佐藤惣之助
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- 2001-09-05
- 2015-06-06
- 佐藤惣之助全集 随筆編/詩集上下卷
- 2005-05-26
- 2015-06-06
略歴
- 明治23年、神奈川県川崎町生れ。詩人。作詞家。正規の學歴はないと云ふ。
- 37年頃より句作を開始(自傳には十二歳で發句を學んだとある由)。39年、佐藤紅緑の秋聲会の同人となる。十代の間は句作を續けた。二十代以降、詩作に轉ず。
- 43年小山内薫、吉井勇などと劇作を試みる。
- 44年川田花枝と結婚。
- 45年12月福士幸次郎、千家元麿、高村光太郎、木村荘八と雜誌「テラコツタ」を創刊。
- 大正3年元麿らと雜誌「エゴ」創刊。「白樺」の衞星雜誌として武者小路實篤も寄稿。
- 4年處女詩集『正義の兜』出版。この後の數册の詩集で、
旺盛な生命感を表現し、「白樺」派の詩風に近いものとして注目された
。
- 8年雜誌「大洋の岸邊」創刊(光太郎、元麿、白鳥省吾、中西悟堂らが寄稿)。
- 10年、詩集『深紅の人』出版。作風に變化が生じ、
健康で華麗な感覺に富んだ、獨自の抒情詩
に移行した。
- 11年5〜7月琉球、臺灣を旅行。
- 14年7月詩人のクラブ「詩之家」設立、機關誌「詩之家」創刊、10月萩原朔太郎らと詩話會の機關誌「日本詩人」の編輯に携はる。
- 昭和3年5月滿洲、蒙古、朝鮮各地を1箇月に亙り旅行す。
- 8年1月夫人花枝と死別、同年8月朔太郎の妹周子と再婚。
- 9年年末上海、香港、廣東、マニラを旅行。
- 13年9月久米正雄、林房雄、川口松太郎らと武漢作戰に從軍記者として參加。
- 17年5月15日、外出中、腦溢血のため死去。
大の釣好きで、釣に關する著書が數册ある。日本磯釣倶樂部常務理事を歴任。
二十二册の詩集があり、當時は有名な詩人であつた。しかし現在では詩人としてよりも寧ろ歌謠曲の作詞者として記憶されてゐる。
- 赤城の子守り歌
- 緑の地平線
- 青い背広で
- 湖畔の宿
- 人生劇場
- 人生の並木道
- 新妻鏡
- 男の純情
プロ野球ファンには「阪神タイガースの歌(六甲颪)」の作詞者として有名。
「川崎の生んだ詩人」。川崎市市民ミュージアムに原稿・筆墨・書畫等の展示コーナあり。
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