制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-06-15
最終改訂
2016-01-28

森銑三の『井原西鶴』

井原西鶴は明治になつて脚光を浴びるやうになつた。西鶴を再發見したのは淡島寒月である。俳諧師・西鶴は『好色一代男』以來、浮世草子の作者となつた、と云ふのが明治以來の定説である。しかし、「西鶴の小説」「西鶴の浮世草子」として認められてゐる多くの本が、西鶴自身の著作であると云ふ確證は、實は存在しない。現在、西鶴の著作とされてゐる殆どの作品は、「恐くは西鶴の著作であらう」と推定されたものであるに過ぎない。

多くの「西鶴の著作」がさう推定されたのには、それなりの理由があつたからだが、その「理由」には案外怪しげなものが多い。何しろ文獻考證の基礎が固まつてゐなかつた時代にさう推定されたもの許りなのである。それなのに、今に至るまで西鶴研究者は「推定西鶴著」の作品を疑はうともしない。それは奇妙な事だ、と森銑三は言ふ。

藤岡東圃は『萬の文反古』が西鶴の著作ではないと言つた。幸田露伴は、餘りに文章が拙劣であると云ふ理由で、『本朝櫻陰比事』が西鶴作ではあるまいと言つた『蝸牛庵夜譚』。柳亭種彦は、江戸時代の戲作者だが、『好色五人女』は西鶴以外の誰かが西鶴を模倣した作品だと言つてゐる。だのに、現代の西鶴研究者は、これらの説を否定もせず、ただ默殺するばかりである。

森銑三は、所謂「西鶴著」の作品を比較檢討し、文體・用語・思想の觀點から『一代男』とその他の作品との間に懸隔のある事を見出した。一方『一代男』はそれ以前の明かに西鶴の著作と認められる文章との間に多くの共通點を持つ。結論として森は、『一代男』のみが西鶴の作品であり、その他の浮世草子は全て西鶴の作品ではないとする。

森の結論は、極端であるやうに見えるが、筋は通つてゐる。實際のところ、「西鶴作」とされる多くの浮世草子に、「西鶴作」と明記されたものは存在しないし、それが西鶴の作品であると云ふ積極的な理由も存在しない。森は、多くの「西鶴著」とされる浮世草子は、實は「西鶴編緝」のものなのではないか、と言つてゐる。

詳しい考證は森の著作そのものを見て貰ひたいが、森が原本を讀込み、データを整理した上で結論を下してゐる事は間違ひない。ならば、森の極論も、研究者は一應氣にしても良いのではないか。

森は、『一代男』が『伊勢物語』をベースにした俳諧趣味の散文文學であり、小説ではない事を指摘してゐる。『一代男』が本來七卷本の整然たる姿を持つてゐたであらう事を推定してゐる。また、誤字・誤植の多い事を指摘し、原文絶對主義を批判してゐる。森は、單にデータ、データと言つた譯ではなく、文學的な見地から『一代男』の眞實の姿を再現しようとした。現代の文學研究者に、文學的センスの缺落した者の多い事は問題である。

活字本や解説書は手頃だが、それは從來の「研究」と云ふ色眼鏡を通して『一代男』を見る事にしかならない。原本の語句・文體に基いた統計的な西鶴研究は、今も餘り出てゐないやうである。或は、原本のスタイル(反面・文字・指し繪)も參照した研究は案外少いのではないか。

森銑三の西鶴研究を評價した數少い人物の一人が谷沢永一。『紙つぶて』で谷沢は森の西鶴研究を三囘とりあげてゐる。谷沢によれば、森の西鶴研究は從來、殆ど顧みられなかつたさうである。水谷不倒は、西鶴の著作だと信じられてゐる多くの浮世草子がどうやら西鶴著ではないらしいと氣附き、西鶴本と呼んだ。中村幸彦は「編緝者西鶴」と云ふ觀點から、森銑三の研究を發展させようとした。長谷川強は學界が一貫して森の説を無視してきた事を批判した。昭和50年代以前には、その程度であつたさうである。

森銑三の著作

『西鶴と西鶴本』

『西鶴と西鶴本』表紙畫像
昭和30年3月30日發行
元々社・民族教養新書29
正漢字正かなづかひ

人物叢書『井原西鶴』

人物叢書 新装版『井原西鶴』カヴァ畫像
昭和33年11月25日第1版第1刷發行
昭和60年11月1日新装版第1刷發行
吉川弘文館
新漢字新かなづかい

森銑三著作集續篇 第四卷