國字の表記が「實際に何うであるか」と、國字の表記が「何うあるべきであるか」とは、話が全く異ります。事實として現状「不正漢字不正仮名遣」が用ゐられてゐますが、だからと言つて「さうでなければならない」訣では出來ません。現實で實現しないからこそ理想が主張されるものです。
當サイトは、飽くまでその理想としての正しい國語の表記を追求してゐます。閲覽される方はその事をどうぞ御承知おき下さい。
正字正かなの主張は、少くとも當サイトにおいては、理想の追求・より良いものへの志向です。
もちろん、世間には「右翼だから」と云つた政治的な理由で正字正かなを支持してゐるに過ぎない人もゐます。けれども、飽くまで當サイトは、國語表記における理想の追求を目的としてゐます。
當サイトを「非現實的」と言つて非難する人が結構たくさんゐるやうなのですが、理想を追求する事に何の問題があると云ふのでせうか。もし「ある」と言はれるのなら、その人には、全ての理念を否定し、現在この世に存在する全ての進歩・改革への努力・試行を否定してから、當サイトを批判するやうにしていただきたいと存じます。
國字問題においてだけ、他と差別して、理想が現實に押潰されねばならない、と云ふ事はないと思ひます。そもそも、「理想を追求する事」自體、人間社會では現實に「ある」事ではないですか。
「理想の追求」と云ふ事、それ自體には全く異論がない、けれども、正字正かなは理想的な表記等ではあり得ない、と、さう主張される方もいらつしやるでせう。
さう云ふ方には、是非とも論理的に「あるべき表記の姿」を主張し、正字正かなの理論的な問題點を指摘していただきたいと希望します。