親鸞

底本
三木清全集 第18卷
1968年3月18日發行
岩波書店

第一章 人間 愚禿の心

 親鸞の思想の特色は、佛教を人間的にしたところにあるといふやうにしばしば考へられてゐる。この見方は正しいであらう、しかしその意味は十分に明確に規定されることを要するのである。

 親鸞の文章を讀んで深い感銘を受けることは、人間的な情味の極めて豐かなことである。そこには人格的な體驗が滿ち溢れてゐる。經典や論釋からの引用の一々に至るまで、悉く自己の體驗によつて裏打ちされてゐるのである。親鸞はつねに生の現実の上に立ち、體驗を重んじた。そこには知的なものよりも情的なものが深く湛へられてゐる。彼の思想を人間的といひ得るのは、これに依るであらう。生への接近、かかる現實性、肉體的とさへいひ得るものが彼の思想の著しい特色をなしてゐる。しかしながら、このことから親鸞の宗教を單に「體驗の宗教」と考へることは誤である。宗教を單に體驗のことと考へることは、宗教を主觀化してしまふことである。宗教は單なる體驗の問題ではなく、眞理の問題である。[欄外 Emil Brunner, Erlebnis, Erkenntnis und Glaube, 1923.]眞理は單に人間的なもの、主觀的なもの、心理的なものでなく、飽くまでも客觀的なもの、超越的なもの、論理的なものでなければならぬ。もし宗教が單に體驗に屬するならば、それは單なる感情、いな單なる感傷に屬することになるであらう。かくして宗教は眞に宗教的なものを失つて、單に美的なもの、文藝的なものと同じになる。親鸞の教がともすればかくの如き方向に誤解され易いことに對して我々は嚴に警戒しなければならない。もとより親鸞の思想の特色が體驗的であること、人間的であること、現實的であることに存することは爭はれない。そこに我々は彼の宗教における極めて深い「内面性」を見出すのである。しかし内面性とは何であるか。内面性とは空虚な主觀性ではなく、却つて最も客觀的な肉體的ともいひ得る充實である。超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的であるところに、眞の内面性は存するのである。

五濁惡世の衆生の    選擇本願信ずれば
不可稱不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり[欄外 文集 40]

或ひは

彌陀のちかひのゆへなれば
不可稱不可説不可思議の
功徳はわきてしらねども
信ずるわがみにみちみてり[欄外 小部集 229]

といふ二種の和讃はこの趣を現はすであらう。

 親鸞の文章には至る處懺悔がある。同時にそこには至る處讃歎がある。懺悔と讃歎と、讃歎と懺悔と、つねに相應じてゐる。自己の告白、懺悔は内面性のしるしである。しかしながら單なる懺悔、讃歎の伴はない懺悔は眞の懺悔ではない。懺悔は讃歎に移り、讃歎は懺悔に移る、そこに宗教的内面性がある。親鸞はすぐれて宗教的な人間であつた。懺悔と讃歎とは宗教の兩面の表現である。[欄外 Augustinus]親鸞の文章からただ懺悔に屬するもののみを取り出して、彼の宗教の人間的であることを論ずる者は、彼の思想を單に美的なもの、文藝的なものにしてしまふことであつて、未だ宗教的人間の如何なるものであるかを知らざるものといはねばならぬ。親鸞における人間の問題はどこまでも宗教的人間の問題、宗教的人間の存在の仕方の問題でなければならぬ。懺悔は單なる反省から生ずるものではない。自己の反省から生ずるものは、それが極めて眞面目な道徳的反省であつても、後悔といふものに過ぎず後悔と懺悔とは別のものである。[欄外 後悔はそれぞれの行爲、懺悔は全存在にかかはる。]後悔は我れの立場においてなされるものであり、後悔する者にはなほ我れの力に對する信頼がある。懺悔はかくの如き我れを去るところに成立する。我れは我れを去つて、絶對的なものに任せきる。そこに發せられる言葉はもはや我れが發するのではない。自己は語る者ではなくて寧ろ聽く者である。聞き得るためには己れを虚しくしなければならぬ。かくして語られる言葉はまことを得る。およそ懺悔はまことの心の流露であるべき筈である。しかるにまことの心になるといふことは如何に困難であるか。自己を懺悔する言葉のうちに如何に容易に他に對して却つて自己を誇示する心が忍び込み、また如何に容易に罪に對して却つて自己を甘やかす心が潛み入ることであるか。

淨土眞宗に歸すれども
眞實の心はありがたし
虚假不實のわが身にて
清淨の心もさらになし[欄外 文集 57]

と親鸞は悲歎述懷するのである。煩惱の具はらざることのない自己が如何にして自己の眞實を語り得るのであるか。自己が自己を語らうとすることそのことがすでに一つの煩惱ではないか。親鸞が全生命を投げ込んで求めたものは實にこの唯一つの極めて單純なこと、即ち眞實心を得るといふこと、まごころに徹するといふことであつた。信仰といふものもこれ以外にないのである。煩惱において缺くることのない自己が眞實の心になるといふことは、他者の眞實の心が自己に屆くからでなければならぬ。そのとき自己の眞實は顯はになる。われが自己の現實を語るのではなく、現實そのものが自己を語るのである。ここに知られる眞實は冷い、單に客觀的な眞理ではない。この眞實にはまごころが通つてゐる。まごころは理性ではなくむしろ情のことである。我々は人間的眞理を二と二との和は四であるといふ數學的眞理を知ると同じやうに知らうとするのではなく、またそれはそのやうに知られるものでもない。


 親鸞の文章を讀んでむしろ奇異に感じられることは、無常について述べることが少いといふことである。これはとかく感傷的な宗教のやうに考へられてゐる彼の思想においてむしろ奇異の感を懷かせることであるが、しかしこれが事實であり、また眞實である。そしてそこに彼の思想の特殊な現實主義の特色が見出されるのである。

 もとより諸行無常は現實である。そしてそれは佛教の出發點である。この世における何物も常住のものはない。すべては生成し消滅し變化する。かくして我々の頼みとすべき何物もないのである。生老病死は無常なる人生における現實である。かかる無常の體驗が釋迦の出世間の動機であつた。むじょうはさしあたり佛教の説ではなくて世界の現實である。常ないものを常あるものの如く思ひ、頼むべからざるものを頼みとするところに、人生における種々の苦惱は生ずる。無常は現實であると知りながら、その認識を徹底させることのできないところに人間の迷ひがあり、苦しみがあるのである。かくして佛教は諸行無常の自然的な感覺を諸行無常の徹底した智慧にまで徹底自覺せしめようとするのである。かくして諸行無常はいはば前佛教的な體驗から佛教的な思想にまで高められる。人間の現實を深く見詰め、佛教の思想を深く味はつた親鸞に無常感がなかつたとは考へられない。しかも彼はこの無常感にとどまることができなかつたのである。何故であるか。

 無常感はそのものとしては宗教的であるよりも美的である。果敢ないものは美しい。美には何か果敢なさといふべきものがある。「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」と『徒然草』の著者は書いてゐる。[欄外 徒然草第七段]いつまでも生きてこの世に住んでゐるといふことが人間のならひであつたら、實に無趣味なものであらう。老少不定、我々の命がいつ終るといふ規定の全くない世であるが、そこが非常に面白いのである、といふのである。無常は美的な觀照に融け込む。佛教は特に平安朝時代の文學においてその唯美主義と結び附き、かつこれに影響を與へたのである。かくして無常感は唯美主義と結び附いて出世間的な非現實主義となつた。『方丈記』の著者の如きもその著しい例である。

 これに對して親鸞はどこまでも宗教的であつた。宗教的であつた彼は美的な無常思想にとどまることができなかつた。次に彼の現實主義は何よりも出家佛教に滿足しなかつた。無常思想は出世間の思想と結び附く。これに對して彼の思想の特色は在家佛教にある。無常の思想はもとより單に美的な觀照にとどまるものではない。それはしかしより高い段階においても觀想に結び附く。藝術的觀照から哲學的觀想に進む。佛教における無常の思想は我々をここまでつれてくる。しかし美的な觀照も哲學的な觀想も觀想として非實踐的である。これに對して親鸞の思想はむしろ倫理的であり、實踐的である。淨土眞宗を非倫理的なものの如く考へるのは全くの誤解である。親鸞には無常の思想がない。その限りにおいても彼の思想を厭世主義と考へることはできない。

 親鸞においては無常感は罪悪感に變つてゐる。自己は單に無常であるのではない。煩惱の具はらざることのない凡夫、あらゆる罪を作りつつある惡人である。親鸞は自己を愚禿と號した。「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓となす」[欄外 1625]といつてゐる。承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあつた。親鸞もその一人として僧侶の資格を奪はれて越後の國府に流された。かくして、すでに僧にあらず、しかしまた世の生業につかぬゆゑ俗にあらず、かくして禿の字をもつて姓とする親鸞である。しかも彼はこれに愚の字を加へて自己の號としたのである。[欄外 61]愚は愚癡である。すでに禿の字はもと破戒を意味してゐる。かくして彼が非僧非俗破戒の親鸞と稱したことは、彼の信仰の深い體驗に基くのであつて單に謙遜の如きものではない。それは人間性の深い自覺を打ち割つて示したものである。

賢者の信をききて、愚禿が心をあらはす。
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。[欄外 文集 233]

と『愚禿鈔』に記してゐる。

 外には悟りすましたやうに見えても、内には煩惱の絶えることがない。それが人間なのである。すべては無常と感じつつも、これに執着して盡きることがない。それが人間なのである。彌陀の本願はかかる罪深き人間の救濟であることを聞信してゐる。しかも現實の人間は如何なるものであるか。

「まことに知んぬ、かなしきかな愚禿鸞、愛欲の廣海に沈沒し、名利の大山に迷惑して、定聚のかずにいることをよろこばず。眞證の證にちかづくことをたのしまざることを、はづべし、いたむべし」[欄外 894]


 罪悪の意識は如何なる意味を有するか。機の自覺を意味するのである。機とは何であるか。機とは自覺された人間存在である。かかる自覺的存在を實存と呼ぶならば、機とは人間の實存にほかならない。自覺とは單に我れが我れを知るといふことではない。我れは如何にして我れを知ることができるか。我れが我れを知るといふとき、我れは我れを全體として知ることがない。なぜなら、我れが我れを知るといふ場合、知る我れと知られる我れとの分裂がなければならず、かやうに分裂した我れは、その知られる我れとして全體的でなく却つて部分的でなければならぬ。從つてその場合、自覺的な我れよりもむしろ主客未分の、從つて無意識的な無自覺な我れが、從つて知的な、人間的な我れよりも、實踐的な、動物的な我れが却つて全體的な我れであるとも云ひ得るであらう。


 機といふ字は普通に天台大師の『法華玄義』に記すところに從つて、微・關・宜の三つの意味を有するとされてゐる。それは先づ第一に機微といふ熟字に見られる如く微の意味を有する。弩に發すべき機がある故に、射る者これを發すれば直ちに箭が動く。未だ發現しないで可能性としてかすかに存するすがたが微であり、機である。可能的なものは未だ顯はではなく含蓄的に微かに存在するのである。しかし可能的なものがひとりでに現實的になるのではない。弩が機發するのは射る者があつてこれを發するからである。[欄外 弩に可發の機がなければ、如何にこれを發しようとしても發し得ないであらう。衆生にまさに生ぜんとする善がある故に仏が來りて應ずれば即ち善生ず。應は赴の義。]しかしこの可能性は單に靜的に含蓄的であるといふことではない。機は動の微、きざしである。將に動かうとして、將に生ぜんとして、機である。[欄外 教法化益に依りて發生さるべき可能性あるもの。]第二に、機は機關といふ熟字に見られる如く關の意味を有する。關とは關はる、關係するといふことであつて、一と他とが相對して相關はり、相關係することである。衆生に善あり惡あり、共に佛の慈悲に關する故に、機は關の意味を有するのであり、即ち教法化益に關係し得るもの、その對者たり得るものの意である。もし衆生がなければ、佛の慈悲も用ゐるに由なく、衆生ありてまさに慈悲の徳も活くことができる。應は對の義。一人は賣らうとし、一人は買はうとし、二人相對して貿易のことがととのふ如く、[欄外 主客相合うて賣買が成立つ。]衆生は稟けようとし、佛は與へようとし、相會ふところで攝化濟度のことが成るのである。これが喰ひ違ふと攝化のことはととのはない。[欄外 須宜]そこで第三に、機は機宜といふ熟字に見られる如く、宜の意味を有してゐる。關係するものの間に丁度相應した關係があることをいふ。例へば函と蓋とが、方なれば方、圓ければ圓、格好相應して少しもくひちがひのないやうに、無明の苦を拔かんと欲せば、正しく悲に宜しく、法性の樂を與へんと欲せば、正しく慈に宜し。衆生に苦あり、恰も佛の拔苦の悲に宜しく、衆生に樂なし、恰も佛の與樂の慈に宜しく、佛の慈悲はよく衆生に相應してゐるのである。機は教法化益を施すに便宜あるものの意。かくして機と教、機と法とは相對する、兩者の關係は動的歴史的。

その機は何等かの根性を有する故に根機と稱せらる。一切の衆生、過去・現在の因縁宿習を異にし、その面貌の異る如く、その根性別なり、[欄外 善惡智愚の別]從つて教法を蒙るべき機として千差萬別なり、しかるに教法化益もし機に乖けば、その益あることなし、故に佛は千差の方便を盡し、萬別の教法を施せり。性得の機。機は可發の義で、衆生の心に法をうくべききざしあること。

 時機──機の歴史性、

『大無量壽經』は

「時機純熟の眞教」なり。[欄外 教141]末代に生れた機根の衰へた衆生にとつてまことにふさはしい教である。時機相應。聖道自力の教は機に合はずして教果を收めることができぬ。淨土他力の一法のみ時節と機根に適してゐる。

 機と性との區別 動的と靜的。[欄外 教259 文集242 愚禿鈔]

○時機相應

「まことに知んぬ、聖道の諸教は、在世正法のためにして、またく像末法滅の時機にあらず、すでに時をうしなひ、機にそむけるなり。淨土眞宗は在世正法、像末法滅、濁惡の群萌、ひとしく悲引したまふをや。」[欄外 教1452]

「もし機と教と時とそむけば、修しがたく、入りがたし。」『安樂集』に依る。[欄外 教1461]

「當今は末法にして、これ五濁惡世なり。ただ淨土の一門のみありて通入すべき路なり。『安楽集』に依る。[欄外 教1463]

「その機はすなはち一切善惡大小凡愚なり」[欄外 教481]

○惡人正機

「これも惡凡夫を本として善凡夫を傍に兼ねたり。かるが故に傍機たる善凡夫なを往生せば、まはら正機たる惡凡夫いかでか往生せざらん。しかれば善人なをもて往生す、いかにいはんや惡人をやといふべしとおはせごとありき」『口傳鈔』第十九章 聖典 342

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや惡人をや。しかるを世のひとつねにいはく、惡人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この條一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、彌陀の本願にあらず。しかれども自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、眞實報土の往生をとぐるなり。煩惱具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、惡人成佛のためなれば、他力をたのみたてまつる惡人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして惡人はと、おほせさふらひき。」『歎異鈔』三章 文章 191

第一部 宗教的意識の展開

第一章 人間性の自覺と宗教

第一節 結論

 親鸞の思想は深い體驗によつて滲透されてゐる。これは彼のすべての著作について、『正信偈』や『和讃』の如き一種の韻文、また假名で書かれたもろもろの散文のみでなく、特に彼の主著『教行信證』についても、言はれ得ることである。『教行信證』はまことに不思議な書である。それはおもに經典や論釋の引用から成つてゐる。しかもこれらの章句が恰も親鸞自身の文章であるかの如く響いてくるのである。いはゆる自釋の文のみでなく、引用の文もまたそのまま彼の體驗を語つてゐる。『教行信證』全篇の大部分を占めるこれらの引文は、單に自己の教の典據を明かにする爲に擧げられたのではなく、むしろ自己の思想と體驗とを表現するために借りてこられたのであるとすれば、その引文の讀み方、文字の加減などが原典の意味に拘泥することなく、親鸞獨自のものを示してゐるのは當然のことであらう。『教行信證』は思索と體驗とが渾然として一體をなした稀有の書である。それはその根柢に深く抒情を湛へた藝術作品でさへある。實に親鸞のどの著述に接しても我々を先づ打つものはその抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豐かな體驗の深みから溢れ出たものにほかならない。

 かやうにして屡々なされるやうに、彼の教を體驗の宗教として特色附けることは正しいであらう。しかしその意味は嚴密に規定されることが必要である。宗教を單に體驗と解することは宗教から本質的に宗教的なものを除いて「美的なもの」にしてしまふ危險を有してゐる。實際、親鸞の教において體驗の意義を強調することからそれを單に「美的なもの」にしてしまつてゐる例は決して尠くはないのである。親鸞はすぐれて宗教的人間であつた、彼の體驗もまたもとより本質的に宗教的である。ところで宗教的體驗の特色は「内面性」にある。親鸞の體驗の深さはその内面性の深さである。彼の抒情の深さといふものもかくの如き内面性の深さにほかならない。

第一章 人間性の自覺

 親鸞の思想は深く人間性の自覺に根差してゐる。どこまでも生の現實に即いてゐるところに彼の教の特色がある。彼にとつて生の自覺は法の自覺と密接に結び付いてゐる。

 人生の經驗において我々の心を打つものは無常である。世の中のものは移り變つて、常のものといつては何ひとつない。すべては時の流に現はれては過ぎてゆく。この事實が無常と呼ばれる。この事實を佛教では「諸行無常」といつてゐる。しかしこの事實はむしろ佛教以前のものであり、さしあたり我々の生の體驗そのものに屬してゐる。我々は人生の行路において或ひは災禍に見舞はれ、或ひは病氣に襲はれ、或ひは近親の死に會する、そして我々は無常を感じる。この無常感はひとを佛道に入らせる動機である。ひとは生の體驗において佛教の説くところが眞實であることを理解するのである。我々の無常感はもとより佛教の影響によつて強められ、深められてきたであらう。しかし無常は我々の原始的な體驗に屬し、佛教にとつてその説の出てくる基礎經驗である。佛教は生の現實におけるこの基礎經驗から出てこれを思想にまで高めたのである。佛教が無常の體驗から出發したといふことは釋迦の出家の動機として傳へられる物語によつても知られるであらう。太子悉達多は老人、病者、死者を見て世間の無常を感じ出家するに至つたといはれてゐる。我々の生において原始的に經驗される無常感は佛教によつて教説にまで高められた。

 かやうにして「一切の行は無常なり」とは佛教が最初に掲げる教條である。行とは有爲法をいひ、有爲法とは造られたものを意味する。一切の有爲法はもろもろの因縁によつて造られたものとして移りゆくものである故に行といはれる。もろもろの因縁によつて作られたすべてのものは生滅變化するもの、時間的に存在するもの、即ち無常のものである。無常は一切の有爲法のすがたである。このすがた、即ち有爲のものの有爲相は生と滅との二つの相に分たれる。あらゆるもの(行)は生じ、そして滅するものとして無常である。しかしそれはまた三つの相に分たれることができる。それはまづ始めを有し(起)、次に變易し(異)、そして遂に滅する(盡)。起と異と盡とは無常のものの移りゆく三つのすがたである。しかしそれはまた生と住と異と滅との四つに分たれた。或るもの生じ(生)、生じをはつてその或るものとして止まり(住)、やがて變じ(異)、ついで亡びる(滅)のである。ところで佛教に依ると、ものが無常であるのは、ものが因縁によつて生じたものである故である。無常は佛教の根本思想である縁起説の歸結である。縁起説の深い意味はものの無常のすがたにおいて體驗的現實的に理解されることができるであらう。

 我々は世間の一切のものが無常であることを感じる。山も河も、草も木も、人も家も、無常ならぬものはない。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。世の中にある人と住家とまたかくの如し。玉敷の都の中に、棟を竝べて甕を爭へる、尊き卑しき人の住居は、代々を經てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年破れて今年は造り、あるは大家滅びて小家となる。住む人もこれにおなじ。處もかはらず、人もおほかれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。又知らず、假の宿、誰が爲に心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。その主人と住家と、無常を爭ひ去るさま、いはば朝顏の露に異ならず。或は露おちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへどもゆふべを待つことなし。」親鸞とほぼ同時代の人鴨長明はかくの如く世間無常を敍してゐる。我々の住む世界も我々自身も共に無常である。佛教によると、依報である世間も正報である世間も、世間は全て無常である。正報とは衆生をいひ、依報とは衆生がそれに藉つて住む世界をいふ。我々はつねに世界に依つて生きてゐる。この國土、この家、この衣服、この椅子を除いて我々の生活は考へられない。かかる世界は我々にとつて道具の意味を有してゐる。佛教ではかくの如き世界を「器世間」と稱してゐる。依報といふのはかかる器世間にほかならない。世間には衆生世間と器世間との二種世間があり、正報と依報とに相當する。器世間に屬すると考へられるのは、花瓶とか茶碗とかの如き普通にいふ道具のみでなく、家の如きものも、また庭園、更に國土といふ如き普通に自然といはれるものもまたこれに屬してゐる。器とは「衆生の受用する所なるが故に名づけて器となす」といはれてゐる。*

*『往生論註』卷下

 我々の生によつて關心され、生と交渉するものとして自然も器の意味を有する。それはもとより自然科學的に見られた自然、すなはち單に客觀的に對象的に捉へられた自然ではない。山や河、草や木の如きものも我々が生の關心において受用するものとして家屋や家具と同じく我々にとつて道具の性格を有するであらう。自然も我々の生に缺くことのできぬ要素であり、生の聯關のうちにその契機として入つてゐる。衆生世間と器世間とは一つの世間に結び付き、主體とその環境といふやうに密接に聯關するのである。そしてまさにかくの如く我々によつて關心され、受用されるものとして我々の住む世界のものは無常と考へられる。無常は單なる變化と同じではない。私が庭前に見る花は純粹に客觀的に見る場合にも變化する。しかしかやうに見る場合、私はその變化において何ら無常を感じないであらう。どのやうな生滅變化も、單に客觀的な自然必然的な過程として把握される限り、無常感を惹き起すものではない。庭前の花は單なる花としてではなく、愛らしい花、驕れる花、淋しい花として、要するに生の關心によつて性格づけられた花として、その散りゆくのを見て我々は無常を感じるのである。單に必然的な變化は無常ではない。もとより單に偶發的なものもまた無常とは考へられない。我々はその生滅變化が必然的であるものにおいて無常を感じるのである。しかしそれは自然必然性ではなく、むしろ運命必然性である。自然必然性が單なる必然性であるに反して、必然的なものが同時に偶發的であり、偶發的なものが同時に必然的であるところに、運命あるひは宿命といはれる必然性がある。