高島俊男さんの本を立續けに買つてをります。高島さんが書かれた物にはひらがなが多いなとは思つてゐたのですが、そのことについて、『漢字と日本人』第四章の中で明確に述べられてゐました。
「あて字はなるべくさける」といふのは、和語にはなるべく漢字をもちゐぬやうにする、といふことである。漢字はなるべく使はぬやうにすべきであるが、それは、漢字を制限したり、字音語をかながきしたりすることであつてはならぬのである。
自分で書いた文章を讀みかへしてみると、なんでもかんでも漢字で書いてゐる。でも、正かなに「轉向」する前は、もつとひらがなを多くもちゐて書いてゐた。まあ、「轉向」前は言葉といふものをあまり意識して書いてゐなかつたせゐもあるのですが。特に正字を使ふやうになつてから漢字を多くもちゐる傾向が強くなつてゐます。私も「漢字崇拜」をしてゐるのではないかと考へさせられました。
といふことで、ひらがなを多くもちゐて書くことにいたします。と、いつても、高島さんの書きかたをそのままなぞらうといふのではありませんが。
和語を漢字で書くのを、高島氏が「あて字」と極附けるのは異常。
『漢字と日本人』は、日本に國語問題と云ふ問題がある事を知らしめた點では功績大だが、「ひらがな教」の信者を増やしてゐる點では惡書だ。特に後者の害惡は、目に餘る。「漢字崇拜」は良くないと高島氏は言ふが、漢語と漢字とを高島氏は混同してゐるのではないか。
昔々、津田左右吉と云ふ人がゐました。歴史學の大家です。津田先生は戰前、軍部に睨まれて散々迫害されました。その爲左翼は戰後、津田先生が皇國史觀を憎んでゐるのではないか、と推測しました。
「世界」の編集長・吉野源三郎は、天皇制批判を書いて貰はうと思ひ、津田先生に原稿を依頼しました。すると、津田先生は皇室支持の文章を書いてしまひました。歴史學の大家である津田先生の原稿を沒にする譯にはいきません。吉野編集長は仕方なく津田先生の文章を掲載しましたが、「世界」の卷末で苦しい言ひ譯をしなければなりませんでした。
この津田先生、今の高島先生と同樣に、和語や固有名詞では漢字を使ふべきでない、と考へました。だから署名も一時期、「つださうきち」でした。同じ發想で、小説家・政治家の中野重治も、「なかのしげはる」と名乘りました。ただし中野は戰後、「現代かなづかい」で書いてゐます。
一方、津田先生は、「現代かなづかい」に批判的で、歴史的假名遣を支持してゐました。今の高島先生も、實は正かな派です。中公文庫版『国語改革を批判する』の解説を、高島先生は正かなで書いてゐます。
「正かな派だが、漢字は嫌ひ」と云ふ人は、昔も今も少くありません。困つたものです。
漢字で表記する方が意味は明確になるから、和語だからと言つて無闇に平假名で書くのはよろしくありません。私は寧ろ、觀念を客觀的に表現する詞においては積極的に漢字表記を用ゐるべきだ、と思ひます。逆に、觀念に對する判斷を示す辭は、まあ大體の場合、假名で表記される事になります。
膠着語である日本語では、詞と辭が交互に出現します。詞に漢字が出現し、辭に假名が出現する事で、所謂漢字假名交じりの文章が成立します。無闇に平假名を使ふ書き方は、この漢字假名交じりと云ふ日本語の表記の特色を殺すものです。
高島先生は、文書の構造を考慮せず、もつぱら語の出自のみによつて、用ゐる文字を決定してゐます。表音主義者の物の見方が偏つてゐるやうに、高島先生の物の見方も極めて偏つてゐると言へます。
高島『お言葉ですが……(7)漢字語源の筋ちがい』(文藝春秋/文春文庫)に據れば、だいぶまちがいがありました
との事。誤植
と迂闊、思いこみなどによるまちがい
は、指摘されて、第三刷以後逐次訂正している
との事。
一方、高島氏は以下のやうに述べてゐる。
もっとも、うんと大きな問題になると、これはそれぞれの人の見かた、考えがかかわってくる。たとえば、日本に漢字がはいってきたのは日本語にとってしあわせだった、と考える人にとっては、不幸だった、と言う高島の考えは大まちがいである。でもこういうのは、「まちがってますよ」と言われて、「ハイではつぎの版からなおします」というわけにもまいりませんよね。それじゃあたしの立つ瀬がなくなる。
まあこういう「それぞれの見かた、考えかた」に属することは、個別の読者にとっては容認できぬものであっても、「まちがい」の範疇にははいらないものとさせていただきたい。
高島氏は問題は中くらいのまちがいですね。
と言ふのだが、何うだらう。野嵜は高島氏のかうした態度に何うしても納得が行かない。