新漢字正かなづかひ。
芝居といへば、歌舞伎座からの中継の「膝栗毛」を見たら、これはまた女劍劇以下にある、いやはやといひたくなる、低級なものであつた。あの手この手の末は、今年は原作者の一九を何回も登場させて、かれこれいはせてゐるのであるが、その一九が白塗で、夏羽織などを着込んで、福岡貢蔵として済ましてゐるのは、羽振のいゝ、現代作家でもモデルとしてゐるのであらうか。その一九に「お嬢様」があつて、「おとう様はどこまでも庶民の味方となつて、庶民の喜ぶ作をして下さい」といふやうなことを口にする。これもいやはやものである。弥次郎兵衛、喜多八は勘三郎と松緑とでするのが、どちらもづんぐり型で、変化がない。喜多八はもと役者上りで、弥次郎兵衛の弟分なのだから、年若のへなへなした男にしなくては感じが出ないのに、いつからか弥次郎兵衛が二人出たかと思はれるやうな弥次喜多で、年齢の相違もないことにしてしまつた。古いことをいひ出すけれども、大正何年かに市村座で、菊五郎の弥次郎兵衛に、先代の勘弥が喜多八となつたのなどは、いかにも弥次喜多らしかつたといつていゝ。その勘弥以後に、喜多八らしい喜多八など、ついぞ見たこともない。それで済むのだから、よいのではないかといはれるかも知れないが、智慧のない話だと思ふ。
六興出版は1992年に倒産。本書は所謂ゾッキ本として大分古書市場に流れたらしく、手許にあるものもB印が押されてゐる。