制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-02-04
改訂
2004-11-22

林甕臣の一音一義説

『日本語原學』

林甕臣は、日本語の音韻はそれぞれ意味を持ち、そこから語の意味が生成されてゐると考へ、『日本語原學』を著した。

林は以下のやうに述べてゐる。

まだ「文書」などのない「正史」以前に遡り「太古生活の状態」や、その「風俗事情」は如何であつたか、を探究調査し、又太古の「風教同義」「國體政體」に於ても、其の制度文物の「各學科書」などのないずつと以前に遡り、總て「日本文化の状態實蹟の如何にあつたか」を推究討査するのが此の「語源學」の任務である。

子息の武氏は、父の理想は、一口で言ふと、國語の原義の解明にあり、それによつて、教育の基礎を確立し、文化の振興に寄與しようといふことである、と評してゐる。

林の學説を評して上田萬年は、云ふ迄もなく一音一義説だと言つてゐる。「語原學」で林は、五十音の一音一音には、それぞれ獨特の意義の表現、發象があると云ふアイデアを基に、日本語の語法を説明しようとした。

林は以下の五十音を「正音」と呼ぶ。

そして以下の濁音を「變音」と呼ぶ。

また、以下の半濁音も「變音」に含まれるとする。

林はこのうちの正音を基に、日本語の語の成立ちを説明しようとした。

「五十音」の音位系統は「五十音圖」の縱の行と横の列とに整然と秩序立てられてゐる。これらの音は以下の四つに分類される。

祖音
父音
クスツヌフムユル[ウ]
母音
あいえお
子音
上記以外

細かい解説は省くが、かう云ふ分類を元に、それぞれの音に意味があつて、その意味のある音の組合せによつて語の意味が説明されると林は言つてゐる。

林の一音一義説が成立たない事

勿論、この林甕臣の「語原學」は現在否定されてゐる。林武氏も述べてゐるやうに、『日本語原學』には、古典の引例考證のない、と云ふ缺點がある。

そもそも、現在の音韻に基いて、音の意味を考察し、語の生成を説明しようとする事に無理がある。

橋本進吉によつて再發見された上代特殊假名遣が、奈良時代以前の日本語には現在區別されないで使はれてゐる一部の音に二種の區別があつた事を示してゐる。上代特殊假名遣では、イ列甲類・乙類/エ列甲類・乙類/オ列甲類・乙類の母音がそれぞれ區別されてゐたと推定される。そして、上代特殊假名遣には母音調和の痕跡が認められるとされてゐる(有坂秀世)。母音調和は、ウラル語族に見られるが、上代特殊假名遣が實在した事の傍證となる。

さらに、上代特殊假名遣で區別されてゐる音は、あとから成立したもので、それ以前の古代日本語の母音は四つであつた、と云ふ推定もなされてゐる(大野晋他)。この事から、古代日本語が南方語の系統の言語であつた事が推測される。

現代の日本語は、南方や北方の諸言語が流入し、混淆した結果、成立した可能性が高く、單純に一つの原則に基いて語が形成されてゐるとは考へ難い。一音一義説が否定される所以である。