制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)

『日本の心』より

五十音図の美学

保田
漢字制限や新かなで統一するのは、あいまいに物を考へる場合はいいんですけども、ちよつと正確に考へようとすると困るんです。新聞ニュースなんかはどうでもいいですが。
中河
つまり新かなにすると、考へ方までもみんなルーズになつてくるんですよね。それが困るんだ。
保田
それから教へること自体がルーズになるでせう。教へる方に凝つたらいいんですけれども、教へ方を楽にして、習ふ方を楽にしてやるんだといふ。
中河
それで高校へ行くとこんどは旧仮名といふか正仮名を教へるわけだ。つまり二重になつてくるわけです。だからえらい煩雑なことになつてるんですよ、結果的に。それから一番あれの悪いことは、子供と親とのものの考へ方を切り離してしまつたんだな。そのことが非常にまづいんだ。一例で言ふと、小学校の子供はみな、お母さんやお父さんのそれまちがつてゐる、とかう言ふんだな。さうすると親の方もまちがつてるのかと思つて自分達はもう時代おくれだからと、考へる。これはつまり世代の断絶をますます拡げるんですね。それがいろんなところへ出てくるんです。
あの政策はアメリカのしたことだと思ふんだが、じつに巧妙に、民族を世代によつて切り離しちやつたわけですね。戦後と戦前とを完全に切り離した。あれはおそろしいことだと思ふんですよ。つまり戦後の若い人は、教育の面でうまく伝統から切り離されたんです。戦後いろいろな騒動が起きたりするのもこのせゐでせうね。早くいへば植民地になつちやつたんだね。
保田
さう考へるとたいへんなことですね。たしかに親と子の間がすつぽり切れてますね。これを回復するのはさらにたいへんですね。
中河
ところが親の方は、自分は古いからまちがつてるんだと、かう思つてるんです。
保田
さうです。正しい字を教へたら子供が試験に通らんことになりますね。これは断絶してるんです。一番底辺のところでね。もつともつと混乱がおこつた方がいいのと違ひますか。
中河
混乱が起これば必ずひきかへす。
保田
混乱が起きないと物を考へないのです。だから大学だつて行くところまで行く方がいいんだな。
伊東静雄といふ詩人がをるでせう。教へ方がうまいといふのです。大阪の住吉中学で先生してをつたんですがね。かなづかひなんかも伊東先生に習つたらそれこそ簡単に覚えられるといふんです。
京大に潁原退蔵といふ先生がをられました。あの人が伊東さんを京大に引つぱりたいのですわ。秀才だつたさうです。伊東を中学の先生にしてをくのがちよつと気づまりだつたんでせうね。潁原さんがわれわれにそんなことをおつしやる。ところが伊東の方は大学へ行くのはいやだと言ふんです。中学生(旧制)をうまく教へて入試に合格させるやうにしてやるのが自分の願ひだといつて、大学へ来いといふのを断つたさうです。
中河
今の国語教育は、子供が迷惑ですよ。二通りの字を習ふんですから。今の辞書を見ると新かなと旧かなの両方出てきてるんです。それでちつとも便利ぢやないんだ。みんな二重の勉強をしなければならない。それで学生の方もちつとも真剣にならん。第一新かなにしてみてもみんなチグハグなんだ。同じかなでも読売と毎日と朝日ではみんな使ひ方がちがふんです。むちやですわ。国語がいかに乱れてゐるかといふことだな。
保田
私らの叔父が、戦争になるちよつと前、少将で陸軍にをりましたがね、こんな話したんです。明治時代にも一ぺんかなづかひが変はつたことがあつたさうです。それで"せう"といふのを"しよー"と棒を引いたりね。
中河
さうさう、僕も棒の経験ありますよ。
保田
自分らは、さういふ時に本を習つた人間だといふんですね。それで古典を読むのが不得手でほんとの学問ができてない。お前らはこのことをよう考へておいてくれ、われわれの仲間は「神皇正統記」なんか読んでも、途中でしんどくてやめるといふやうなものの多い年代だといふんです。本当の日本を知らん連中が、陸軍の将官といふ年代にをるのだ。これが今日の非常時に最も心配なことや、といふんですわ。戦争のおこるすぐ前のことです。
中河
あれは森鴎外が主張して、やつと正かなに直したんでせう。それを山田孝雄さんなどが完璧なところまでもつていつた。
保田
一時さういふ、今みたいな時があつたんですな。それで戦争をはじめたのは、そのをかしな教育をうけた連中が中心だつた。日本の古典なんかも読まなかつた人たち……。
中河
危険なことですね。
保田
その時分の者は、国語の力がなかつたといふのです。日本が非常に危険なとこへさしかかつた時に、さういふ、日本人としての教養が一番低下した時代の人間が一番上にをるんだから、これは心配だと、かういふんですよ。お前ら若い者はよつぽどしつかりしてくれないと日本は危いといつてね。陸軍にをつた叔父で、ほかのことでは何ひとつ感心したことないのですけれど、この心配だけは今も感心してゐます。今になつて思ふと、第一に大事なことだつたと思ふんですね。
中河
ほんとだな。
保田
ところが、こんな話ほかの誰からも聞いたことないのです。
中河
平泉澄さんの書いてるのは読んだけど、日本の国語は実にすばらしいといふんですよね。五十音図、ああいふすばらしいものをこしらへたのはいかなる天才であるか。実に不思議といふよりない。その大成せられた偉観美容が、古今集や源氏物語や伊勢物語となつて国語の基準になつたといふんです。それをむざむざ幼稚な考へで破壊しようとする……。
保田
幕末一般の人々が文法の整然とした秩序を自覚した時、言葉は神のつくつたものといふ自覚が起こるのです。
中河
たいへんなことだよ、実際……。
保田
あの整然とした秩序、それが明治維新の一番の根底となるのですね。ところがここまでくるのにどのくらゐかかつたかといふと、国語純化運動は信長の時代から始まつてゐるのです。
中河
やつぱり一応の基本をつくつて復古をやつたのは契沖、宣長ぐらゐかな。
保田
ええ、宣長がつくつたんです。吉田松陰先生が獄中で一生懸命だつたのが文法の学問ですものね。当時の人々の考へではこれこそ人為であり神の秩序だ、神国の信念といふことだ。五十音図にをさまるのです。人間の頭で考へられんことがあるといふわけですね。この論理はなかなか精密で面倒です。文法は単純ですが、文法にびつくりした人々の考へ方は、宣長の場合でも簡単にはいへません。
中河
あの戦後の国語改革は、とにかくそいつを一気にこはしたんでせう。いつだつたか「英雄は山間から出づ」と原稿に書いたら、新仮名で「英雄は山間から出ず」とやられて意味が全然反対になつて困つた。
保田
やつぱり守るといふ精神を持つてないといかんです。日本書紀でもむかしの読み方で読むと実に美しい文学です。その読み方の伝へを守らず、漢文で書いてるからと漢文で読むと、文学でなくなる。あの頃の読み方で読んで初めて文章として光るんですよ。朝廷で続けられた初期の講読はこの読み方を伝へることだつたのです。
中河
とにかく本当に大切なものが次第に失はれてしまふんだからな。それで大学の騒動が起こり、教授などもばかにされて、学生に頭を下げてゐる。見られたもんぢやない。
保田
全く先生の方が情ない。言語道断だ。しかし、混乱が行くところまで行くと、また元のバランスがかへつてくるんです。この頃は若い人でも古典を読むのがふえたといひます。

出典・書誌データ

『日本の心 心の対話』
保田與重郎・中川與一
昭和四十四年一月一日初版発行
日本ソノサービスセンター
pp.109-116
底本新漢字新かなづかい