌と消息文によるほか方法はありません。

このように女性が日常生活において、和歌や消息文を書くうちに、書き崩していったのが女手(かな)です。

明治三十三年、小学校令が改正された時、前述のように万葉仮名は一字について数文字の文字が書けるようにあてられていましたのを、「いろはにほへ……」と四七文字を学校教育で取り上げることになりました(ひらがな)。その他は変体仮名として学校教育では取り上げないことになりました。

現在では「いろは」四七文字以外の変体仮名と称する文字は、美的表現のため、書芸術の世界でのみ使用されています。

私は「明治以來の近代化政策はそのまゝ繼續すべきだ」と云ふ立場ですので、「明治政府の創作」である歴史的假名遣も認めれば、「明治政府の創作」である平假名も認めます。