霏々剌々

底本
『緑雨警語』
齋藤緑雨著・中野三敏編
1991年7月29日第1刷發行
1994年4月19日第3刷發行
冨山房・冨山房百科文庫41
初出
日刊新聞「讀賣新聞」明治32年6月21日〜8月4日

(32.6.21)

○端なくもわが眼前口頭は、法の問ふ所となりぬ。正面と反面と、事の描写と理の表白と、わが文に於て殊に甚しく混読せられ、誤解せらる。われや黄口の一書生、字を知ること少きの罪か、将多きの罪か。全く知ることなからましかばと、今に及びて悔ゆるも詮無し。われら不文の徒、須く戒心を要す。

○道徳を言ふ者、道徳の仮面を被る者、近時著しく増加したり。未然に言ふに非ず、既然に言ふ也。言ふ者奚ぞ恃むに足らん、被る者稍恃むべし。一国文化の増進は、この仮面あるがためなること、夙に歴史のわれらに諭示する所也。

○何人も異議なき道徳の見解は、自身之を守るを必せず、他人之を守るを必すといふことに帰着すべし。

○偶々道徳を論ずるの故を以て、これが躬行を迫るは、箱根以東に化物あらしめんとする者也。思つたり、したりは出来ませぬとは、特に論者がために設けられたる好句ならんかし。

○喰はざれば佳人と雖も、桃花の晴に笑ひ、李花の雨に泣くの媚を競はんこと難し。こヽに喰ふといふは、大口あく事也。懸棟飛閣の人の目を眩するものありとも、或時は人の鼻を掩はしむべき下掃除の、門庭に出入するを禁じ得ざるものなることを忘る可らず。

○時弊を拯ふと称へて、人の秘事内行を訐くに力むる者あり、是亦一の時弊にあらざる乎。策を失したる矯風は、矯風にあらず、挑発のみ、勧誘のみ、助長のみ。悪を懲らすといふもの、まことは悪を励ますものなり。

○今の時、所謂ヒユーマニチイを説くといはず、好くといふべし。それら諸君子の前に、敢て一笑話を献げんか。橋詰の巡査は、諸君子のために有力なる同論者也。切に行人に誨へて、左へ/\といふ、是れ豈人道を主張する者にあらずや。

○偏に法律を以て防護の具となす者は、攻伐の具となす者也。楯の両面を知悉せる後にありて、人歩くは高利貸となり、詐偽師となり、賭博師となり、現時の政治家となる。

○謙信智あり、信玄胆あり、是古の戦なり。星移り、物変りぬ。すばしツこきをのみ智謀といひ、づうづうしきをのみ胆略といふ。掏摸と追剥とは、最もよく通俗的に、この二つの表現せられたる者也。

○罪の軽き者は監獄に行き、重き者は酒楼に行く。かしこには鉄の鎖あり、笞あり。こヽには金の轡あり、女あり。

○夜は休息のために附与せられ、計画のために使用せらる。総ての方面に渉りて、夜は見せ掛けの時間也。人の意の天の意に乖くや久し、戻るや久し。

○もろ/\の物価の尽く騰貴せる際にも、猶依然としてあげず、あがらざるものは夫れお賽銭乎。

○あヽ作家諸君、諸君は原稿料引上げの行はれざるを恨み給ふな。其時は神、若くは仏になり得たりと思ひたまへ。たヾの神仏に比すれば、諸君は口の働くだけでも多能也。

○老熟は或意味に於て意気の銷沈なれども、意気の銷沈は必ずしも老熟にあらず。新進作家に代りて白す。

○絶えず作を出さヾれば、作家にあらずといふ乎。作家は何の日を以てか、得て修養せん。今の批評家の言ふ所は、今の作家をしてお目留まりますれば、直ちに次なる藝に取掛るの軽技師たらしめ、手品師たらしめんとするもの也。何等の曲折をもとゞめず、絶えず語るを以て壮なりとせば、希はくは去つて九段公園の噴水器に観よ。

○今の作家は、今の批評家のために毫も開発せられたることなし。されども今の批評家は、今の作家のために常に生活するなり。

(32.6.26)

○身、貧にありて志を改へざるは易き事也、多き事也。富にありては難き事也、罕なる事也。人の節操を貧にのみ見て、富に見ざるは早計也、速断也、鼻元思案也。

○貧の堕落は要求なり、充たさんと欲して充たさるヽことなきなり。富の堕落は強請なり、飽かんと欲して飽くことなきなり。憐むべし貧の堕落は、一人の堕落なれども、憎むべし富の堕落は、一国の堕落なり。されど共に心の自然たるや、言ふを俟たず。

○智は有形也、徳は無形也。形を以て示すを得、故に智は進むなり。形を以て示すを得ず、故に徳は進むことなし、永久進むことなし。若有之りとせば、そは智の色の余れるをもて、徳の色の足らざるを一時、糊塗するに過きず。

○富をなすの道は智に在りて、徳に在らず。貧人と長く語らんは、富人の損害なること疑無し。闇夜の溝に陥れる者を救はんと欲せば、自己も手を泥に汚さヾる能はず。

○人の心の最きよらかなるは、人の心の最おろかなるなり。魚の多数は澄江に釣らず、濁流に釣るなり。

○稼がざる可らず、こは世に必要の事なれば、人皆知れり。何故に稼がざる可らざるか、こは更に世に必要の事なれども、知る者鮮し。

○納豆屋の声に明け、豆腐屋の声に暮るヽは、塵深き都の光景也。太く、短きを便とするものあり。細く、長きを便とするものあり。品さまざまなるとヽもに、声亦さまざまなり。われは茲に世間一切を、姑く売品といはん。利は日の中の声の大なるものに薄く、夜の間の声の小なるものに厚し。即ち売声の相違は、営業の相違也、反比例的に利得の相違也。

○号外売の声と、辻占売の声とは、新旧思想の比較の上に、最も顕著なる例証をわれらに与ふるものなり。何ぞ殊更に嗜好といはんや、趣味といはんや、将又品性といはんや。

○涙は誠意なりとぞ、猿はよく啼く者也。血は熱心なりとぞ、蚊はよく吸ふ者也。

○汝は犬なり、馬なりと言はヾ、人心ず憤怒すべし。されど場合によりては、身自ら犬馬に比して怪まず。辞は外に遜るなりといへど、意は内に飾るなり。利害の関係は、飾るに畜類を以てするも、猶安んじ得べきものと見えたり。

○口を極めて相罵るの時にも、畜類よりは下すことなし。人の身近く置かるヽがゆゑに、大、猫、牛、馬の常に標準とせらるヽこと、迷惑の至なるべし。若彼等をして言語の通ずるを得せしめば、其第一に訴ふる所は、人の身に関する事件なるや必せり。

○鳥は高く天上に蔵れ、魚は深く水中に潜む。鳥の声聴くべく、魚の肉啖ふべし。これを取除けたるは人の依怙也。

○何様なるを世間とは謂ふと間はヾ、われは立どころに下の如き答辯をなすことを得べし。曰く、善人栄え、悪人亡ぶるの場処なりと。

○一に就かんよりは十に就け、是極めて当世の事也。諸人の感服することに感服し、諸人の感服するものに感服し、諸人の感服するときに感服せば、期せずして幸福は頭上に到来せん。断りたくも断れざるべし。

○按ずるに社会の智識は、売れぬ本といふものに由りて開拓せらるヽならん歟。売れぬ本といふは、すぐれて良きか、良からぬかの二つに出でず。この二つは先後別々に、大なる教訓を提げたる者なればなり。約言すれば社会の智識は、書肆の戸棚也、戸棚の隅也、隅の塵也、塵の山也。

○古の歌人の月花を脱し得ざるが如く、今の新体詩人は、唯一つの星を脱し得ずとは、某批評家の言なりと聞く。げに歌人、詩人といふは可笑しきものかな。蝶二つ飛ぶを見れば、必ず女夫なりと思へり。塒に還る夕烏、嘗て曲亭馬琴に告げて曰く、おれは用達に行くのだ。

○沈酔せり、醒さヾる可らず。老衰せり、葬らざる可らずとは、今の批評家の紋切形也。天才結構、大結構、今の批評家の召に応ずる天才あらば、われら一生の思出、疾く拝顔の栄を得んことを望む。もし其言の如く、悲壮なる其言の如く、われらをさへ交へて僅に五七人を葬るを得ずば、今の批評家は墓地の穴掘りにだも及かざる者也。悲壮は原稿の埋草也。

(32.8.9)

○現時の政党は、一の商売なりといふにあらずや。さらば其宣言書の、彼此共に異るなきを嗤ふを要せじ、各々様御機嫌克くの引札に過ぎざればなり。利をかヽげて勧誘に力むるを嗤ふを要せじ、何日間売出しの景物に過ぎざればなり。

○無鑑札なる営業者を、俗にモグリと謂ふ。今の政党者流は、昔このモグリなり。鑑札無くして売買に従事するものなればなり。

○正義を唱ふるの士は、正義を行ふの士なりと思へ。公徳の欠乏を慨する者にして、 一己私徳の上にだに欠乏せる者あるを思ふことなかれ。要は唯信ずるに在り。信ずるはめでたきものなり。天下太平の策、こヽに於てか定まる。

○豆蔵氏が言に曰く、見ると聞くとは大きな相違と。然り見ると聞くと、大いに相違することなくば、今日にありてはゆヽしき大事也、国家の大事也。

○一切の虚偽を排するは、一切の真実を排するなり。虚偽と真実との関係は、鰹に対する酢味噌の如し。まことそらごと取交ぜるにあらざれば、遂にお話はなり難し。

○嘘は薬か、誠は毒か、相待つて世は悠久に健かなるを得るなり。何事も造化の配剤に帰したる古人が言も、蓋この意に出でざるべし。

○嘘も誠も物の名のみ。時と処とによりて、おのづから運用の別あるのみ。浪速の蘆は伊勢の浜荻たるの類のみ。

○欺くは智也、欺かるヽは徳也。されども人は、欺くほどの智ある者に非ず、欺かるヽだけの徳ある者なり。

○秘する者は秘し、秘せざる者は秘せず、ことわると否とに関せざるべし。秘密を迫るは、公開を迫るなり。陰蔽は流布なり。人より秘密を語げられたる時は、われらが最も戒心すべき時なり。

○人の世に最大不必要なるもの、唯一つあり、名けて識者といふ。

○学問は宜しく質屋の庫の如くなる可からず、洋燈屋の店の如くなる可し。深く内に蓄ふるを要せず、広く外に掲ぐべし、ぶら下ぐべし、さらけ出すべし。其庫の窺知し難きも、其店の透見し易きも、近寄る可からざるは一なり、危険は一なり。

○換言すれば古の学者は、不透明体なり、今のは透明体なり。更に其説く所に由りて判ずれば、古のは固体、今のは気体なり。

○鏡を看よといふは、反省を促すの語也。されどまことに反省し得るもの、幾人ぞ。人は鏡の前に、自ら恃み、自ら負ふことありとも、遂に反省することなかるべし。鏡は悟りの具にあらず、迷ひの具なり。一たび見て悟らんも、二たび見、三たび見るに及びて、少しづヽ、少しづヽ、迷はされ行くなり。

○何人か鏡を把りて、魔ならざる者ある。魔を照すにあらず、造る也。即ち鏡は、瞥見す可きものなり、熟視す可きものにあらず。

○老たる人の肖像といふを見るに、何処にか鬼相を止めざるは莫し。人の面は、など斯く恐ろしきや、老はなど斯くあさましきや。

○過去、現在、未来を分けてもいはず、総ての燈は、総ての人を悪業に誘かんがために、点ぜらるヽなり。罪の手引なり。

○燈の数は上野公園に少く、浅草公園に多し。着手以前に用あれども、以後に用なし。

○燈影明るき処、罪業あり。暗き処、悔悟あり。燈と鏡と枕とは、歴史家の遺棄す可からざるものなり。

○驕奢の風、都鄙に瀰蔓すといふは真歟。恐らくは是れ、驕奢の誤解なるべし。わが繹ね得たる所を以てすれば、昔時驕奢と称せられたるは、多く他を潤せり。今時のは単に、自己を潤すに過ぎず。

○故に一人倒るれば、昔は数人共に倒れたり。今は一人の倒るヽに止まる、寧倒さるヽに止まる。

○之を一家内に見るも、夫が驕奢は、妻に係はる事なし。妻が驕奢は、夫に係はる事なし。おのれ/\が驕奢のためには、夫が飯のつめたきも、妻が衣のいやしきも、相互ひに顧慮する事なし。

○あ、それ驕奢なるかな、豪侈なるかな。われは人の数十金、数百金を投ぜるを目撃す。併せて指環は其人の手に、時計は其人の胸に存在せるを目撃す。依然財産たり。

○聚めんと欲せば、先づ散ぜよといふは、転んでも只は起きぬの同義なりと信ず。

○公益を計らんものは、私益をも計らざる可からず。生命、栄誉、財産を擲つと称する際にも、猶万一といふ語を、成功の上に置かず、失敗の上に置くなり。

○誰にもあれ、一事一業を起さんとするを見たる時は、荐に之れに親めよ、寧ろ狎れよ。其漸く成らんとするを見たる時は、窃に之れを羨めよ、寧ろ嫉めよ。而して不幸、半途に敗るヽに遭はヾ、其時は唯其人の自業自得なりと言へよ。是れ今日の秘伝也。

○羅綾を穿ち、錦繍を纏ふ。之を今朝に見て駭くが如きは、都人士の事に非ず。昨夜に聞かばよその蔵に、拘禁せられ居たるは言ふ迄も無し。風嫋かに花を吹きて、春面白き小袖幕も、実は番頭を泣かせたるものなり。

○拘禁といふに若語弊あらば、改めて保管といふべし。吾家なるは鄭重にし、質屋なるは厳重にす。倶に与に、字は重んずるなり。

○体裁は夏向ならず、冬向なり。入りて悄然たる者は、出でヽ傲然たる者なり。質屋が店の格子の如く、人の心に急速なる変化を与ふるはあらじ。

○歳毎の春の花也、秋の月也。特り今年に限りて、物飲み、物食ふを要せんや。故に風通、一楽の車をつらねて駈行くは、山楼水亭の何れにもあらず、鹹き鮭一切れ、晩餐の膳の上にお還りを待てばなり。今の驕奢といふは、大抵此の如きものヽみ、所謂路人に耀かすに過ぎざるものヽみ、人前のみ。

○名は必ずしも紳士録、職員録に上れるをもて、遂げたりと思惟する勿れ。あまりにそれは軽はづみ也、早手廻し也、無論けちなる料簡也。高利貸といふ者の台帳に記入せられざれば、世間は決して名士と呼ぶことなし。

○名士の高利貸に於けるは、狐の稲荷に於けるが如し。司命者也。高利貸なかりせば、世は斯の如く静穏なる能はず、隆盛なる能はず、箸の上げ下しにまで万歳を唱ふる能はず。

○洋の東西、時の古今に論なく、国力充たず、国威揚らずなどいふことあるは、其処に高利貸を欠くがためなり。利のみならず、総てに高き営業なることは、文明国に多く栖息すといはんよりは、跋扈するを見て知るべし。

○縦横計不就、慷慨志猶存。高利を借れるなり。人生感意気、功名誰復論。情婦を持てるなり。

○待てと一人、わが言を遮りて曰く、驕奢者狭斜也、義者妓也、音相通ずるにあらずやと。げにもクンシは漢音也、キミコは和訓也。

○さらば等、酔へや眠れや夢よや。覚めざれば呼ばず、さめて初めて天を呼ぶは、人各々に定まれる義務にてもあるべし。

○衆皆酔ひ、吾独醒むといふは、九尺二間の事なり。裏長家の事なり。運命を総後架と、掃溜とに隣りて有する不理窟なり。今と雖も、遂に水に赴かざるを得ず。