制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「上代特殊假名遣」の解説の一部
公開
2004-07-03

「古事記」僞書説

橋本進吉博士は、「古事記」當時の萬葉假名には混亂が少く、時代が下つて混亂が生じた爲に「日本書紀」の表記には「搖らぎ」が増えた、と考へた。萬葉假名の表記が整理されてゐる事から、「日本書紀」よりも「古事記」の方が古い文獻である、と橋本博士は結論を下してゐる。

「混亂のない状態から混亂が増えていつた」とする橋本博士の「一方通行」説に對して。鳥越憲三郎氏やその他の研究者から、「古事記」は平安朝になつて書かれたものではないか、と云ふ反論が出てゐる。

ちよつと見ると、この説は「トンデモ」の説であるやうに思はれる。實際、今のところ、定説としては必ずしも認められてはゐない。しかし、歴史學者の岡田英弘氏が「古事記は後世の僞書である」と云ふ主張を支持してゐる等、一部にはそれなりに受容れられてゐる説である。

内容

『古事記は偽書か』(朝日新聞社)で鳥越氏は、「萬葉假名の表記法が整理されたのは後代の事であり、それ以前は比較的混亂してゐた筈だ」と推測してゐる。「古事記」「日本書紀」「(弘仁式)祝詞」の萬葉假名の用法を比較すると、「古事記」の萬葉假名は「祝詞」のそれに良く似てをり、「整理された後」のものであるやうに見える、と言ふ。

鳥越氏は、以下のやうに述べてゐる。

極端な例ではあるが、古代の音韻に精通し、中國音韻史からの音價推定にも堪能になつてゐる現在の國語學者が、もし『古事記』に類するものを僞作するとしたら、表記の上では『古事記』よりもさらに假名づかひにおいて狂ひのない書物を書くことができると思ふ。多人長は、なほ特殊假名づかひの區別をもつて書くことのできる弘仁時代に、しかも古訓の碩學として『古事記』を僞作したと思はれるのである。

『日本書紀』などの文獻を研究してゐた當時の學者が、『日本書紀』編纂者よりもより深い知識と自覺に基いて「かなづかひ」を決定し、使用して『古事記』を書いたのではないか、と鳥越氏は推測する。

評價

この推測が正しいならば、萬葉假名の時代にも「かなづかひの意識」が出現してゐた事になる。單純に「萬葉假名は當時の音韻を寫したもの」と言ふ事は出來なくなる。もちろん、現代的な意味での「かなづかひ」とは異る意味での「かなづかひ」ではあるが。