制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2004-09-13
改訂
2005-06-12

漢字の音讀みと訓讀みについて

漢字は、支那で作られ、發達した文字です。

音讀み

漢字は、文字ですから當然、發音を持ちます。支那で漢字が成立した時の發音は當然、支那の大陸で使はれてゐた支那語です。

上代以前の日本には文字がありませんでした。そこで、先進國であつた支那の文字である漢字を採入れて、文章を書表しました。その際、支那語の音を日本語の音韻で讀む事がありました。これが漢字の「音讀み」です。

支那語の音韻と日本語の音韻とには違ひがあります。日本語の音韻は、支那語の音韻ほど多くありません。支那語では異る發音であつても、日本語の音韻で表記すると同じになつてしまふ事がありました。その爲、日本語の字音では、同音異義語が頻出します。

支那から佛典等の文獻を輸入する度に「音」は移入されました。そして、時代が移ると、支那語の標準的な發音も變化しました。その日本に入つてきた時代によつて異る「音」を、大きく三つに區分して「呉音」「漢音」「唐音」と呼びます。

「行」の三つの音は、以下の通りです。

呉音
ギヤウ
漢音
カウ
唐音
アン

「呉音」は奈良時代以前に傳へられた長江下流地域の音で、佛教關係の語に多く見られます。「漢音」は平安時代の初め頃迄に、遣唐使等によつて傳へられた、唐代の支那北方、或は唐の首府・長安附近で用ゐられてゐた音です。何れも大體、隋唐時代の發音が轉化したものと言つて良いでせう。

「唐音」は、唐との斷交後、禅僧等によつて宋代以後に傳へられた南方音です。禅宗關係の語に使はれてゐますが、一般には特殊な語にしか現はれません。また、漢音・呉音と同じ發音のものもあります。

呉音・漢音・唐音は、一つの漢字で別々に全てが揃つてゐると云ふ訣ではありません。「一」は、呉音の「イチ」、漢音の「イツ」を「音」として持ちます。しかし、唐音は持ちません。なほ、呉・漢・唐は王朝の名前ですが、呉音・漢音・唐音がそれぞれの王朝時代の發音であると云ふ訣ではありません。

他に、日本で從來、汎く使用されて來た「音讀み」もあります。これを「慣用音」等と呼んでゐます。「動」は、「ドウ」と讀みますが、慣用音です(漢音は「トウ」)。

日本で作られた「漢字」を「國字」と呼びますが、その中にも慣用音を持つものがあります。「働」は、國字ですが、「ドウ」と云ふ「音讀み」を持ちます。

訓讀み

漢字は、表意文字なので、意味を持ちます。その意味を和語で表現したものが「訓讀み」です。

もともと支那の文字である漢字の意味も、支那語の語彙における意味です。支那語と日本語は別の言語ですから當然、一つの漢字と一つの和語とで意味が一對一對應する、と云ふ訣にはいきません。その爲、一つの漢字に複數の「訓讀み」があつたり、複數の漢字が同じ「訓讀み」であつたりします。同じ訓讀みなのに別々の語を遣ひ分ける時、それらの語を「同訓異義語」と呼びます。

また、日本語の意味に慣用的に漢字が當嵌められて用ゐられる事があり、支那語の意味に對應しない日本語獨自の訓も生じました。

「生」には、多數の「訓讀み」がある事が知られてゐます。呉音「シヤウ」に對應する訓が「うむ」「いきる」「いける」「いかす」「なま」、漢音の「セイ」に對應する訓が「はえる」「はやす」「おふ」「うまれる」である事になつてゐます。ほかに、日本語獨自の「き」「うぶ」「いき」と云ふ訓があります。

上代までの日本は、後進國でしたから、日本語の語彙は豐富ではありませんでした。支那語には、觀念語等の日本語に見られない言葉がありました。さう云ふ語も日本人は採入れて使つてゐますが、いつのまにか日本語の語彙に繰入れられてしまつたものがあります。さう云ふ言葉は、本來、支那語なのですが、音讀みではなく訓讀みの仲間に入れられてゐます。

「錢」は、音讀みが「セン」、訓讀みが「ぜに」です。しかし、もともと「錢」の觀念は日本語にありませんでした。古い時代に支那語の「錢」が入り、必要上日本人は日本流に發音して「ぜに」と讀んでゐました。それが、いつの間にか和語の仲間になつてしまつて、「セン」と云ふ音を持つ「錢」の「訓」とされるやうになりました。かう云ふ語は幾つか例があります。