「書き言葉」と「話し言葉」は、言語の形態です。しかし同時に、人間の表現手段とみなす事もできます。踊り、音樂、その他の表現と同樣に、感情・思想・情報を傳達するメソッドです。
これらの表現は、ある人の感情や思想が、他のある人に傳はる過程に存在するものである、とみなす考へ方が「過程説」です。メソッドと云ふスタティックな存在を認めず、プロセスと云ふダイナミックな存在として表現を捉へる思想です。「過程説」は、コミュニケーションを大前提に、人間の行動を再定義する考へ方である、と言つても良いでせう。
この「過程説」の立場では、表現自體に價値を認めません。ただ、コミュニケーションの過程で、ある表現が思想をいかに巧みに傳達してゐるか、といつた事にのみ關心を持ちます。
「過程説」を言語學に適用したのが「言語過程説」と云ふ事になります。當然ながら、この立場では「話し言葉」も「書き言葉」も、同じ表現過程であり、優劣を認めません。ただ、ある言語がどのやうに機能したか(してゐるか)を觀察する際、「言語過程説」では表現者と受容者の存在を常に意識します。