南方から歸つて

底本
三木清全集 第15卷
1967年12月18日發行
岩波書店
初出
昭和18(1943)年2月 日附および執筆紙不詳

 南方から歸つて考へることは多いが、特に學問に關係のあることで、二三の感想を書いてみたい。

 先づ私は知識といふものの必要を痛感したのである。さしあたり語學の知識である。フィリッピンでは英語だけでは十分でないが少くとも英語ができなければ第一線の仕事はできない。現にあちらで第一線に立つて最もめざましく活動してゐる人のひとりは、アメリカで幼稚園から大學までやつたといふ人である。この人は、フィリッピン人も、アメリカ人よりも英語がうまいといつて感心してゐるほど英語に堪能であるがそれでゐて日本精神といふものもしつかりと掴んでゐるのである。初めは單なる通譯のやうに見えたが、その人がいつのまにか本尊と見えるやうになり、本尊はかへつて影が薄れるといふ有樣であつた。私の如きも、むかし學校で英語を習つたことを今度ほど有難く思つたことはないのである。

 英語は敵國の言葉であるからといつて、その學習を排斥する者があるが、かやうな狹い量見で大東亞の建設などできるものではない。それは第一線の現實を知らない觀念論に過ぎぬ。ところがこの種のいはば「後方の觀念論」ともいふべきものが、種々の方面になほ存在してゐることは、遺憾である。我々はもちろん日本語だけでやつてゆけるやうな日が早く來ることを期待してゐる。しかしそれまでには、いろいろ困難な現實と戰はねばならず、戰ふためにはあらゆる武器を利用しなければならないのであつて、語學の知識はかやうな武器の一つである。

 すべての觀念論はけつきよく自己滿足もしくは自己陶醉に過ぎない。ところが戰ひにはつねに相手がある。相手を撃破しあるひは説得するためには、相手に通ずる言葉が必要である。今度南方の宣傳戰あるひは思想戰に從事した、責任感のある者の誰もが切實に感じたのは表現の問題、つまりどのやうに表はせば日本の思想を敵にあるひは原住民にわからせることができるかといふことであつた。これは單に語學の問題でなく、また實に論理の問題である。論理といふものも言葉、「言葉の言葉」である。日本精神といひ日本的世界觀といふものは、日本人同志の間なら、論理を介しなくても、感情だけでわかるかも知れない。しかし前線において異民族を相手にして、敵の思想を撃破して日本の思想を滲透させるためには、論理がなければならぬ。論理を無視することがあたかも日本的であるかの如き議論は、これも前線の現實を考へない「後方の觀念論」である。戰爭の現段階において、世界を相手に呼び掛ける必要がいよいよ大きくなつてきた時、日本の思想は世界に通ずる言葉即ち論理を持たねばならぬといふことがいよいよ切實に感じられるのである。日本的世界觀といふものも、戰ふ世界觀として、論理を持たねばならぬ。さうでないと、それはせいぜい武力の後からついて行くだけで、武力と並んであるひはこれに先んじて戰ひ得る力を持たないのである。

 私が南方において特に必要を感じたといふのは實證的知識である。何をするにしても、實地の調査と研究に基く知識が必要なのである。フィリッピンでは、アメリカ人の調査や研究がいろいろあるにしても、アメリカ的な觀點といふものがあるので、日本の思索の立場においては足りないものが多く、そのまま使へないものが多い。すべての實踐は實證的知識を基礎としなければならぬ。そこで現地においては調査研究が何よりも必要なのであるが、かく實證的であることは日本の學問においても大切である。

 ところが從來日本の學問はかやうな實證的研究をとかく輕視するといふ傾向があつたのではなからうか。もちろん學問には實證性と共に論理性が要求されるのであつて、科學性といふものは實證性と論理性との統一として成立するのである。ところが現在では、學問においてかやうな科學性よりも思想性が問題にされてゐる。かやうに思想性が問題にされるといふことは、今日學問においても世界觀的變革が問題になつてゐるとき、理由のあることである。しかしながら、ただ思想性だけを問題にして科學性を問題にせず、特に實證性を無視するといふことは、これも前線の現實と一致しない「後方の觀念論」といふものである。私が戰場において經驗したのは近代戰といふものの假借なき非情性であつた。日本が當面してゐる嚴しい現實は、甘い觀念論、浪漫的な形而上學で乘り切れるものではないのである。ところが近來かやうな觀念論的形而上學的傾向が著しく濃厚であるのは、反省を要する。學問の世界にもいはゆる質實剛健の精神がなければならないのであつて、そしてこれは何よりも實證的研究を重んじる精神である。

 私はもちろん單に知識だけを尊重しようといふのではない。戰場を見てきた者の誰が、實踐の必要を感じなかつたであらうか。そこには觀念だけではどうにもすることができない冷酷な現實がある。戰ふ日本が必要とするのは實踐的人間である。私は、日本の知識階級には一般に鬪志が足りないといふことを痛感したのである。思想と實踐とは一致しなければならぬ。

 そこに乖離がある場合、その弱點を異民族はつねに容赦なく鋭敏に感知するといふのが、前線の現實である。口先でどれほど立派な事を言つても、實行が伴はなければ、異民族はついて來ない。いくら聲を大きくして日本的精神主義を説いても、その人の實際の生活が米英的唯物的享樂的であつては、思想も思想の用をなさぬ。戰ふ日本はむしろ默々として働く人間を必要としてゐるのである。

 その人の思想だけを問題にして、その人の生活を問題にしないといふのは、敗北主義の一種である。ところで思想と實行とが一致しないといふ場合、その人間に缺陷があるといふばかりでなく、その思想にも何か缺陷があるのではないかどうか、反省の要があるのである。つまりその思想があまりに觀念的であつて、現實を處理するに役立たないといふやうなことがあるのではないか。即ちこの場合にも思想の實證性が問題である。

 自分の思想の試金石を自分の生活に求め、その思想でさしあたり自分の生活の諸問題を解決することができるかどうかを檢證しなければならぬ。それは思想の理想主義的性質を剥奪することではなく、却つてそれほど我々の生活そのものが世界史的現實となつてゐるのであり、それほど我々は歴史的實踐的であることを要求されてゐるのである。「ここも戰場だ」といふ自覺をもつて、あらゆる種類の「後方の觀念論」を克服しなければならぬ。