『正義の兜』より第一編「我と我が戰ひ」

見よ
血みどりなせる正義の姿を
威風とうとうとして
餓ゑたるものをも
貧しき子等もつき倒し
細き露地を高々として
低きところ貧しき處へと
深く深く進み行くなり
見よ
彼に鋭き兜あり
地の怪物をも慄へさす聲
朗々として日と夜に鳴り響けり
いかなる毒々しき主婦も
骨に惡錢鳴らす妖婆も
恐れおのゝきて哀れみを乞ふ
遊べる貴族も
眠れる穢多も
突如として起き上り
罪と悔みに渦卷く心を
せめて安らかなる憐れみを貪らんと
正義の姿を求め叫ぶ
されど彼を見得るものはあらじ
彼は僞りの戸を裂き
苦しみの窓を破り
自在に暗と火の中につき入り
老いたる智と
猛々しき斧もて
平等に我等をも打殺さんとす
おう血みどりなせる正義の姿
女は喚き悲しみ
多くの民は無爲の縄に首をつらる
されど見よ彼の意志を
彼の爲めに進むで死すものは彼を知る
彼の慈悲は辛く強くよぢれ
黒雲の鎌の如し
彼は極惡人の爪の先に立ち
死せんとする人泣ける人に口をよす
危險なる恐ろし氣なる
彼の如きはあらじ
彼の狂人をも死人をも
血の生づる手もて引つかむ
彼は鐵の頭と萬軍の智もて
いかなる暗と沼をも突き通し
とうとうとして空と時を歩めり
彼を見るものは死を知る
彼の稻妻と月の色を感ずるものは
彼の血によつて
胸の眞只中をあらはし
彼と共に戰場に出て
血みどりなして歩みつゝあるなり。

得んとする得は泥の冠
考へ得る善は疫病に過ぎぬ
飾られたる美は螢よりもろく
賣らるべき眞は臟腑より穢い
あゝ病める唯一の權能は
自己を射貫く鋭き血の矢となり
黄金も時に鉛の情に交り
壯高なる力も奸妄の智にくらみ
ありあまる熱情の陰鬱
貧窮は麗智の痩衰を來し
悉く個人の病と毒素に刃向ふ
おう滿足げなる慈悲の相を突き
かの有徳の靜まりに雷を打て
あまりに多面の才能
あまりに巧なる説法は
造られれる生活の腐りの上塗り
其處に新らしき氷の峯を生ぜしめよ
肅嚴なる絶對智
熱情と眞の胸板の響
この頭骨と神經を充ちわる強光の意識
絶對宗義の走り
おゝ内なる金鐵の正義
信の力、正統なる動機の善美
そこにこの胸の高鳴る火こそあれ、
腕と額の勞苦や
記臆や豫覺の苦難
經驗の恐ろしき現實の浸入戰
そこにこそ無窮の實證あれ
進歩なき孤立の眼や
萬人の上に遊ぶ名譽の猫や
無機物の紅や青き詩や
凡て合致なき良心の切賣りを去れ
唯一なる光輝は貧しくも
自己に絶したる人力以上の義に
胸の戰爭、本能智の武力を立ち
己れを棄てゝ己れ以上のものたらざれば
この肉體や頭腦よ、碎け去れ
類なき熱、情と執着もて
無窮に於ける理性の戰士ならざるならば
汝その智も情も火を失へ
太陽の輝きに爭ひと
明敏なる良心の尊大を感ぜず
地の精に淫し萬物にぬきん出ぬ靈ならずんば
おう泥の海嘯よ、血の雷電よ
哀れ我が未來諸共殺戮せよ。

おう我が肉の充ちたる腹にこそ
かの清教徒の陰念は起れり
されど我が智情からむ頭腦に
炎ゆる囘教徒の劍は高鳴れり
おゝ肉欲の虎
權力の蛇や龍の爪
荒鷲の意力の翔り
貪婪なる無意識の胴ぶるひ
感情の裂け口や智の鎗や
全身の苦と精氣は
我が生を通じて暗く凄じく
淵なす豪宕の岩に流れ淀めり
おゝ深夜の山嵐
谷の岩邊の淋しき根や
金屬の結晶脈の如くならず
我が精の清純と
力と情の狹き狷介なるよぢれを
華麗にして正しき理性たらしめよ
又は陰慘なる生涯なりとも
凡ての動機の眞徹せる良心に
明光や常闇のこもこもに來る
この世の流れの精の影ろひも
我と我以上の眞正なる意識を生め
遂に現實の精細なる實力を強めしめ
個人より無窮へ、有限より永久に
我が眼力と本能の勢ひを走らしめ
おゝ虚構の思想、安價なる眞情めきし色情
財貨と暴力と愚權を踏みにじり
かの嚴正なる正しき力の喇叭を吹かしめよ
おゝなびける純白の天の旗
遊惰と滿足を破り
不足と缺乏と飢ゑとこがれは
凡ての禍の根なる肉力や意識の劍を噛みて
ヨブの忍べる力、貴き念力
モーゼの峻嚴、ソロモンの正、ダビデの敬虔
おゝ我が肉と神經の邪なる心理を殺せ
我等は殺す事にあつて達し
切なき戰ひと休まぬ彈力によつて光らん
理性をゆるがすべからず
情意を害するべからず
純粹なる全我の流れは
やがて天情に浴すべし
清純に嚴烈に華豐に生じ
猛々しく正しく鬱々たりとも
獨り身を引提げて世と我の
現實戰の害毒に勝たんと熱す。

……

二十八

おゝ久遠の正義は
人類も一切のものも
搖ぎ倒し
裂きすてゝ歩み行く
現世と現象に因はれたる哀れなる我
我が慘事と
我が惡と害毒を訴へて
裁かれんと願へど
久遠の正義は
我が善美も醜行をも秤る事なく
自ら我に報い來り
強き怨毒を殘して宙に進み行く
おゝ恐ろしの進行
應報も輪廻も踏にじり
害するものも害さるゝものも
等しく月日の陰に亡び行く
現はれとして生ぜしもの
現はれずして生くるもの
無意無識の混渾界
いや凄まじの原因界
そこに我が粒なす影
啾々として泣き惱むなり
おゝ我は我を亡ぼし
久遠の意識にひれ伏し
たゞ日の表と
風の暗に
本性の何者かを持つばかり
いみじき信欲を逞しうし
我が性の根を食ひ
意志の成實力をあげて
空中の無の腹を翔けるばかり
あゝ原因なせる大力よ
その成實の生分
我がこの哀れなる個體
現象と個別に惱む心理をして
大なる意識に戻し
たゞかの久遠の精と響に
この胸を粟立たしめ
この血をおしげなく使用せしめ玉へ

……

三十四

いつか恐ろしの時は來る
絶滅の胸裂くる日は來る
雨夜の辻に
運命の女と出逢ふ如く
罪の思ひの恐ろしの時は來る
正義は血を帶び
暗き熱を含める雲を引きて
むごたらしくも姿を現はし
この世のあさ黒き裏より
己の身を釘打つ
おゝ雨夜の空中より
欲望の女、恨みの娘、
狐疑と猜みの精は叫び
無情の黒き旗を風に流し
おゝ生ける心の川口に入り來る
この不安と迷ひの暗
そこに恐ろしの時は來る
千本の槍は暗に穗先をくるめ
雨戸の外に我を見る眼あり
おゝ雨夜の深き腹に
我は我に襲はれて
恐ろしの時に向ひて血に叫ぶ。