「津下四郎左衞門」について、森銑三は以下のやうに述べてゐる。
この一篇を通して、飽くまでも善事と信じて横井を要殺した四郎左衞門その人の心事と行動とが明かにせられてゐるばかりか、さうした擧に出でた父四郎左衞門のために、どうかして冤を雪ぎたいと思ふ正高の切實な氣持が惻々として讀者の心を打つ。正高の肺腑から流出る言葉をそのまゝに表現してゐられる點に鴎外博士の大きな筆の力がある。どこまでも正高の氣持を重んじて、その人のために敢へてこの一篇を公にせられた博士は、ありがたい人だつたといひたい。
博士は四郎左衞門の行動を是認せむがために、横井小楠その人を傷けることを極力避けてゐられる。敍述の態度は愼重を極めてゐる。そして問題の書天道革命論をも横井の作るところではあるまいとしてゐられる。横井を認めようとする人は何れもそれに左袒するであらう。しかしこの問題に就いては、内田遠湖翁の研究が昭和十七八年頃の雜誌大日に發表せられてゐる一事をここに附記して置かう。
「津下四郎左衛門」には後記がかなりの量を占めてゐるが、その最後に敢然四郎左衞門の無罪を主張する若江薫子のことが點出せられて、さらに全篇に緊張の度が加はる。抽齋の妻五百、その女陸、この薫子、そしてまた鴎外博士の筆に上せられた安井夫人その他を通觀する時、從來のたゞ從順なるを以てよしとした女性觀に慊らず、女子にも個性を尊重せられた博士の態度が窺はれよう。この一事に就いては、なほこれを細論してくれる人があつてもよいであらう。