制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2002-03-27

『日本語の年輪』

惹句

「單語の意味の歴史をたどることは、やがてその民族の心情や文化の歴史をたどることである」といふ角度から、"美"を表現する言葉、"祈りと願ひ"のこめられた言葉、"若い人たち"の使ふ言葉などを解明してゆく一方、"日本語の歴史"の中で漢字の占める役割や假名發生の原因に觸れる。國語問題を正しく理解し、日本語および日本文化の將來を考へるための必讀の書である。

目次

本文から

「敗戰によつて國語問題が進展する」で、大野博士は戰後の國語國字改革に強い調子で疑念を表明してゐる。

しかし、現代かなづかい、當用漢字の決定において學問的用意が不足してゐた。またその後、内閣訓令、告示といふ形で廣められた、教育漢字・當用漢字字體表・當用漢字音訓表などについても、その決定の根據は明示されず、實施にあたつては案の不備が各所に現はれて來た。そこで、送り假名法が公布された時、戰後の國字改革に對する批判が各所から起りはじめた。文字を制限して、人々の表現の自由を拘束する權利を誰も持たないはずである。すべてが漢字全廢といふ路線の上を、十分な調査もなく進められてゐるのはいけない。文化運動であるべきものを、内閣訓令・告示といふ形を取るのは不當である。國語審議會を表音主義者に任せておいてはならないといふ主張に對して、改革推進派は、國民の誰でもが易しく書ける、讀める文字を要求し、印刷・通信の速度のためには漢字制限も止むを得ないと主張してゐる。

表音主義の人々は、言語を傳達の一手段にすぎないと見てゐる。しかし、文藝家は言語は文化それ自身であると考へる。ここに言語に對する最も根本的な態度の相違がある。それが文字改革に對する全く異なる態度となつて表明される。改革派は文部省といふ官僚機構をもちゐ、さらに最近は、國の最高の議決機關である國會を利用するために、國會議員に働きかけつつある。批判派の團體もやうやく結成され、可能な多くの手段を使用しようとしつつある。

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