制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-09-08
注意
本記事は參考資料です。

外國語が日本語の語彙體系に與へた直接あるいは間接的影響の結果

『教養としての言語学』
鈴木孝夫著
岩波新書赤版460

鈴木孝夫による區分。言語干渉と云ふ視點から纏めたもの。

追加

日本文化の中に對應する事物や現象が存在せず、したがつてそれらを表はすことばもないとき、外国から新たに導入されたものやことがらに對して、それらが本國で呼ばれてゐた名をそのまま(日本語化して)取り入れる場合。

「バター」「チーズ」「アイデンティティ」など。

併存

基本的には同一のものが、場合によつて、或は特定の表現との關係で、さらには附隨的な相違點のゆゑに、舊來の表現で言はれたり外來語が用ゐられたりする。

直接の對象以外の文脈要素が、副次的に含まれてゐる時、言葉を使ひ分ける文脈取込み型の認識樣式、つまり表現形態が「併存」である。茶碗によそはれた米の飯を「ご飯」、洋皿に盛られた米の飯を「ライス」と呼ぶ類。

置き換へ

在來毎外來語の補完的あるいは相補的な併存型は、ある段階を通り越すと、外來語がすべての場面で在来語に取つて替るやうになる。この意味では、置き換へが他とは單に併存型の極端な場合と考へることが出來るとも言へるが、置き換へを早める原因となる心理を考へると、併存型とは區別される獨立のタイプとして認める根據があると思ふ。

私(鈴木孝夫)がこの置き換へ現象の主な原因と考へるものは、同じことやものを少しでも上品に見せたい、豪華な感じを與へたい、不快な聯想を避けたいといつた、ことばを飾る真理である。

「猿股」を「パンツ」「ブリーフ」と言ふ類。或は、「孔雀羊齒」を「アジアンタム」、「彼岸花」の類を「リコリス」、「釣鐘草」を「カンパニュラ」と言ふ類。前者は仕方がないが、後者は行き過ぎである、と鈴木は言ふ。

飜譯語

新しく語彙に加へられた語そのものだけを見る限り、どうあつても外來語とは呼べないが、その語が出現した原因を考へてみると、それは外來語の導入とまつたく同じ契機によると言へるものが飜譯語である。ここで飜譯語と呼ぶことばは、例へば英語のautomobile carに對應するため、新たに造られた「自動車」のやうなものを言ふ。

元の語を言語構成要素に分解し、それぞれに意味の對應する漢字を宛てる「原語直譯型」の飜譯語と、原語が表す事物や概念のもつ何らかの特徴を捉へて、それを適切な漢字の組合せで表現する「意譯型」の飜譯語とがある。barometre(バロメーター)は原語直譯型の「(氣)壓計」と意譯型の「晴雨計」の二通りの對應語を持つてゐる

意味擴張

もともと日本語にあつたことばが、外國語の干渉を受けた結果、本來もつてゐた意味範圍を擴張することによつて、新しい事態に對應する場合を指す。

荷車や手押車のやうな物品運搬の手段か、「車座に坐る」、「横車を押す」、風車、車井戸のやうに、丸い形をして囘轉するものの一般的名稱であつた「くるま」が、自動車の普及とともに、いつの間にか意味を擴げて「自動車」と云ふ外來の事物もまた意味範圍に含むやうになつた類。

「神」と云ふ語は、外觀はそのままであつても、いつの間にか意味が擴張されてしまつた例として、意外と氣附かれ難いが、重要なものである。

再命名

外國から新たな事物が日本の社會に入ってくると、まるで池の中に投込まれた小石が、周圍に波紋を擴げていくやうに、それ自身がどのやうな言語上の扱ひを浮けるのかといふ問題だけではなく、それと密接な關係にある周りの既存の言葉にも影響が及んでゆくことが、しばしば起る。

dollが入って來た時、「人形」と區別して日本人は「西洋人形」と云ふ名を與へたが、この西洋〜に呼應するかのやうに、それまでただ單に人形と呼ばれてゐた在來のものが、「日本人形」と再命名された。

ほかに、以下のやうな例もある。

新しく入つてきた西洋のものに對して、在來のものを再命名する仕方には、この日本〜のほかに和といふ漢字を使ふ場合も多く見られる。

また邦の字を附けることで洋と區別するやり方もある。

このやうな「再命名」は、諸外國では餘り見られず、日本特有のものである。

ごく大雜把な言ひ方をすると、一般の日本人の生活の中で、外來の文化要素と舊來の日本的なるものの二つは、どちらも互ひに無視することができない程度の力、勢力分布をもつてゐる。

日本に流入した外來の要素は、既存の要素と對等かそれを凌駕するほどの勢力を持つ爲、却つて既存の要素の「特殊化」を生ぜしめた、と云ふ事。