手記

マルクス主義哲學について ──特にその宗教論及び自然辯證法の主張について──

はしがき

最近「三木哲學」批判として現はれた文章は十指をもつて數へることが出來ない、私の眼に觸れただけでも左の通りである。

 これ等の批評家たちは殆ど凡ての場合、所謂「三木哲學」がマルクス主義と如何に相違してゐるかを示さうとした。そして彼等の多くにとつては、マルクス主義と相違するといふことは直にそれが誤謬であるといふことを意味するのである。だがこれ等諸君の努力は無駄であつた。諸君が聲を大にして叫ばれるところのものは、もともと明白なことであつて、今更取り立てて云ふを要しなかつたことであるからである。私の哲學とマルクス主義とを同一視することの出來たのは、ただわいわい連か若くは自分で哲學もマルクス主義も嘗て根本的に研究したことのない者かに限られてゐた筈である。不幸にしてこのやうな無智な連中はその數があまりに多かつたかも知れない。然しながら、本當に學問があり若くは學問的に研究することを知つてゐる者は、私の哲學がマルクス主義のそれと同一でないといふことを最初から認識してゐた筈である。彼は私のどの數頁を吟味することによつても、このことをいつでも確認することが出來る。私は私の従來の著作のいづれに於ても私の根本的態度を變更したことがなかつた。

 私の根本的態度といふのは何處にあつたか。第一に私は最初からマルクス主義の上に立つて他の諸問題をその見地から論究したのでなく、却つて自分自身の哲學上の立場からマルクス生義そのものを問題としてこれを取扱つたのである。このことと關係して第二に、私の態度はマルクス主義を主張するといふよりも寧ろこれを辯護するといふ傾向をもつてゐた。かくて私がマルクス主義者と呼ばるべきでないことは明かである。なぜなら殺人者を辯護する者が必ずしも殺人者でないと同じやうに、マルクス主義を辯護する者が必ずマルクス主義者であるわけでない。蓋し私はマルクス主義の立場に立脚してマルクス主義を擁護したのでなく、却つて私自身の哲學的立場からしてそれを辯護したのである。そしてこの二つのことが全く違つた二つのことであるのは明瞭である。

 それでは何故に私はマルクス主義を辯護することに傾いたのであるか。私はわが國の思想家、哲學者たちが、マルクス主義と云へぱ淺薄なものとしてこれを輕蔑し、若くは何か恐しいもの、觸れてはならないものとしてこれを敬遠し、かくてそこには無視と默殺とが支配してゐる状態に對して大なる不滿足、否、反感乃至反撥をさへ感じたのである。苟も學問に忠實なる者にとつては、それが如何に彼の徒來の考へ方に反對であらうとも、それが如何に危險に見えようとも、それに近づいていつて親しくそれを研究することは、彼の義務でなければならない。且つ私はどのやうな思想でもそれが人々を動かし歴史を作りつつあるものである限り、そこには必ず何等かの眞理が含まれてゐるのでなければならぬ、とかねて信じてゐる。かくして私はマルクス主義のうちに含まれる眞理内容を闡明することに努力して來た。そしてこのことはまた私自身の哲學の發展にとつても少からぬ利益をもたらしたことと思ふ。

 凡そ學者であるためには學問上自分の立場をもたねばならぬ、これが私の學に志して以來の願ひである。ヨーロッパに於ては學者と呼ばれるほどの者はつねに何等かの自己の立場を有するに反して、日本の學者は往々にして博識博學のみをもつて能事終れりとなす風のあるのを、私はひそかに歎いてゐる者である。私は絶えず自分自身の哲學を求めて歩いて來た。その途上に於て優れたものに出會ひ、一時はそれに心を奪はれてしまふこともありはしたが、然しいつでも究極はそこに留まることが出來なかつた、なぜならそれは遂に自分自身のものでなかつたからである。このやうにして私は或る時は西田哲學に、他の時はハイデッガーの哲學に、力強く引摺られていつたが、然しまたそれらのものから勇敢に立ち去つてゆくことを知つてゐた。マルクス主義もまたかくの如き私の哲學的旅に於て出會つたひとつのものに過ぎないのである。私ほもとよりそれから多くを學んだ。然し私は結局マルクス主義者ではないのである。

 若しひとが私をマルクス主義者であると云へば、それは何を意味するか。今自分の故郷を求めて旅する一人の男が東京へやつて來て、見聞せんがためにそこに暫く滯在してゐるとする。街で彼を見かけた人は恐らく彼をもつて「東京市民」であると考へるであらう。これは自然である、なぜなら實に多くの東京市民は東京で生れた人々ではないからである。然しながら、他の多くの人々が、よしその郷里は東京でないにせよ、東京に定住してゐるのに反して、彼はつねに彼の故郷を目差してゐるが故に、彼は眞實には東京市民とは呼ばれることが出來ない。單に現前の事實を見て全體を見ることを知らない者が、彼をそのやうに呼ぶに過ぎない。私がマルクス主義者と呼ばれること、恰もこの男が東京市民と呼ばれるが如くである。かく呼ぶところの者は、單に事實を見て事實の「意味」を認識し得ない者か、若くは單に個々のものを知るのみで「全體」を知らない者かである。

 私はマルクス主義から多くのものを學んだ。然しそれを鵜呑みにしたのでは決してなく、却つてつねに批判的に攝取した。それ故に私はマルクス、エンゲルス、レーニンなどを「教父」(Kirchenvater)の如くに取扱ふ教會的マルクス主義に封していつも反對して來た。丁度中世の神學者たちにとつて「聖トマス曰く」「聖オーガスチン曰く」と云ひさへすれば凡ての問題の解決となつたやうに、ただマルクスやエンゲルスやレーニンの言葉を持ち出しさへすればそれで問題は片付けられるもののやうに信じてゐる獨斷的マルクス主義者に對して私は戰つて來た。私の従來の諸論文に於てそれ等の人々を引用するよりも更に一層多く所謂觀念論者或ひはブルジョア哲學者を引用してゐることは、誰でも容易に氣付き得るところであらう。事實、私はマルクス主義からのみ學んだのでなく、却つて他のものからその幾倍、幾十倍を學んだ。それだから私は昨年「プロレタリア科學研究析」の創立にあたつてそれに參加した一方、他方ではまた最近「プラトン・アリストテレス學會」(Platon-Aristoteles Gesellschaft)の設立のために努力しつつあるのである*。

 かくて如何にして私の哲學がマルクス主義哲學と等しくあり得ないかは明かであらう。私自身の思想はなほ未だこれを十分に體系的に展開し得るまでには至つてゐないが、然しひとがこれを「三木哲學」と呼んで他のものから區別し得る程度には確固たる形を具へてゐるのである。この哲學は、マルクス主義が唯物論であるのに反して、唯物論でさへないのである。私はこれを「存在論」と稱してをり、ギリシアの古典哲學の傳統をひくものである。──私は極めて多くのものをアリストテレスから受け容れた。──然し私の存在論的立場は、ギリシアのそれとは異つて、「人間學的」であることを特色とする。更にまたマルクス主義者が辯證法の適用の普遍性を主張するのに對して、私はそれ等の適用が一定の存在の領域にのみ制限されてゐると説く。このやうに既に最も根本的な且つ最も一般的な點に關して、私はマルクス主義と一致し得ないのである。

 それにも拘らず、私の哲學が現代の他の諸哲學に對して有する特色は、他の諸哲學が概ねマルクス主義に對して何等の結合點をももたないのに反して、私の哲學は、固より一定の限界内に於てではあるが、マルクス主義的學説を權利付けることが出來るところにある。かかる結合點が存在するが故にまさに、私自身またマルクス主義から學ぶことが出來たのでもある。そして私はマルクス主義の諸根本思想に對して私自身の立場から、世界的文献の間に伍して、極めて特色ある、獨自なる解釋を與へ得たと信ずる。この點自らひそかに誇りと感じてゐるところである。

 私は今ここに自分の立場を詳細に展開し、且つそれとマルクス主義との間に於ける差異を一々論述することが出來ない。ここに與へられるのはその一、二の、しかも專門的、哲學的な問題に這入らない、從つて甚だ不完全な不滿足な見本であるに過ぎぬ。寧ろここでは凡てがただ輪廓的に且つ常識的に語られるだけである。

宗教について

 先づ最初に云つておかう。私は元來宗教的傾向をもつた人間である。私はこのことを單に斷言するのでなく、私の著書『パスカルに於ける人間の研究』がそれに對する立派な證據を與へてゐる筈である。そこにはパスカルに對する私の解釋を通じて私の宗教的感情が流れてゐる筈だ。そしてこの私の宗教的な氣持こそが私を究極に於てマルクス主義者たることを不可能ならしめるところのものの一つである。

 マルクス主義の宗教論が、若しこれを文明批評として見るならば、多くの眞理を含んでゐることは爭はれない。現代の宗教界の墮落の事實に對しては、正直に事物を觀察し得る者である限り、何人もこれを否定することが出來ない。教會または寺院宗教家は自分で搾取してゐるか若くは搾取してゐる者の代辯者であるかである。然しながらそれは「宗教」がさうなのであらうか。否、そのやうな事實は、寺院や僧侶のうちに實に「宗教」が死滅してゐるがために生じてゐるのではないか。眞に宗教を目的として生活してゐる宗教家がなく、宗教を手段として生活してゐる宗教家のみであるからである。そこには宗教の名のみがあつてその實が失はれ、その形骸のみが存在して、その生命が死滅してゐるがためである。

 苟も眞に信仰ある宗教家が存在するならば、彼は宗教界の現状に對して、はたまた現在の社會状態に對して口を緘して傍觀することは出來ないであらう。

 眞の宗教家はつねに貧しき者の味方であつた。そして自分は乞食の生活に甘んじ、與へることを知つて取ることを知らなかつたのである。ところでマルクス主義者は云ふ、宗教は死滅する、と。私の問題は主としてここにあるのである。マルクス主義者が「宗教は阿片である」と云ふとき、若しそれが宗教の現状に對する批判の言葉であるならば、私はこれを認めざるを得ない。更にまたマルクス主義者が現在に於ける人類の解放は宗教によつてなされることが出來ないと云ふならば、この點もまた私は恐らく認めてもよいであらう。然しながら宗教は死滅するといふマルクス主義唯物論の根本的主張に對しては、私は到底贊成することが出來ないのである。

 私は云ふ、宗教は時代に應じてその形態を變化する、然しそれは死滅しはしない。例へばキリスト教の歴史に於て、宗教改革によつてプロテスタンティシズムといふ新しい形態が生じた。プロテスタンティシズムが資本主義社會といふ社會の新しい形態に相應したものであるといふことは、多くの人々によつて説かれてゐるところである。キリスト教は舊教から新教といふ形態を採るに至つたが、然しそれは死滅したのではないのである。近代資本主義社會への轉形期、即ち哲學史上所謂啓蒙時代に於ても盛んに無神論が宣傳された。けれども宗教は今日に至るまで存續してゐるのである。いつたい既に數千年この方存在して來たところの、從來の文化に於ける最も重要なる要素或ひは勢力の一つであるところの宗教が無くなると云はれ得るためには、何等か極めて有力な根據があるのでなければならぬ。然るにマルクス主義がそのために主張するところはなほ私を説得せしめるに足りない。

 私は他の場合に既にマルクス主義が哲學上の實證主義的傾向を帶びてゐること、そしてその點に於て私の同意し得ざることを述べた。マルクス主義に於ける實證主義はその宗教論に於ても明かに現はれてゐる。普通に實證主義の代表者として知られるコントが人間歴史の發展の段階を神學的、形而上學的、實證的の三つに分つたとき、その主意は昔は宗教的神話的觀念の助けを借りて説明されてゐた自然の諸現象が今日では實證的な合理的な自然科學によつて讒明されるに至つたといふ風に考へ、これをもつて人類の歴史の進歩の方向を示すものと見倣したところにあつた。郎ち宗教は未發達な科學にほかならない、從つて科學が發達すれば宗教は自然と消滅する。いまマルクス主義の宗教否定の思想のうちにはその一要素としてこのやうな考へ方が含まれてゐる。マルクス主義者は考へる、宗教が神秘的に表象し、神秘釣に解決してゐるところの問題をば、科學は合理的に把握し且つ合理的に解決することが出來る。それ故にマルクス主義的科學の出現した後に於てはもはや宗教の存在する餘地はない。嘗てライプニッツは美をもつて知識の低い段階であるとした。即ち科學が明晰判明なる表象であるのに對して、美とは混亂せる、曖昧なる表象のことである。そこで近世美學の祖と云はれるライプニッツ學派の人バウムガルテンは「感覺論」を意味する”Aesthtica”といふ名前のもとに於て美を論じ、そしてこの語が現代歐洲語に於ける「美學」といふ言葉の源となつてゐる。ところでマルクス主義者は美をもつて科學の低い、未發達の段階であるとは考へてゐない。藝術は科學からどこまでも獨立に存在するものであり、從つて後者の發達によつて前者は消滅させられるものではない、と彼等は見做してゐるのである。然しながら若し科學の發達によつて宗教が死滅するものであるとするならば、何故に、まさにその同じ理由によつて藝術も消滅しないであらうか。なぜなら美は、これを科學的に云へば、要するに假象(Schein)にほかならないからである。科學の發達にも拘らず、なほそれとは獨立に藝術が存在するとするならぱ、それはまさに人間の「本性」のうちに美を創造し美を享受する能力が具つてゐるからである。藝術に關係するところの、このやうな「自然的な」人間の能力をひとは普通に「感情」と呼んでゐる。そしてマルクス主義者と雖も藝術が感情とつながつてゐることを認めてゐるのである。科學が「思惟」のことであるに反して、藝術は思惟の能力とは區別される感情のことである。科學と藝術とが相互に區別され、各々獨立に──固よりこの獨立性は絶對的でない──存在してゐるのは、人間の本性そのものに於ける思惟と感情との自然的な區別に基礎をもつのである。それでは宗教はこのやうな意味に於て人間の本性のうちにその自然的な基礎をもたないであらうか。

 マルクス主義はこの問に對して否と答へる。そしてそこにマルクス主義の宗教死滅論のひとつの根據がある。マルクス主義によれば宗教はどこまでも「社會的な」起源のものであつて、それは人間の「本性」に於ける「自然的な」基礎をもたないものである。階級間の對立、一階級の他の階級の搾取、生産の無統制、市場の存在、そのほか生産の弱小等々、マルクス主義は凡て社會的なものに宗教の根源を見出さうとしてゐる。若しこのやうな社會的状態にして絶滅されるならば、即ち若し階級對立もなく、搾取もなく、市場の盲目的なカも在在し得ざる社會にして實現されるならば、宗教は必然的に死滅してしまふ。なぜならそこにはもはや宗教を成立せしめる何等の社會的基礎も存在しないからである。原因が無くなれば結果はおのづから無くなるの理である。

 人間と人間との對立、或ひは社會に於ける階級間の對立がもはや存在しない社會を假定してみよう。そこにもなほ社會と自然、寧ろ人間と自然との間の對立乃至矛盾は依然として存在するに相違ない。人間と自然との對立のうち最も重大なものは「死」である。死は我々の如何ともなし得ざる我々の自然である。しかも生のあるところ死は到るところに刻々にこれに件つてゐるのである。人間の生活にして死といふ問題を含んだものである限り、宗教は社會に於ける「社會的」矛盾の消滅と共に消滅すべきものとは思はれないのである。

 なるほど宗教は社會的である。それは社會的に制約せられ、社會性を擔つてゐる。然しそれだからと云つて、宗教は徹頭徹尾社會的に制約されてゐるといふことは出來ない。このことは藝術や科學の場合を考へて見れば分る。マルクス主義は藝術の階級性について語る。けれどもそれだからと云つてマルクス主義は藝術がどこまでも社會に於ける階級對立にその基礎をもち、かくて階級の對立なき社會の到來と共に消滅するなどとは主張しないのである。

 藝術について主張され得ないことが何故に宗教についてのみは主張され得るのであるか、私は理解することが出來ない。宗教は明かに社會的、從つてまた階級的な制約を擔つてゐる、しかしそれは人間の本性そのもののうちにも同樣に深く根差してゐる、と私は考へる。宗教のかくの如き「自然的な」根差の深さについて知るためにはただ偉大なる宗教家の魂の告白たる書物を讀めばよい。オーガスチンを、ルーテルを、パスカルを。そしてまた親鸞を。

 實際マルクス主義者たちはあまり「宗教家」(homo religiosus)を研究してゐないやうだ。そして彼等はただ宗教の外面的な、社會的、政治的な事實にのみ注目してゐる。然しながら「藝術家」を離れて藝術が理解出來ないのと同じやうに、眞の「宗教家」を除いて宗教を知ることは不可能である。私はマルクス主義者がエレミヤ、パウロ等の偉大なる宗教家を研究することを勸める。そのとき彼等は宗教が眞に人問の本性のうちにその根源をもつてゐることを認識するであらう。凡ての人間が藝術的創作をなし得ないからとて藝術が虚妄であるわけでない。世間の多くの人間が宗教に於て、ただ社會的な原因から生じ、從つてまた社會的に解決され得るところのもの、例へば貧困、の解決を──現世に於てでなく、彼岸に於てさへ──求めてゐるに過ぎないからと云つて、眞の「宗教家」の宗教が凡てまたさうであるとは云ひ得ないのである。

 尤も次のことを注意しておかねばならぬ。私は宗教が二つの方面若くは要素、即ち社會的要素と自然的要素とを含んでゐると考へる。然しながらこれら二つの要素がいつの時代に於てもつねに平等に我々にとつて問題になつてゐるわけでない。凡て人間はそれぞれの時代に於て、存在のうちに含まれるただ一定の方面若くは要素をのみ問題にするやうに餘儀なくされてゐる。そしてかく「問題にされた」要素がそれぞれの時代にとつてその存在に於て「顯はになつてゐる」方面であり、これに反してその存在に於ける他の諸要素はおのづからそのとき「埋沒」してしまつてゐるのがつねである。これは私の根本思想のひとつであるが、今これを先づマルクスの『資本論』に於て取扱はれてゐる「商品」を例として説明してみよう。マルクスの分析に從へば、商品には二つの要素が含まれてゐる。使用價値と交換價値とがこれである。そしてなほ彼の敍述からして、我々は使用價値が商品に於ける「自然的な」要素であり、そして交換價値がそれの「社會的な」要素であるのを知ることが出來る。ところでマルクスはその『資本論』に於て一旦先づ商品のうちに含まれるこれら二つの要素を明かにした後に、次に商品からその使用價値の方面を捨象して、その後はただ交換價値についてのみ論述してゐる。『資本論』に於ては商品の交換價値から出發してその全運動が敍述されてゐるのであつて、最初に商品の一要素として示された使用價値の方面は全く捨象されてしまつてゐる。これは如何なる理由によるのであらうか。蓋し「資本家的な」生産の仕方が行はれてゐる社會に於ける商品の「優越なる存在の仕方」を規定するものは、その交換價値である。これに於てそのとき商品の存在は「顯は」になつてゐる。これに反してその場合、それの使用價値は、私の言葉を用ゐるならば、「埋沒」してゐるのである。それは實に「埋沒」してゐるのであつて、決して全く「無い」のでもなければ、無くなつてしまつたのでもない。なぜなら若しも商品なるものにして、使用價値を全く含まないとすれば、それが社會に於て──資本家社會であつても──苟も交換されるといふことは全然あり得ないことでなければならぬからである。使用價値は無いのでなくして、ただ埋沒して顯はでないだけである。宗教についてもまた同樣のことが語られねばならぬであらう。宗教のうちに含まれてゐるところの「自然的な」要素は、なるほど、現代の社會に於ては埋沒してしまつてゐる。否、むしろ埋沒することを餘儀なくされてゐる。そこにはそれの社會的な要素のみが顯はである。然しながら宗教の自然的な本質は、要するに單に埋沒してゐるのであつて、決して無いわけではないのである。それだから、それは一定の時代に於て、一定の關係のもとにあつては、必らずや再び顯現すベきものである。マルクス主義者が宗教をただ單に社會的な起源のものと考へてゐるのは、恰も商品を單に交換價値と見做して、それが同時に便用價値であることを忘れてゐるのと同樣である、と私には思はれるのである。

 誤謬の出發點はマルクス主義者に於ける宗教に對する理解の不十分にある。私は今それを一々ここに指摘することが出來ない。なぜなら、そのためにも全宗教論を展關することが必要であるからである。ここではただ一二の例をもつて滿足しよう。例へば、マルクス主義者は宗教をもつて本質的に「彼岸主義」であるとしてゐる。云ふまでもなく「超越」といふことは宗教の本質に屬してゐる。しかしこの超越は彼岸主義とは直ちに同一ではない、それのみならず、宗教に於ては、超越(Transzendenz)の反面には必ず内在(Immanenz)がある。神は單に超越的としてでなく、同時にまた内在的として考へられる。宗教は凡て現實を逃避して彼岸の世界を求めるのではない。寧ろ現實に對する最も熱烈な鬪爭をも宗教は要求してゐるのである。次にマルクス主義者は宗教をもつて單に「觀念論的」であると見做してゐる。この見方もまた不十分である。宗教にあつては、本來、ただ所謂「靈魂」が問題になつてゐるのでなくして、却つてそこでは人間の「全存在」が問題になつてゐるのである。靈魂と雖も、それが人間の「全存在」の問題と關係して問題となる限りに於て初めて宗教的な一意味をもつのである、と云はれなければならぬ。

自然辯證法について

 自然辯證法について、この問題がその性質上要求するやうな廣汎な且つ嚴密な取扱ひをすることほ今は許されてゐない。ここでは單にそれについて暗示し若くは結論を述べることだけをもつて滿足せねばならぬ。けれども暗示でなく説明が、結論でなく論據が一層重要であることは固より云ふまでもない。

 自然の辯證法といふことがマルクス主義にとつて大切な位置を占めるといふ理由は明かである。第一に自然はその哲學的唯物論の基礎と信ぜられてゐるからである。然らばマルクス主義者たちは「自然哲學」の意味で自然辯證法を説いてゐるのであらうか。さうではない。蓋しマルクス主義者によれば、哲學なるものは方法論につきる。方法論以外に別個獨立なものとしての哲學はあり得ない。從つてマルクス主義は「自然科學」のほかに「自然哲學」のあることを許さないのである。かくしてマルクス主義は自然辯證法を實に自然科學の方法論として要請し、自然科學者たちが唯物辯證法に從つて研究することを要求する。否それのみでない、彼等は自然科學の現在到達した諸結果そのものが唯物辯證法に合致し、これの正當さに對して證明を與へてゐる、と主張するのである。ところでこのやうに「科學」以外に「哲學」の別個な存在を認めず、何よりも自然科學に結びつき、そこに於て自己の哲學的主張の正當さの證明を見出さうとする要求のうちに、我々は明かに哲學上の「實證主義」の傾向を看過し得ない。

 さて現代の自然科學的研究の諸結果は唯物辯證法にとつて有利なものであるであらうか。遺憾ながら疑問なきを得ない。寧ろ自然科學者の大多數は反對の意見であるやうに見える。ソヴェトロシヤに於てさへこの問題については自然科學者の凡ての同意があるわけでない。自然科學と辯證法に關するデポーリンとステパーノフとの論爭に際して、「機械論者」と見做されたステパーノフの側には多くの自然科學者たちが立つてゐたのである。この場合我々は、「それは自然科學者が辯證法を知らないからだ」と云つて、問題を片付けてしまつてはならない。自然科學者たち自身が、その研究の成果が辯證法に合致するものと認めてゐない以上、我々はなほそこに問題が横たはつてゐることを考へざるを得ない。私

 は近代自然科學と辯證法的方法との間の乖離はかなり深い處に根差してゐるのではないかと思ふ。近代自然科學はその根源的な起源を自然に對する人間の實踐的な支配といふところにもつてゐる。單に自然を眺め見るのでなく、これに働きかけてこれを變化する目的から自然科學は生れた。自然科學は「生産し」ようとするのである。然るに自然科學のこのやうな目的はかの有名な言葉”voir pour prevoir”で表はされてゐるやうに、「豫見する」、「豫測する」といふことが出來るに至つて初めて十分に達せられ得るであらう。自然科學に於て求められる所謂「自然法則」なるものは、このやうな目的に適したものでなければならぬ。これが、私の見るところに依れば、近代自然科學がその方法に於て「機械論的」であり、その法則の機械的法則であるところの最も重要な理由である。機械論と云ふのは、一言で云へば、「質を量に還元する」といふことにある。そこからして近代の自然科學は數學化といふことを自己の意圖としたのである。

 科學的思惟のかくの如き性質は、例へば、べルクソンの如き哲學者たちによつて既に明瞭に指摘されてゐる。ベルクンンによれば、我々の科學的知識は純粹に知るために知るのではない、却つて物を作るために、それから利益を引き出すためにのみ、知らうとしてゐるのである。この意味に於て思惟は凡て質的なものを量的なものに置き換へる。それは、ペルクノンの言葉を用ゐるならば、時間的なものを空間的なものに、或ひは純粹持續を空間化された時間に還元する。然るにベルクソンに從へば、眞の實在即ち純粹持續は純粹に質的な、それ故に各々の瞬間に於て異質的なものである。實在は、質的なものを量的なものに還元して認識することをその本性とする「思惟」によつては把握されず、ただ「直觀」のみがそれを理解し得ると彼は考へた。ベルクソンの思想のうち今の場合重要なのは、物を作り若くは物を變化することをその内在的な目的とする科學的思惟は、その本性上質的なものを量的なものに還元するといふこと、且つこのことは特に未來を「豫測し」得るために必要であるといふこと、を彼が説いた點である。

 ところで辯證論者はかくの如く質を量に「還元する」といふことは正しくないと考へる。このことをデボーリンの如きは彼の所謂機械論者に對する論爭の中で繰返し述べてゐる。辯證法的な關係に於ては量から質への轉化若くはその逆が語られ得るのみである。そこにはつねに「轉化」または「中斷」、「飛躍」といふが如き概念が含まれてゐるのであつて、これらの概念は云ふまでもなく「還元」といふことと相容れない。「飛躍」や「中斷」などといふことは或る還元出來ぬものの存在することを表現してゐる。

 今若し自然科學に於ける法則が辯證法的な關係を現はすものであるとせよ、そのとき最も不幸なことは、かくてはその法則によつては何等の「豫測」も眞の意味に於てはなし得ないといふことである。丁度マルクス主義の社會科學に於て、社會革命の到來の必然性を辯證法的に論述したとしても、しかしその辯證法によつて、我々は何年何月何日にまさにかくの如き革命が起る、と「豫測」することは出來ないのと同じである。然るに自然科學の求めてゐるのはまさにかかる嚴密な意味に於ける豫見である。例へば、今日天文學は何年何月何日何時何分に日蝕が起るといふことを正確に豫測し得る状態にある。これはまさしく天文學の法則が「機械的」であるがためである。

 若しそれが「辯證法」であつたならば、このことは不可能であるであらう。辯證法に於ては豫測といふものが本來の意味では行はれない。例へば今現在の社會を分析して、そこに必然的なる「矛盾」の存在することを發見したとする、かかる矛盾にして存在する以上、この社會は必ずや變化し、このままで存續することは出來ない。即ち社會の變化の必然性は辯證法的に認識することが出來る。けれどもその變化の到來する時間、空間的位置を豫斷することは辯證法には許されてゐない。換言すれば、辯證法は將來について「見通し」を與へるものであるが、將來を「豫測」せしめるものでない*。更にまたそれは來るべき社會が如何なるものであるかを豫測せしめることも出來ない。蓋し辯證法的な變化は要するに「飛躍」であり、「綜合」即ち矛盾の統一として現はれるのであつて、かくの如き綜合乃至統一に於てはつねに嘗て存在しなかつたところの「新しいもの」、それ故に豫測し得ぬものが生れると考へられてゐるからである。

 かくして辯證法を自然科學の方法論として要求することの困難は明かになるであらう。即ちかかる要求は自然科學をしてその本來の最も重要な性質のひとつであるところの「豫測」といふことを放棄せしめることになる。然るにかくの如き放棄はまさに自然科學的知識が物を作り用し、物を變化せしめるための知識であるといふことを斷念せしめることとなり、そしてこのことは「生産」または「生産力」といふものを最も重要視するところのマルクス主義の根本思想と矛盾することになるであらう。

 辯證法的自然觀はへ−ゲルがその自然哲學の中で敍述したところである。そして自然哲學はへーゲルの體系の中に於ける弱點(Wundepunkt)と從來見做されて來た。この思辨的な自然哲學こそへ−ゲルの哲學をその當時沒落せしめるに至つた最も重大な原因のひとつであつたのである。ところでデポーリンの如きはかくの如きヘーゲルの自然哲學を新しい形で復活せしめようとしてゐるかの如くに見える。この企圖と雖も、固より、若しそれが「自然科學」以外に別個な「自然哲學」の存存を認める立場に立つならば、全く無意味なことでなく、却つて多くの興味を喚び起し得るものであらう。然るにこのやうな意味での「自然哲學」の存在を認めようとはしないマルクス主義者が辯證法的自然觀を樹立しようとしてゐるのは、私には理解し難きことである。私は自然辯證法がむしろマルクス主義にとつて一つの重大な傷口であるのではないかを恐れる。

 さてマルクス主義者たちが現代の自然科學の諸結果をもつて自己の唯物辯證法のために有利な證據を與へるものと幻想するに至る理由は次の點に隱されて含まれてゐる。彼等は第一に、辯證法と「有機體説」(Organologie)とを、第二に、辯證法と「微分法」(Infinitesimalmethode)とを區別してゐない。私の考へでは、これらの區別は甚だ大切であるにも拘らず、從來殆ど注意されてゐないのである。第一の區別については、私は既に簡單に取扱つておいた*。第二の區別についても、私は最近論文を發表したいと考へてゐる。蓋し微分法に於ては變量が問題となるところから、このものは辯證法と混同され易いのであるけれども、兩者は嚴密に區別されねばならぬ。私は今ここにこのあまりに專門的な問題に立ち入ることはしないで、ただ次の事實に注意しておかう。マールブルク學派(ヘルマン・コーヘンを頭領とする)の如きは、辯證法やへ−ゲルを形面上學的であるとして排斥しつつ、別に微分論理を打ち立てようとした。コーヘンの如きは微分論理の立場から『純粹認識の論理學』を書いてゐる**。そして最も注目すべきことは、コーヘンを初めとしてマールブルク學派の人々は、微分論理こそ近代の自然科學に最も確實な基礎を與へるものであると考へたといふことである。

 ここに於て我々には辯證法の妥當範圍について論及することが必要であらう。然るにこの問題についても私は既に私の意見を述べたことがある*。そのとき私は形式論理學と云はれてゐるものの固有なる領域が「本質存在」であるに對して、辯證法にとつての固有なる領域は「現實存在」であるといふ風に規定しておいた。私はここでは哲學的な議論に這入ることなしに、ひとつの實例をとつて簡單に私の意味するところを示さう。

 極めてよく知られてゐる例をとらう。今コツプの水を次第に熱して行く場合、それは、五十度に熱するも八十度に熱するも、九十度或ひは九十九度まで熱するも、依然として液體である。然るにそれを百度まで熱するとき、水はこれまでの液體の状態から突如として變じて氣體になる。これは辯證法に云ふ量から質への飛躍的な轉化の例として最も屡々好んで用ゐられるところである。ところで自然科學者たちはこのやうな場合、これを辯證法的に理解してゐるであらうか。化學者によれば、水とはH2Oである。即ち酸素と水素との合成物である。それが液體であらうが、それが氣體にならうが、水は水としてH2Oで表はされる。これは自然科學の目標とするところが質的なものを量的なものに還元するにあるからである。また水をH2Oでもつて表はすのは水を作るといふ見地からも大切であるとされねばならぬ。かくの如く自然科學者はマルクス主義が辯證法的過程を見出すところに何等の辯證法をも認識しないのである。

 然しながら我々はこの例をもまた一つの辯證法的なものとして理解し得ないのではない。他の見地からはそのことが可能である。即ち我々は質を量に還元するところの自然科學的立場を去つて、むしろ質を認める立場に立たねばならぬ。そのためには我々の「感性」に權利を認めなければならぬ。私が「現實存在」といふのはこのやうに感性的な存在である。蓋し人間の感性にとつては水と蒸氣とは明かに質的に異つたものであり、前者が後者になることはひとつの飛躍的變化として映ずるのみである。

 ところでここに云ふ「感性」は單に知的なものと理解されてはならぬ。人間の感性は、その現實に於ては、私が「状態性」と呼ぶところのものとつねに結び付いてゐる。換言すれば、我々が現實の生活に於て出會ひ、知覺されるところの事物は、單に「對象」であるのでなく、却つてつねに或る氣分、或る感じ等、一般に我々の生とそれが交渉する意味を直接に擔つてゐるところのものである。それは、私の用語に從へば、「對象的存在」ではなくして「交渉的存在」であるのである。かくして例へば、我々は我々の生活に於て、單にバラの花なる對象を見出すのでなく、「愛らしい」バラの花に出會ふ。これに反して或る他の花は「憎らしい」花としてあるのである。このやうに存在するものは直接に凡て生と交渉するところの意味をもつてゐる。そしてそれによつて初めて事物はその辯證法的性質を擔ふに至るのである。存在は人間の生活の中へ織り合はされてゐる限り辯證法的である。人間の生活を捨象するとき、そこには辯證法はない。從つて私がこれまで屡々主張して來た通り、辯證法の固有なる領域は人間の生活である。これまで或る哲學者たちが辯證法をもつて「思惟の論理」とせず、「感情または意志の論理」と見做したといふことも、若し辯證法の行はれる範圍が私の云ふ「對象的存在」でなく、「交渉的存在」であることを考へたならば、あながち理由のないことでもないであらう。このやうにして私が辯證法の妥當範圍として規定したところの「現實存在」は單に感性的存在であるのみならず、また「交渉的存在」であるのである。

 マルクス主義は辯證法の存在に對する制限されることなき普遍的な妥當を主張する。これに反して私は辯證法の妥當し得る範圍を主として現實存存に限定する。從つて例へば、本質存存の領域に對して或ひはまた對象的存在の領域に對しては、辯證法は本來の意味に於ては妥當し得ないのである。ところで自然科學に於て取扱はれるところの「自然」なるものは、私の云ふ「對象的存在」の領域に屬する。それ故にこのやうな自然に關しては辯證法はその研究の方法とはなり得ないのである。

昭和五年九月三日

豐多摩刑務所に於て

三木清

戸澤檢事殿