現代の日本で、漢字は「詰み」の状態だと俺は思つてゐる。現在の文字コードの状態は一言で要約できる――ぐだぐだ。
所謂第一水準漢字・第二水準漢字なんか、最う正漢字の主張も糞もない出たら目な代物で、使ひ物にならないから、話にもならない。「正しい漢字を使へ」なんて言つても、何うしやうもない。
なんでこんなバカな状況になつてゐるかと言ふと、技術の事がわからない文系の學者が漢字制限なんてものを考へて、適當に字劃を省略したり、出たら目に漢字を統合したりしたからだ。それを、理系の人が、仕方なく、鵜呑みにしてしまつた。
昔から表音主義を支持してゐる國民は非常に少いのに、專門家だと云ふ事で大量の表音主義者が國語政策の現場に這入り込んで、國語をいぢくりまはしてしまつた。本當に少數の人間の好みに基いて日本では表記が變更されてしまつた。
漢字の事はぐだぐだ過ぎて今さら考へても始まらない。だから俺は考へない。暇な人はたんと考へるが良からう。
ウェブなんかでは問題が發生するので漢字をさうさう自由には使へない。それは事實。だから俺は、漢字に關しては妥協するのも仕方がないよ、と言つてゐて――しかしそれは漢字に關しては、だ、と註釋するのも忘れない。かなづかひに關しては妥協する必要が全く無い。
ひらがなは、あいうえおから順に、一往全部揃つてゐて、「使へる」状況になつてゐる。だから、歴史的かなづかひの使用をためらふ理由は、少くとも技術的には存在しない。
一方、ユニコードや字體のセレクタだか何だか(よく知らない)まで考へれば、力づくで正漢字を使ふのは十分可能な状態になつてゐる。「舊漢字は使うべきでない」なんて斷定すべき理窟は成立たない。今のPCは力づくで漢字を使ひまくる事が十分可能なパワーを持つてゐる。文字コードがぐだぐだだらうが何だらうが力で押せば何とかなる。それは確かだ。單に、實際やると「面倒臭い」つてだけ。
漢字の字數も字體も、今の時代、そんなに問題にする必要がない。今のコンピュータは大層頭が良い。DTPソフトウェアもよく出來てゐて、素人でも「正かなづかひ 理論と實踐」を正漢字正かなづかひで組む事が出來るやうになつてゐる。