近代秀歌

やまとうたのみち、あさきににてふかく、やすきににてかたし。わきまへしるひと、又いくばくならず。むかしつらゆき、歌の心たくみに、たけをよびがたく、ことばつよくすがたおもしろきさまをこのみて、餘情妖艷の體をよまず。それよりこのかた、その流をうくるともがら、ひとへに、このすがたにおもむく。たゞし、世くだり、人の心おとりて、たけもをよばず、ことばもいやしくなりゆく。いはむや、ちかき世の人は、たゞおもひえたる風情を、三十字にいひつゞけむことをさきとして、さらにすがたことばのおもむきをしらず。これによりて、すゑの世のうたは、田夫の花のかげをざり、商人の鮮衣をぬけるがごとし。しかれども、大納言經信卿・俊頼朝臣・左京大夫顯−卿・清輔朝臣ちかくは、亡父卿すなはちこのみちをならひ侍ける基俊と申ける人、このともがら、すゑのよのいやしきすがたをはなれて、つねに、ふるきうたをこひねがへり。このひとびとの、おもひいれてすぐれたるうたは、たかき世にもをよびてや侍らむ。いまの世となりて、このいやしきすがたをいさゝかかへて、ふるきことばをしたへるうた、あまたいできたりて、花山僧正・在原中將・素性・小町がのち、たえたるうたのさま、わづかに見えきこゆる時侍を、物の心さとりしらぬ人は、あたらしきこといできて、うたのみちかはりにたりと、申すも侍べし。たゞし、このころの後學末生、まことにうたとのみ思ひて、そのさましらぬにや侍らむ、たゞきゝにくきをこととして、やすかるべき事をちがへ、はなれたることをつゞけて、にぬうたをまねぶとおもへるともがら、あまねくなりにて侍にや。このみちを、くはしくさとるべしとばかりは、おもふたまへながら、わづかに、重代の名ばかりをつたへて、ある年はもちゐられ、あるいはそしられ侍れど、もとより、みちをこのむ心かけて、わづかに人のゆるさぬ事を、申つゞくるよりほかに、ならひしることも侍らず。おろそかなる、おやのをしへとては、歌はひろく見、とをくきくみちにあらず、心よりいでゝ、みづからさとる物也とばかりそ、申侍しかど、それをまことなりけりとまで、たどりしることも侍らず。いはむやおいにのぞみてのち、やまひもをもく、うれへもふかく、しづみ侍にしかば、ことばの花、色をわすれ、心のいづみ、みなもとかれて、物をとかく思つゞくることも、侍らざりしかば、いよいよあとかたなく、思すて侍りにき。たゞ、をろかなる心に、いまこひねがひ侍うたのさまばかりを、いさゝか申侍なり。ことばはふるきをしたひ、こゝろはあたらしきをもとめ、をよばぬたかき、すがたをねがひて、寛平以往の歌にならはゞ、をのづから、よろしきことも、などか侍らざらん、ふるきをこひねがふにとりて、むかしのうたのことばをあらためず、よみすへたるを、すなはち、本歌とすと申す也。かの本歌を思ふに、たとへば、五七五の、七五の字を、さながらをき、七々の字を、おなじくつゞけつれば、あたらしき歌に、きゝなされぬところぞ侍。五七の句は、やうによりて、さるべきにや侍らん。たとへば、いその神・ふるきみやこ、郭公なくやさ月、ひさかたのあまのかぐ山・たまぼこのみちゆき人・など申すことは、いくたびも、これをよまでは、歌いでくべからず。年の内に春はきにけり、そでひぢてむすびし水・月やあらぬはるやむかしの、さくらちるこのしたかぜなどは、よむべからすとぞ、をしへ侍し。つぎに、今の世に、かたをならぶるともがら、たとへば世になくとも、きのふけふといふばかり、いできたるうたは、ひと句もその人のよみたりしと見えんことを、かならずさらまほしくおもふたまへ侍なり。たゞこのおもむきを、わづかにおもふばかりにて、おほかたのあしよし、うたのたゝずまひ、さらにならひしることも侍らず。いはむや、難義など申事は、家々にならひ、ところどころにたつるすぢ、をのをの侍なれど、さらに、つたへきくこと侍らざりき。わづかにわきまへ申事も、ひとびとのかきあつめたる物に、かはりたることなきのみこそ侍れば、はじめてしるしいだすにをよばず。他家の人の説、いさゝかかはれること侍らじ




此本曾祖父入道
中納言定家卿筆跡也
尤可秘藏々々々

參議兼侍從藤(花押)

此草子定家卿眞筆
也歌以下少々被書落歟
若早案歟若又依被書
加被打置本歟於奥
書者爲秀卿相傳也
尤證本也

正五位下貞世(花押)

比本よく/\披見するに如何樣
書殘されたるを文書の中に有ける歟

定家卿眞筆たる間相傳了

秘々抄歟と
見えたり
但不足

右一冊定家卿筆跡尤
可謂鴻寶者也(花押)