制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成十八年七月十一日
公開
2006-09-10

雜誌「言語生活」1977年4月号の特輯「新漢字表を考える」について

概要
筑摩書房から出てゐた雜誌「言語生活」1977年4月号の特輯「新漢字表を考える」では、「当用漢字表」の「功罪」を問ふ、と云ふ座談會をやつてゐる。
參加者が全員「功績論者」で、「当用漢字表」は「良いものだつた」と言つてゐる。
批評
噂通り國字改革萬歳漢字制限萬歳の偏向甚だしい代物だつた。

「既成事實」を強調する長谷川鑛平

長谷川鑛平は、もはや引き返せない。今さら方向転換はできないと思います。と述べる。

改革の正統性を主張する林大

林大は述べる。

後になってわかったことですが、あそこ(「当用漢字」:野嵜注)で用いられている略字っていうのは、決してあの時になってやったんじゃなくて、大正十二年の常用漢字の時に略字の百五十四字というのが示されて、それを見ると、当用漢字の略字はほとんど常用漢字の時に示されているわけでして、あの時にもっとほかの略字も入っているから、当用漢字を決める時に、もう少し勇気を出してもう一段やさしくすりゃ出来たはずだがなというくらいに思うんですよ。

「戰後の國字改革は、混亂の下で慌ただしく行はれたものでない、前から準備されてゐたのだ」と云ふ主張である。しかし、林はさう云ふ「改革の正統性」を主張しながら、寧ろ「どさくさ紛れにもつと急進的にやつてゐれば良かつた」と考へてゐるらしき事を述べてゐる。

また、重要な發言として、「当用漢字」は前文にたまたま「制限」ということばがあるから制限というような感じになったと思うんですけれども、結局、目安として制限していたんだと思うんで、国民が漢字を使う時に、ああ、だいたい、この辺の漢字を使って、この範囲内でやって行ったらいいんだな、というふうに使う目安が出来て、日本語の中での漢字の役割というものがあれでわりと落ちついてきたと思うんです。と云ふものがある。

現在の「常用漢字」は「目安」と言つてゐるが、林の發想からすれば、これも「制限」と云ふ意味になつてしまひさうだ。

ちなみに、後の發言で、林は「常用漢字」が「当用漢字」の「延長線上」にあるものだと、はつきり言つてゐる。「目安」も「制限」も、林にして見れば全く同義であるのだらう。と言ふか、「はつきり漢字制限だとは言ひたくない」、けれども「事實上の漢字制限が結果として行はれれば、それが一番好ましい」と林は考へてゐる。無責任と言へば無責任だが、「自由主義」の社會での改革であるから、改革が上からの「押附け」のやうに見られると困る、と云ふのが頭の中にあつたのだらう。實際には、さう云ふ日本的な「『それとなく示唆する』事で一部の少數の人間の主張を一般に押附けてしまふ」やり方が問題を持つてゐる訣なのだが。

「統計データ」を惡用した中島健蔵

中島健蔵は、國字改革が統計データに基いて實施されたものである事を主張する。

また昔の話になって申しわけないんだけど、当用漢字表をどうしても作らなきゃならんということを、戦後の国語審議会の委員会が承認したのは、占領軍が実行した読み書き能力の調査の結果だったんですよ。「リテラシー」ですね。その結果があんまりひどいんでびっくりしちゃった。こんな調査は占領下でなきゃ出来なかったと思うんですが、その調査結果は、現に東大の出版会から出たと思う。

實は「国語審議会の委員会」の委員の理解の仕方が異常で、「占領軍の調査」の結果を正しく讀取れる人間の目から見れば、日本人の讀み書き能力は全然非道くなかつた。

參考
石黒修「國語國字問題と言語生活」について

統計のデータは客觀的なものだが、それを分析し、解釋する人間の主觀で何うとでも利用可能になる。日本の國字改革でも統計データの「分析結果」が惡用されてゐる。そして、何度でも改革の實行者らはその「結果」を用ゐて、自分逹の惡行を正當化する。

略字體を禮讚する長谷川と中島

長谷川鑛平は、新字体の功績は、さきほどもおっしゃったように、その一つは、新字体と称して略字を認めたことですね。と述べる。

中島健蔵がそれに便乘して言ふ。

ただ正字法という考え方がね、怪しいんですよ。国木田独歩全集をやった時に、塩田良平君が正字主義なんだ。あれは厳密に言えば『康煕字典』的な考えなんですよ。

塩田良平氏は國字改革反對派だが、中島氏はその塩田氏を非難するのである。擧句、塩田君も、後で多少反省していた。と附加へる。

「塩田氏本人が自らの非を認めた」のだから「塩田氏が間違つてゐた」のは確實、と云ふ印象を人に與へるのが中島の目的である。問題は、塩田氏がゐない場所で中島が勝手に「塩田氏が非を認めた」事にしてしまつてゐる事だ。

さらに中島は述べる。

ぼくなんかでも初めは略字が嫌いで、正字が好きという傾向があった。青年時代っていうのは案外保守的なんですよ。難しい字を書くのがうれしいんだね、正直言うと。

中島は、案外、青年時代っていうのは変にペダンティックなとこがあって。等と言つてゐる。「正字を使ふのは尻の青い愚かな連中が粹がつてする事だ」或は「若氣の至りに過ぎない」と中島は「大人」の立場から極附けるのである。略字を平氣で使ふのが「大人」なんだよ、と言つて、中島は「敵」を「諭してゐる」訣だ。

人を馬鹿にした態度で嫌らしい。

中島の物の言ひ方では、中島の反對者は「青年」であり「物事が解つてゐないガキ」になつてしまふ、それでは「大人」の中島に反論する事それ自體が「愚かしい事」になつてしまふ。かう云ふ風な「事實上の反論封殺」が中島は得意である。しかし、それは、中島に限らず、林やその他の國字改革の推進派が皆、共通して得意な事なのである。

反對派の主張を事實上封殺しつゝ、「既成事實」の積重ねで自分逹の偏つた考へ方を「そつと」大衆一般に「押附ける」――さう云ふやり方で、國字改革の推進派は國字改革を「實現」した。實に汚いやり方だと讀者は思はないか。

「常用漢字表」の制定は「想定内」

中島は述べる。

漢字の場合、当用漢字表がいちばん初めに出来たとき、これは永久に固定しようっていう気は一つもなかった。

なるほど、それは慥かにさうだらう、だから「当用漢字」と云ふ訣だ。だが、「漢字表」が可變であつても、「漢字表の精神」が不變であつたらどうしやうもない。

中島は言ふ。

いわゆる国語白書っていうやつがある。「国語問題要領」ですよ。あれはぼくが原案を起草したんだけど、その時にもそういう考へははっきりしていた。望ましいこととして、難しい漢字をむやみに使うな。同時に、もしも漢字の知識が与えられなければ社会生活が出来ないじゃないか。われわれはその意見だった。

中島には、「漢字の字劃を減らす事=漢字を易しくする事」で初めて日本人は日本語を書けるやうになり、社會生活を送れるやうになる、と云ふ發想がある。そんな馬鹿な話はないし、實際、昭和二十年まで、そんな事實はなかつたのだが、事實はなくても中島は理念で現實をねぢ曲げる。そして、理念に盲ひた人間にとつて、強硬な反對者は恨むべき人間となる。

中島は言ふ。

ところが頑固だったのは作家だ。舟橋聖一なんぞとは、ぼくは遠い親類なんだけども、当用漢字表を制限としか考えず、国語審議会でけんかのし続けだった。

「漢字表を固定する事」と「漢字制限」とは全然別の話の筈だが、なぜか中島の頭の中ではリニアに繋がつてゐる。この邊の中島の發言は目茶苦茶な上に、敵を呪ふ非道いものだが、かう云ふ人物が戰後の国語改革を主導した、と云ふのは全く以て嫌な話である。が、世間の人はさうは思はない、今の国語の表記にして呉れた「恩人」として、中島を禮讚する。

「常用漢字」は「当用漢字」の延長線上にある漢字制限

林大は中島の言葉を受けてそうですよ。と賛意を表する。

ですから今度の新漢字表っていうのは、当用漢字の延長線上にあるもので、一大改革とか、戦後の方向が変わったものじゃ全然ないとわたしも思っているんですよ。だけど、どうも各紙の報道は、復活派の勝利とか、方向転換……ずっと漢字が減る方向へ方向へと行きつつあったのが、ここで歯止めがかかって、また増える方向に行くんじゃないかというふうな受け取り方をしていますが、あれはおかしい。どこにそういう気配があるんだろうと思ってね。全然そうじゃなくて、当用漢字の千八百五十字という線は、だいたい良い線なんだということを言ってるわけでしょう。ただ個々の字は、もっと適当なものがあるかもしれない。それこそ時代が変わって行けば、字だって種類も変わりますもんね。だから当然二十年ごとぐらいに一部の差し替えということはやって行って、基本は変わらないけども、小部分はいつも変わっている。その点では中島先生のおっしゃるように、三十年も放っといたのがいけないということはありますね。

林大は「常用漢字」以降も國語政策に關はつて來た人物である。その林が述べてゐるのだから、現在の「常用漢字表」が「当用漢字表」の「一部の差し替え」でしかない事、國字改革の精神――「正字を使はせない」と云ふ方針――が不變である事は、確かな事實である。

「變節」を口にする中島健蔵

中島曰。

ぼくは以前、漢字はなるベく少なくしたほうがいいとさんざん主張したほうなんですよ。今は変節したわけじゃないけど、現在の程度なら残しといてもいいというふうに変わっちゃった。その時は、理論的には、ぽくはローマ字論者でしたが、ここには、話しことばと書きことばとの混同があった。話しことばを中心に考えれば、いやでも表音主義になる。ところが黙読の場合は形象論が重要になる。今でも、理論的にはなるべく表音にしたほうがいいと思うけれども、自分の習慣として、横書きで全部ローマ字なんていうのは、自分で原稿を書いても早く読めない。ローマ字でタイプで日本語を打ってごらんなさい、打つのは早いけど、自分で読むのに骨が折れてしようがない。(笑)ローマ字では拾い読みになって断片的にしか形象化できないんですね。だからぼくは一生、漢字かなまじり文の右書きのタテ書きで通す。それを製版の時に横組みにしようと、それはかまわないというふうになったんですよ。

中島は「変節したわけじゃない」と言つてゐるが、何うだらう。

司会が、そして漢字で書いたほうが同じ紙面の中に伝える情報量がたくさん入るわけですね。とコメントすると、中島は、そういうことになる。と受ける。理屈を言やァいろいろあるでしょうけども、平がなで漢字かなまじり文というのが安定しちゃったんじゃないですかね。

中島、續けて。

じゃ片かなを廃止しろというのも反対なんだ。これははっきり変節ですよ。もとは、音表文字は一つにしろ、いやならローマ字をやれとか言ってたんだけど、考えてみると、日本では漢字があるだけでなく、平がながあり、片かながあり、ローマ字があるんですよ。コンピューターが入って来たでしょう。あれは将来四種類みんな記号として使えるんですよ。そういうことを考えると、いたずらにシステムを簡略化するということがいいか悪いか疑問になって来ちゃった。

はつきり「變節」と言つてゐる。

この手の「變節」、認められるか、られないか――何うも日本人の多くが「認められる」と考へてしまふらしいのである。認めるどころが、「何と立派な事だらう」と、變節漢を褒めてしまふし、それまでの「誤」は不問に附してしまふ。けれども、「變節」後が「正しい」としたら、その前の考へ方は誤だ。としたら、その誤つた發想に基いてとつた行動は、反省されてしかるべきでないか、と云ふ事になる。もちろん、反省したら、その行動は撤囘するのが普通だらう。ところが、中島は過去に自分がやつた國字改革を撤囘しない。中島は反省しない。

なぜ中島は反省しないのだらう。なぜ國字改革自體を撤囘しないのだらう。中島は自らの「變節」を認めたのではないか。

實は中島は、「この程度の變節は何の問題もない」と思つてゐるのである。寧ろ、積極的に「變節」を認めて、己の發想の柔軟さ・現實適應能力をアピールしようとしてゐる。と言ふより、その程度の「變節」は、理念上、何の問題もない、その程度は現實に妥協してもいいさ、と、中島は考へてゐるのである。

しかし、本當にそこには「何の問題もない」のか。俺は「問題がある」と思ふ。現實は、國字改革の目指した「文字の徹底した簡略化」を拒否した。漢字假名交じりの表記が妥當である事を、國字改革推進派の主張にもかかはらず、受容れなかつた。ならば、國字改革推進派の信じた理念は誤つてゐたのだ。

根本的に中島の「變節前」の發想は誤つてゐた。ならば、その發想に基いて行はれた國字改革は撤囘されるべきなのだ。

……

話の流れにもかかはらず、座談會は、既成事實として國字改革は「受容れなければならない」ものだ、と云ふ結論に至る。何なのだらう。


國字改革を實施した連中は、實に安易に――實に好い加減に――物事を考へてをり、實に無責任な態度をとつてゐた。ところが、彼らは全く糺彈されず、彼らの殘した「負の遺産」たる「常用漢字」「現代仮名遣」は使用され續ける――。