日本浪漫派の代表者である保田与重郎の学術論文ともいふべき著作。実際のところ、読んでも必ずしも全篇、面白く読める訳ではない。大著であるだけに、なかなか読通すのは難しい──読み甲斐のある本なのだが。
ロマンティックといふよりはセンチメンタルと呼ぶべき著作である。保田は女流詩人・和泉式部に傾倒してゐた。保田の文章は訳がわからないと評されるが、それはしばしば論理的或は意識的に異常に書かれてゐる文章のことである。逆に本書ではむしろ、極めて感情的に──といふよりは愛情を溢れさせるやうに──保田は文章を書いてゐるため、非常にわかりやすい。意識して非論理的に書かれた多くの保田の作品は現在も多くの読者の心をつかんでゐる。しかしそれらの作品が現在の一部の批評家に悪影響を与へてゐるのも事実である。
むしろ本書のやうな純粋に対象への好意・愛情を表して首尾一貫した著作の方が、読者に裨益する所も多い。素直に和泉式部の歌を見てゐるので、その解説はわかりやすいし、納得できるものである。もつとも必ずしも一般的な「学問」として通用しない解釈ではある──しかし文学的な心理解剖としては今でも極めて興味深い。
保田与重郎は魔術師と言つてもよいほどの──天性の詩人ともいふべき文章の才能或は感覚のある批評家であつた。だからこそ、その非論理的な書き殴りの文章の山にも光がある。のちの保田の影響を受けた批評家ら──いや、彼らに限らない、しばしば尊敬される批評家の多くには文才がないから、表面的によく似た非論理的な文章を書いてもまつたく輝きがない。
保田の常套句に「異常な」といふものがある。保田の影響を受けながら、しかしこの一語を適切に用ゐ得た批評家はゐない。保田が用ゐる時はこの語にどれほどの感情が籠められてゐた事か。現在の批評家らが何の意味もなく「異常な」といふ語を文章中に放り込んでゐる時、その単語ばかりではない──文章全体が何も言つてゐなかつたり、少なくとも批評家自身の感情が全く現れてゐなかつたりするのに、私は暗然とする。