復古主義、國粹主義として保田の思想を捉へようとする傾向が強すぎるやうに思ふ。福田恆存は『反近代の思想』で、保田が日本の古典を近代精神を通して理解しようとしてゐる事を指摘してゐる。保田の思想は單純な反動ではなく、近代を經由した上での囘歸である。
保田はただ單に日本の古典をありがたがつた譯ではない。古典を論ずる時、保田は日本の古典を、現代的な視點で捉へ、解釋しただけである。保田のセンスは本質的に近代的なものである。日本の古き良きものへのノスタルジーから古典に惹かれたと云ふよりは、近代化によつて閑却された傳統の持つ近代性に保田は注目したと云ふべきである。
或は傳統的なものこそ、實は近代人の依つて立つべきものなのではないか。根無し草の近代化に、保田は反對した。日本人は日本の傳統の上に立つて、日本の近代化を進めねばならないと保田は考へてゐた。日本人の目的は、近代的センスを身につける事であつて、傳統の世界でまどろむ事ではない、と云ふ事を、保田は理解してゐた。
保田の「後繼者」達がそれを理解してゐると、私は思はない。何か勘違ひしてゐる自稱「後繼者」しかゐないやうに思はれるのである。
保田は古典を近代精神によつて再解釋して見せた。即ち保田は、單なる古典への囘歸を目指したのではなくて、古典を出しにして近代精神とはどのやうなものなのかを示さうとした。近代精神を日本人がそのまま受容れ、身につける事が出來ない事を考へれば、古典の中にしばしば見出す事の出來る「近代精神に似たもの」を本物の近代精神の代用品として日本人に與へようと云ふ努力を保田がしてゐたのだと我々は解釋せねばならない。もちろんその努力は徒勞である。
もつとも、日本人が近代精神を身に着けようとする努力は、多くの場合、徒勞に終るものである。ならば、保田の「徒勞」を我々日本人は「他人事」で濟ませる譯には行かない。今、保田を稱揚し、「ブーム」を作り上げてゐる保守派の論者──桶谷秀昭や福田和也ら──は、そのやうな事まで考へてゐないやうに思はれる。
思へば保田與重郎の批評文は、かういふ自虐の發想を過激に推進するやうな性質のものであつた。自虐の人工の形式が批評文なのである。
保田はよく「自虐」と云ふ言葉を使つたが、表面的に語彙を眞似ればよいと云ふものでもないだらう。「後繼者」は、保田の文體を表面的に模倣し、譯のわからない駄文を綴る快樂に陷つてゐるに過ぎない、と私は思ふ。それでは保田が浮かばれない。
保守派の言論人が保田の「古典への囘歸」を評價して保田を評價してゐるのであるならば、今の保田與重郎の「人氣」はただのブームと云ふ事にしかならないし、實際さうであるやうな氣配がある。保田が古典への囘歸を主張した時、同時に近代人としての立場を保田が過剩なまでに意識してゐた事を、保田を讀む読者は忘れてはなるまい。