制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」平成十七年九月六日
公開
2005-11-21
改訂
2010-12-19

新村出「広辞苑」

書誌データ

内容・評價

『辭苑』をもとに改訂・増補された「日本を代表する」大辭典。國語辭典であるが、百科事典的な使用にも耐へ得るやうに編纂されてゐる。

外部リンク

新村猛『「広辞苑」物語 辞典の権威の背景』

書誌データ

じつにむつかしそのかなづかひ

『「広辞苑」物語 辞典の権威の背景』で新村猛は、ひい孫にやさしく書いてやる文句じつにむつかしそのかなづかひと云ふ新村出が晩年に作つた短歌を引き、續いて、「現代仮名づかい」と云ふ見出しの下、以下のやうに書いてゐる。

また、仮名づかいのむつかしさを詠んだ歌について言えば、父は国語調査委員会の臨時委員を務めたこともあって国語国字問題に早くから関心をもっており、『国語問題正義』(昭和十六年白水社刊)のほか、戦前戦後を通じて多くの発言を試みています。この歌からもわかるように、父はいわゆる現代仮名づかいには反対の立場をとっており、新聞などに寄稿する場合でも、できるだけ仮名づかいをいじられなくてすむように工夫をこらして書くのだと語っていました。この点で、父は伝統主義歴史主義を保守したように見えながら、この問題における父の保守主義は、一部の頑迷な国粋主義とはちがって、もっと学問的な裏づけを持ったものなのであり、戦後のいかにも文部省式な便宜主義による改革に不満だった父たちの主張は、依然として今日でも傾聴に値いすると思います。戦後一貫していわゆる革新派に属し平和と民主主義のために運動して来た私も、国語国字政策の問題になると、体制側の方向に賛成する革新派とはやや異なった見解を持たざるをえないのも、一つには私が父の子であってその感化を蒙っており、二つには長らく辞書作りにたずさわって来た経験によるのでしょう。

話がやや先へ進み過ぎますけれども、『広辞苑』第二版で、巻末の附録に新しく「通用漢字一覧」を加え、いわゆる当用漢字以外のものも相当数選んで載せたわけも、現在の政府の漢字政策に対する私なりの批判があったからでした。それは、学校教育における漢字学習の負担を多くせよという意見ではなくて、現在一般に使っている漢字は、いろいろな調査結果から見ても「通用漢字一覧」に挙げた三千字程度はあり、これらの漢字の原義と読み位は国語辞典でも示す方がよくはないかという考え方によるものなのです。『広辞苑』初版では、そういう一字漢字の取り扱いが極めて不十分で、第二版校正中そのことに気づいて、大野晋さんや大野さんの後輩で名古屋大学在勤の金岡孝さんとも相談の上、応急の処置として、右のような一覧表を作ったのであります。

「仮名づかいのむつかしさ」とは、歴史的假名遣や「現代かなづかい」が「むつかし」いと云ふのではなく、歴史的假名遣でも「現代かなづかい」でも同じになる例の「広辞苑の序文方式」で書かうとすると「むつかし」い、と、さう云ふ事を言つてゐる。

正しく美しく、もっと良い日本語

新村猛は『「広辞苑」物語 辞典の権威の背景』の「はじめに」で、次のやうに書いてゐる。

『大言海』の著者である大槻文彦先生は、その旧著『言海』の跋文に、There is nothing so well done, but may be mended.という西洋のことわざを附記しておいでになります。私の父は大槻先生亡き後の『大言海』の編集事業に関与し、その後記の中に右のことばを引用しながら次のように言っております」。

蓋し著者(注 大槻先生)の意、当時に在りて言海の決して完全無欠なるを思はず、いくばくか修訂を要すべき点の存すべきを察したるに外ならざるなり。従ひて著者の寛宏を懐ヘば、必ずや予輩が多少の修補を容るるに吝ならざるべきを信ずと雖も、退いて念ふに、言葉の海より拾ひし玉を磨かんと欲して、却て、新に瑕瑾を生ぜしむるに至らざりしか、之を危ぶまざる能はず。

私の気持もここで父が述べているところと全く同じでありまして、『広辞苑』第一版が編者である父にふさわしいものに改訂されたかどうかということについて新に瑕瑾を生ぜしむるに至らざりしか、之を危ぶまざるをえないというのがいつわりない今の心境なのです。この気持は、単に、編者が私の父であるという私情から来るだけではありません。『広辞苑』が、これほど数多くの人々の利用に供せられ、またそれだけの社会的な信頼を受けているということに対する編者側の重立った一員としての責任を、編者である父が亡くなっただけに、ますます強く感じるようになりました。

一人の編者の名を冠した辞典が当然に持たなければならない個性と統一性と、他方、それが辞典である限り必須に要請される規範性と普遍妥当性と、この両者が過不足なくそなわっているかどうか。もちろん、完璧は期しがたいとしても、どこまでそれに近づくことができたのか、私は父に対する子という関係を超えてきびしく反省しないわけにはゆきません。

『広辞苑』第二版発刊を機会に、父の学問と辞典編纂の経過を私なりにふりかえり、今後の修訂作業に資したい、というのがこの物語を始める私の個人的な動機であります。また、読者の方々には、辞典編纂の実情を知っていただくことによって、辞典への関心、ひいてはことばへの関心、正しく美しく、もっと良い日本語への関心を強めて下さるならば、私の喜びこれに過ぎるものはありません。

最近の広辞苑の改訂、正しく美しく、もっと良い日本語を目指した改訂であるやうには思はれない。

予算も人手もないからできません

辞書作りが、今日では、一人の篤志家の業というよりも、多くの学者の協業になる組織的事業であり、その事業の経営が、出版という資本の制約を免れないという実情であるとすれば、学究に加えて組織経営の能力がそこには必須のものとして要請せられます。すでにそれは個人や私企業の限界を越えているかも知れず、国家の事業として行うよう提案した父は意外に先見の明を誇ってもよいかも知れません。しかし、父が亡くなって間もなく、私どもの親族の一人が国立国語研究所の岩淵所長にお会いした際、『広辞苑』の仕事を研究所に引き継いでいただけないかとお話したところ、予算も人手もないからできません、とお答えになったという事実が、何よりもよく国の国語政策の貧困を物語っています。