- 制作者(webmaster)
- 野嵜健秀(Takehide Nozaki)
- 公開
- 2005-06-12
規範について
なぜ「從はなければならない」のか
- Q
- 仮名遣いは、過去の生きた言葉の中で使われているものだから、実際にあるのは「用例」だけであって、「規範」なんてものはないはずだ。規範なんてのは学者がそういう用例から抽出した概念的なものに過ぎないよ?
- A
- それでは、「現代仮名遣」も「あり得ない」ものとなつてしまひますが?
- 現在の紊れた言葉の用法を、過去の用例に基いて正す、と云ふ事が歴史上、なされてきました。定家假名遣にしても契冲假名遣にしてもさうして成立したものです。過去の用例と云ふ事實を規範と「する」のです。規範が「ある」のではありません。
- Q
- 正仮名遣いは、現在通用の規範でないから、わたしはしたがわない。
- A
- どうぞ御隨意に。別に正かなを押附ける積りはありません。
- もつとも、通用の「規範」だから從ふ、通用の「規範」ではないから從はない、と云ふ態度をとつた時點で、あなたは通用の「規範」や國家權力が「絶對的なもの」であると認めてゐる事になります。あなたはいかなる通用の「規範」をも破らうとしてゐてはなりません。あなたは現實よりも通用の「規範」を優先して行動してゐなければなりません。
- Q
- 昔の人は別に「正仮名遣い」なんて規範を意識してなかったじゃない? そんな規範があったわけでもない。自分が発音しているとおりに仮名をあてただけだ。発音の区別がなくなってもうながいんだから、現代の日本人は「この時にはこの仮名をつかう、あの時はそれ」っていちいち煩瑣な規則を「おぼえ」なければならない。これは面倒なことだとおもわない?
- A
- 正漢字正かなづかひは、單なる權威的な規範ではありません。日本語に潛在的・無意識的に存在する體系を意識的に再構築した論理的・體系的な「規範」です。
- ですから、正字正かなは誰でも簡單に覺えられます。しかも、全體に一貫性のある體系ですから、根本的な矛盾がある訣ではありません。「現代仮名遣」のやうに「納得出來ない規則を頭から押附ける」と云ふものではありません。納得して使ふ事の出來る物です。
- 我が御祖先樣は、
自分が発音しているとおりに仮名をあて
はしませんでした。「日本書紀」は漢文で書かれてゐます。或は、日本では長い間、文語と口語が分離してゐました。日本人が「發音する通りに文章を書く」やうになつたのは、せいぜい明治以降の事です。
- ちなみに、「言文一致」が實現したのには、「正字正かな派」の林甕臣らの努力がありました。
-
コラム・「現代かなづかい」と「語意識」
「現代かなづかい」は、權威的・強制的に押附けられた規範です。「規範でない」と云ふ事になつたら、存在意義がなくなつてしまひます。
土岐善麿はかう述べてゐます。
かなづかいに語意識という考えを加えてゆけば、現代かなづかいは表音的ではないではないかという形の非難なり批判に答えられる。語意識というものが加われば説明がつくだろう、という工合に私は考えたわけです。そこで正書法ということを言い出した。
「現代かなづかい」は非合理的なものです。一貫した理論はありません。國字改革で、國語審議會はさう云ふ代物を、國民に無理矢理押附けました。そして、後に國語審議會の押附けが問題となつた時、その押附けを正當化する目的で、もつともらしい説明をする爲に「語意識」と云ふ用語が見出され、「規範」「正書法」と云ふスローガンが後附けで考案されたのです。土岐國語審議會會長の發言は、それを裏書きする物です。
國語審議會のした説明は、目的が先にあつて、それを正當化する爲に言ひ訣として後から言出された説明です。「現實に施行された『現代かなづかい』を如何にも尤もらしく説明してゐる」ものだとして、多くの人が受容れてゐますが、良く檢討すると理論的に怪しい部分が澤山あります。
正かな派の運動について
漢字は押しつけか?
- Q
- わたしは漢字をつかいたくない。漢字をつかわない自由をみとめてくれ。
- A
- 既に存在する漢字を拒絶するのは、あなた個人の趣味です。あなたの趣味を否定はしません。けれども、その個人的な趣味を、あなたが他人や社會一般に押附けようとするのならば、私は反對します。
- 漢字の方があなたより先にこの世に存在したのです。あなたの個人的な趣味に對して、既存の存在である漢字の方が優先されます。
歴史的假名遣は押しつけか?
- Q
- 歴史的仮名遣いも、明治時代になって国家が民衆を「国民」として規格化しようとした際、その「国民」が使うべき言葉として官僚と御用学者がでっち上げたものだろう?
- A
- 「現代かなづかい」も、民衆を「愚民」として侮つてゐた言語學者や進歩的文化人が、戰爭に負けたのに乘じて、文部省と占領軍を利用してでつち上げた愚民政策ではないですか?
運動の有效性
- Q
- 何だかんだ言ったって、仮名遣が統一された事はなかったじゃないか。歴史的仮名遣なんてものに統一する意味はない。
- A
- それを言ふのならば、「現代かなづかい」に統一する意味もないと云ふ事になるでせう。或は「表音假名遣」に統一する意味もない、と云ふ事になります。
- 實際のところ、何を以つて「統一」と言ふのかが問題です。「現代仮名遣」は、活字も手書きも關係なく、本當に何でもかんでも統一してしまへ、と云ふ「命令」です。正かな派の主張は、觀念として「正しい物がある」と認めるべきである、と云ふもので、現實の表記を全て統一してしまへ、と云ふ實際論では必ずしもありません。
- Q
- 今では日本人は誰でも「現代かなづかい」を使っているんだ。だから「現代かなづかい」が正しいんだ。
- A
- 趨勢を法則と履違へてはいけません。或は、あなたみたいなものの言ひ方をするのを「數の暴力」と云ひます。
- Q
- お前のやってる正統表記運動なんて無駄なんだよ。
- A
- 無駄かどうかは知りません。しかし、「實現しないものは、絶對にやつてはならない」とは言へないでせう。趨勢と法則とは違ふのです。