制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-07-16
改訂
2008-09-28
この文書の状態
著作の内容にまで蹈込んだ具體的な記述がない等、不完全です。現時點では書きかけのメモです。

山田孝雄と國語國字問題

戰前の國語改革反對者

山田孝雄は森鴎外の後を繼いで國語改革に抵抗した戰前の代表的な論者であつた。

山田氏は國粹主義的な信念を持つてゐた。それが國語改革批判の根柢にあつたと言ふ事は出來よう。なるほど、山田氏は敗戰後、その政治的信條に對して批判を受ける事になつた。しかし、そのよつて立つ國語學の知識は確實なものであり、その國語擁護の主張には傾聽すべき内容がある。

膨大な過去の研究・業績を見續けてきた山田氏の目が、歴史的な國語の変遷に確かな流れを見て取つてゐた事は疑ひやうがない。歴史的な物の見方をした時、國語改革が歴史の流れをねぢ曲げるものと映つたであらう事は推測出來る。

素直にものを見る事でものの本質を掴む──國學とは、さう云ふ客觀的な物の見方に基く、實證的な學問であつた。現實に存在するものには意味がある――それが國學の立場である。意味があつて存在するものは意味もなく變る事はありえない。語彙語法に表面的な變化があつても、決して變る事のない文法の原則がある──事實、國學者の契冲や宣長は、歴史的假名遣の原則を明かにしてゐる。

森鴎外もさうだが、山田氏もまた國學者の末端に連なる者の一人として、自らの立場を規定し、國語において文法が規範として永遠のものである事を信じてゐた。しかし永遠なるものを憎む──理念によつて現實を改めようとする「現實主義者」の表音主義者が中心になつて、明治以來、國語改革は推進されるやうになつてゐた。國語の文法は破壞されようとしてゐた。永遠のものは、ひとたび破壞されたら元に戻らない。だからこそ山田は國語改革に反對した。

平田篤胤が、國學者の系譜の中で特異の位置に在つて、激しい情熱家であつた事は知られてゐる。その影響は尊王攘夷の運動のみならず以後の日本の保守派に及んだ。山田氏もその影響下にあると言ふ事が出來る。けれども、一方で、山田氏が篤胤の言ふ事を頭から信じ込んで受容れた訣ではない事に注意が必要である。山田氏が情熱的で、國粹主義を強力に推進した事は事實であるが、一方でその態度の根柢には學者としての冷靜な物の見方があつた。

昨今、戰後における思想の状況の異常であつた事は、指摘されるやうになつて來てゐる。山田氏の國粹主義に就いても、そろそろ單に「國粹主義であつた」と云ふ皮相的な判斷から離れて、改めて再評價すべきだ。山田氏の國粹主義的な著作も、世間で思はれてゐるほど出たら目な内容である訣ではない。さうなると、山田氏が主張した國語愛護の主張も、決して感情論の域に留まるものではなく、評價し得る理論的な内容である事が改めて認識される必要がある。

參考資料