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保守とは何か

連載第六囘 西尾幹二氏を叱る(二)

 明治四十四年に漱石が云つた事は平成の今もそのまま通用する。歐米諸國は依然として「強いもの」であり、「強いものと交際すれば、どうしても己を棄てゝ先方の習慣に從はなければ」ならない。それゆゑ我々はもはや筆や算盤を使はない、下駄や草履を履かず、歳末には第九交響曲を演奏し、クリスマスがなぜ神聖なのかも知らずに「ホウリー・ナイト」を歌ひ、莫大な米國の國債を所持しながら「バブル」が彈けて後もそれを賣却出來ず、英語を解さずしてウィンドウズもマックもリナックスも使へない。下駄を履いてアクセルやブレーキは踏めないし、御先祖樣に一人のモーツアルトもべートーヴェンもゐないし、節分はクリスマスほど「モダン」でないし、筆や算盤はコンピューターに敵はないし、米國の國債を賣却したくても日米安保條約を廢棄される事が怖い。詰り、歐米の文物が父祖傳來のそれより遙かに便利だから、そしてまた、軍事的に非力で「國力の甚だ強實ならざる」状態だから、今なほ我々は「己を棄てゝ先方の習慣に從はなければ」ならない。漱石はそれを「情けない」事だと思ふ。けれども同時に、徒に威勢のよいショーヴィニズムを苦々しく思ふ。西尾に缺けてゐるのはさういふアンビヴァレンスである。それゆゑ西尾の愚論は單純で、單純だから單純な愚者が讀んで安堵する。

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 一例を擧げよう。秀吉の時代、「ポルトガル人の服裝や料理がにはかに流行」して、「キリシタンでもないのに主の祈りを捧げ、アヴェ・マリアを暗誦する者さへあつた」けれども、さういふ「無原則ないし無節操」こそは日本の「前進の原動力」だと西尾は云ふ。「前進の原動力」だなどと云はれて馬鹿はさぞ喜ぶのだらうが、馬鹿と冗談は休み休み云へ、原則無くしては凡そいかなる前進もあり得ない。「廣辭苑」は原則を「人間の活動の根本的な規則」と定義してゐる。うまい定義ではない。「無原則」とは規則が無い事よりも寧ろ信念が無い事を意味する。「原則」とは英語ならプリンシプルだが、「オックスフォード英語辭典」はプリンシプルを、An original or native tendency or faculty; a natural or innate disposition; a fundamental quality which constitutes the source of action.と定義して、「人間を支配する二つのプリンシプルがある。驅立てる自己愛と制止する理性」といふポープの文章を引いてゐる。成程、我々はみな、とかく利己的に振舞ひたがるが、それを屡々理性が制止する。だが、自己愛も理性も、共に人間を「前進」もしくは「後退」させる「原則」である事に變りはない。

 「廣辭苑」の定義よりも「オックスフォード英語辭典」のそれのはうが精密なのは、大部の辭典だからではない。「情けないかな」、英國人のはうが日本人より物事を理詰めで精密に考へるからである。「無原則が前進の原動力」などといふ非論理的な文章は、赤新聞は知らず、英米の新聞には決して載る事が無い。然るにこの國は、杜撰な文章を綴る馬鹿の商賣が繁盛する「情けない」國であり、それゆゑ我國は近代科學を産めなかつた。科學は合理以外の何物でもない。西尾の文章が駄目なのは西尾が合理的に考へる能力を持合せてゐないからである。無論、文章は時に合理を超える。例へば「閑かさや岩にしみ入る蝉の聲」にしても、聲なんぞが岩にしみ込む道理は無いが、さういふ愚な事を我々は決して考へない。シェイクスピア劇には亡靈が登場するが、亡靈が顯れなくなつて演劇は駄目になつたと、ジョージ・スタイナーは云つてゐる。エドガー・ポウが狂つたのは合理的にしか考へられなかつたからだとG・K・チェスタトンは云つてゐる。いづれも至言であつて、信仰と同樣、文學は科學ではない。それゆゑ、良き文章は時に合理を超える。だが、それは飽くまで「時に」であつて「常に」ではない。西尾の文章は常に合理を超える。筆者の頭が惡いからである。頭が惡いのに書き流すから「無原則」といふ言葉の意味を把握出來ない。西尾は書いてゐる。

 古代日本人が佛教や律令をとり入れたときに、中國文字を介するといふ屈辱などはおそらく感じたはずがない。漢字漢文は當時の國際公用語であつた。中國崇拝に光だけを見た。それで危瞼はなかつた。日本は大陸の軍勢に蹂躙された經驗はないからだ。

 餘りにも酷い文章だから、先を引く前に添削するが、「公用語であつた」の主語は「漢字漢文」であり、それに續く「光だけを見た」の主語は「古代日本人」である。こんな事、本來なら小中學校の作文の時間に教へらるべき事だが、二つの節が等位接續詞によつて連結される場合は主語を省略する。省略しても讀者の理解を妨げないからである。但し、それは主語が同じ場合であり、異なる場合は省いてはいけない。讀者に虚しい負擔を強ひるからである。書かれてゐる事が高級で、筆者が、彫心鏤骨、苦勞して書いてゐるのなら、讀者もまた苦しんで讀まねばならぬ。だが、西尾の書いてゐる事は「古代日本人」に對する侮辱だが、書かれてゐる事自體は頗る平凡で、平凡な事を平易に語れないのは頭が惡いからである。「お前の文章は人樣に讀んで頂く文章ではない」と、私は屡々學生に云つたが、西尾が大學院の學生なら、私は決して優を與へない。せいぜいの處、可である。

 惡文を綴つて平氣でゐる極樂蜻蛉だから、西尾は複雜な事柄についても大雜把にしか考へない。それゆゑ向かう見ずに斷定するのだが、「情けないかな」、その淺慮ゆゑの斷定を淺はかな讀者が喜ぶ。だが、佛教を受容した「古代日本人」が「屈辱」を感ぜず、「中國崇拝に光だけを見た」とはまた何たる大雜把か。西尾は物部守屋なる御先祖樣を知らないのか。守屋は佛教受容に反對して、受容に積極的だつた蘇我馬子と對立して、馬子が建立した寺を燒き拂ひ、寺の佛像を難波の疏水に投棄したりしたが、やがて馬子の軍勢に攻められ澀河の館で死んだ。彼の死後、佛教は廣く受容され、守屋は佛教の敵乃至聖徳太子の敵と見なされるやうになるのだが、守屋もまた「古代日本人」の一人であつて「中國崇拝に光」なんぞを見はしなかつた。無論、守屋も馬子も佛教受容の是非よりも寧ろ權勢慾ゆゑに張合つたのだし、用明天皇や馬子が佛法を信じたのは病を癒すためだつたが、蘇我物部の對立ゆゑに穴穗部皇子以外にも多くの人間が殺されてゐる。「日本書紀」を讀んでさういふ事を知つてゐたら、「中國崇拝に光だけ」云々の大雜把な文章は綴れる筈が無い。「中國文字を介するといふ屈辱」云々の件りも同じであり、或種の「屈辱」が「原動力」にならずして、支那の字を借り自前の文字を作り出さうとする努力がなされる筈が無い。自分が持つてゐない物を他人が持つてゐる場合、羨望嫉妬もしくは「屈辱」を感ずるのは、或はさういふ不毛な感情を抑へようとする事も共に人情の自然である。當方が文字を持つてゐないのに先方が持ち、當方が駕籠しか有しないのに先方が陸蒸氣を有してゐたのに、飛鳥時代及び幕末の御先祖樣が、先進國崇拝に「光だけを見」てゐたとすると、我々は世界に類例の無い卑屈惰弱腰拔けの先祖を持つてゐる事になる。

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 粗雜な文章を綴るのはいかに恐ろしい事か、讀者はこれで納得したであらうか。嘗て私は西武池袋線の吊革廣告に「千に一つの誤差の無い眼鏡作りが當店のモットーでございます」との文言を見出し、産經新聞紙上で眼鏡屋の無智を嗤つた事がある。説明の要はあるまいが、これは「千に一つの誤差も無い」でなければならない。「も」ではなく「の」では、「誤差の無い眼鏡作り」が千囘に一囘といふ事になつて仕舞ふ。迂闊な眼鏡屋と同樣、西尾は己れの駄文が御先祖樣に對する侮辱になつてゐる事に氣附かないのだが、無意識にもせよ先祖を侮辱する「保守派」などといふ化物は存在しない道理だから、西尾は斷じて「保守派」ではない。ニューヨーク・タイムズの支局長は西尾を「つねづね傳統價値を主張してゐる日本人」と形容したさうだが、先祖を侮辱しながらそれに氣附かぬ男が主張する「傳統價値」とは、一體全體、何なのか。我々は言葉遣ひをも含む先祖の流儀を保守せねばならないが、愚かしい流儀も流儀だから「傳統價値」のすべてが價値なのではない。「云へるやうになつてから云ふ」のも先祖傳來の愚かしい流儀だが、先人の愚はそのまま今人の愚であるものの、先人の賢が今人の賢であるとは限らないから、先人の愚を嗤ふのは猿の尻嗤ひ、先祖を裁く事は己れを裁く事になる。だが、それ以上に許せないのは先人の勞苦に思ひを致さぬ鈍感である。文字を有しなかつた飛鳥時代の先祖が、支那に對する劣等意識を持つたとしても、夜郎自大の極樂蜻蛉よりも人間として遙かに全うだが、それはともかく、飛鳥時代から明治まで、我々の賢き先祖は歐米の優越を素直に認め、劣位に立つ屈辱を「原動力」として、先進國に「追ひつき追ひ越す」べく、「和魂漢才」とか「和魂洋才」とかを合言葉に、營々と努力したのであつて、その勞苦を思へば「光だけを見た」などといふ臺詞は口が裂けても吐けない。幕末明治の政治家や知識人にとつては、國力を歐米竝みに強化する事が喫緊の課題であり、歐米に學び、「追附き追ひ越し」て、不平等條約を撤廢させねばならなかつた。條約を結ぶ決斷を下したのは大老井伊掃部頭直弼だが、周知の如く井伊は櫻田門外で暗殺されてゐるし、それに先立ち、所謂「安政の大獄」では多くの志士が處刑されてゐる。さういふ史實を思ひ起せば、「光だけを見た」云々は白癡的樂天的な極め附きの戯言と知れよう。西尾は書いてゐる。

 同じことは明治にも繰り返された。英語やドイツ語やフランス語を學んで、文化的植民地に陷る恐れが十分にあつたし、現にあるのだが、そのときにはさうは考へないし、現に考へてゐない。他のアジア諸國に起こつたことが日本には起こらない。日本人は外國崇拝を胸を張つて行つて、自國文化の獨立にかへつて役立ててきた珍しい國である。

 「外國崇拝を胸を張つて行つて」井伊は條約締結に踏み切つた譯ではない。「ことさらに異國振りを頼まめや、ここに傳はるもののふの道」と若き直弼は詠つてゐる。だが、彼我の國力の差は歴然としてゐたから、開國を迫るアメリカに譲歩して屈辱的な條約を結び、敕許を得ずに鎖國といふ國策を變改せねばならなかつた。「文化的植民地になる恐れ」は井伊も承知してゐたし、その「恐れ」を云ひ立てぬ「攘夷黨」はゐなかつた。井伊に宛てた水戸齋昭の建白書にも、夷狄との交際によつて國風の失はれる「恐れ」が記されてゐる。齋昭も日本人だから、どこまで本氣だつたか些か疑はしいが、少なくも日米安保條約に反對した手合よりは眞劔であつた。國風を信じてゐたからである。國を開けばキリスト教が入つて來て、それが我國の醇風美俗を破壞するであらうとの恐れは、傳統への信頼と不可分である筈だが、平成の今、我々はキリスト教を信じてゐないし、國風の失はれた事を憂へてもゐない。「ミレニアムのカウントダウンまでがお祭り騒ぎで行はれる」のは、この國が紛れも無い「文化的植民地」だからに他ならない。西尾はドイツ語を學んで「文化的植民地」の模範的な住民になつた。彼のドイツ語がどの程度のものか知らないが、粗雜極まる日本語の文章しか綴れないといふ事、それこそが文化的根無し草たる何よりの證しである。

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 我々は自國語で物を考へる。それゆゑ、言葉遣ひこそは最も重んぜらるべき先祖の流儀であつて、新假名を用ゐる保守派を私が信じないゆゑんだが、先人の流儀は後人に施される恩惠でもあつて、支那から漢字漢文が導入された時、上代の先祖は支那語を國語とせず、支那の字を借りて大和言葉を保持したから、そのお陰を蒙つて我々は今、例へば「學」といふ字を「がく」と讀み「まな」と讀む。韓國語では「學」は「はく」としか讀めない、日本人は素晴らしい御先祖を持つたと、かつて韓國の學者に私は云はれた事がある。成程、「學」を「まな」とも讀めるから、學ぶ事は「まねぶ」事であり、「まねぶ」とは眞似る事だと、我々は生徒學生に説く事が出來る。だが、大和言葉を保持するために先祖が拂つた勞苦の凄まじさに、我々は時に思ひを致さねばならない。幕末明治の先祖についても同じである。國を開いて後、西南戰爭まで、血で血を洗ふ鬪爭が繰返へされたが、同時に御先祖は一心不亂に西洋學問をやつて、その際、我々の想像を絶する困難に直面してゐる。「西語にリベルテイといへる語あり。我邦にも、支那にも、しかとこれに當れる語あらず」と中村正直は書いてゐるが、リバティーに限らず、自國にしかと「當れる語」が無い場合は新たに漢語を拵へねばならなかつた。所謂「ネオ漢語」である。「哲學」といふ言葉もネオ漢語であり、拵へたのは西周で、最初のうちは「希哲學」と云った。哲即ち知を希求する學問といふ意味である。フィロソフィーの譯語として頗る上等だが、どうにもならない言葉もあつた。例へばフリーダムとリバティーである。今人が兩者を區別しないのは共に「自由」と譯されてゐるからに他ならない。箕作麟祥は「明六雜誌」第九號にかう書いた。

 リボルチー、譯して自由と云ふ。その義は、人民をして他の束縛を受けず、自由に己れの權利を行はしむるにあり。しかして方今歐、亞の各國、その政治の善美を盡くし、その國力の強盛なるは、畢竟みな人民の自由あるに原(もとづ)き、もしその詳(ことごとく)を知らんと欲せば、中村先生所譯・刊行のミル氏自由の理に就きもつてこれを看るべく、ゆゑに餘が贅言を待たざるごとしといへども、リボルチーにまた古今の沿革あるにより、その概略を左に掲載す。

 リボルチすなはち自由は、羅甸語のリベルタスより轉じ、そのリベルタスはセルビタスすなはち奴隸人の身分と相對したる自由人の身分を云ひ、しかして羅馬の律法には、人の身分を大別してリベリすなはち自由人と、セルビすなはち奴隸の二種とす。(後略)

 「月曜評論」の讀者はこの箕作の文章をどう讀むだらうか。臺灣では電腦と書くが我々はコンピューターと書く。臺灣には片假名が無いから是非も無いが、コンピューターに腦味噌なんぞ無いのだから「電腦」は決して上手い譯語ではない。が、それはともかく、我々が片假名を有するのは先祖のお陰であり、上代の御先祖樣が大和言葉を捨てて支那語を國語にしてゐたら、當然、平假名は作られず、平假名が無ければ片假名も無い道理であつて、箕作はラテン語を羅甸語と書いてゐるが、全ての外國語に漢字を當てねばならぬとなつたらいかに厄介かつ不便か、思ひ半ばに過ぎるであらう。さらにまた、我々が箕作のやうに「國力の強盛なるは」と書かず「強盛なのは」と書き、「知らんと欲せば」と書かずに「知りたいのなら」と書くのは、二葉亭四迷や山田美妙など、所謂「言文一致」の工夫を凝らした先人のお陰である。言文一致とはとどの詰り文語體を廢して口語體で書く事を意味したから、平易ではあつても格調の無い文章が大量生産される切掛けになり、その點功罪は半ばするし、明治の知識人の中には「洋字を以て國語を書す」べしなどと主張するおつちよこちよいもゐたのだが、さういふ「蘭癖」のおつちよこちよいをも含め、彼らがみな、民衆を啓蒙して國力を「強盛」にせねばならぬと眞劍に考へてゐた事は事實であり、實際、言文一致も民衆の啓蒙に大いに役立つたのである。

 箕作が云ふやうに「國力の強盛なるは、畢竟みな人民の自由あるに原」くと彼らは固く信じてゐたから、民衆の啓蒙こそが彼らにとつての急務だつたが、いくら啓蒙しようとしても、人民は愚かで無氣力で、笛吹けど踊らず、西周も津田眞道も福澤諭吉も、西の言葉を借りれば、歐洲諸國の「文明を羨み、我が不開化を嘆じ、はてはては、人民の愚いかんともするなし」とて時に「欷歔長大息に堪ざる」を得なかつた。「文化的植民地に陷る恐れ」なんぞを考へてゐるゆとりは無かつた。國を開いた以上近代化は至上命題である、然るに人民がかうも愚昧で無氣力で卑屈では國家の獨立はおぼつかない、このままではいづれ本物の植民地になつて仕舞ふ。それを彼らは憂へた。福澤諭吉は「學問のすゝめ」にかう書いてゐる。

 方今我國の形勢を察し、その外國に及ばざるものをれば、いはく學術、いはく商賣、いはく法律、是なり。世の文明はもつぱらこの三者に關し、三者らざれば國の獨立を得ざること、識者をたずして明なり。しかるに今、我國において、もその體を成したるものなし。

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 商賣の事はよく知らないが、平成の今、我國の學術も法律も「外國に及ばざるもの」であり、アメリカと片務的軍事同盟を結んでゐるのだから、依然として「國の獨立を得ざる」ていたらくである。金正日閣下がテポドンを三陸沖にぶち込んで下さつたから、昨今、與論は餘程「右傾化」して、「云へるやうになつて云ふ」手合が、「國力の強盛ならざる」事實を知らぬまま、威勢のよい事を云ふやうになつたが、明治の先人にあつて今の知識人に缺けてゐるのは儒教道徳の殘滓たる和魂であり、その殘滓ゆゑに「歐化」の是非を論ふ先人は道徳的眞摯を失はずにゐて、その眞摯は文章に現れてゐる。次に引くのは地理學者志賀重昂の文章である。

 吁嗟日本當代の事業は何ぞ其れ多々錯綜なる哉。外面を虚飾塗抹するの「塗抹旨義」あり、日本の舊分子を悉皆打破せんとするの「日本分子打破旨義」あり、「折衷比較旨義」あり、「國粹保存旨義」あり、「日本舊分子維持旨義」あり。然れば這般各殊の分子は個々相互に牴觸齟齬しつゝあるを以て、日本國家の爲めに一定の運動を作爲せず、爲めに彼の哀々たる三千八百萬の蒼生は空しく這般各殊の旨義が勝敗を觀望して、從ふ處を知らず。彼此奔走して徒らに國力を疲らし、殆んど中流に擢を失ひ暗夜に燈を滅したるものの如く、何を以て進まん乎、何を以て守らん乎。眞個に各自が安堵する箇處を發見する能はざるなり。(中略)予輩は「國粹保存旨義」を以て日本前途の國是を確定せんとする者也。然れ共如何せん彼の「塗抹旨義」と「日本分子打破主義」の空氣は業既に八十餘州到る處に擴充傳播して、絶大の勢力を逞ふし、上下貴賤は擧りて這般兩主義の感化に眩惑心醉しつゝあるを以て、予輩が眼前今日に到り如何に孤憤するも、如何に大聲疾呼するも、業既に時機に晩るゝ者の如く。轉た人をして王陽明が「不知日已過亭午、起向高樓撞暁鐘」の句を吟誦するの感あらしむ。

 明治の地理學者が歐化を本氣で憂へ本氣で絶望してゐる事を、その文章が西尾のそれより上等である事を、二つながら讀者は認めるであらう。志賀の云ふやうに明治の國論は「多々錯綜」してゐたのであり、明治以降の御先祖とて「外國崇拝を胸を張つて行つて、文化的植民地に陷る恐れ」は考へない、などといふ極樂蜻蛉で過ごせた譯ではない。「佛教といふものが、文化のほんの一つの分野となつた現代にゐて、佛教即ち文化であつた時代を見る遠近法は大變難かしい。佛教といふ同じ言葉を使つてゐる事さへ奇妙なくらゐのものだ」と小林秀雄は「蘇我馬子の墓」に書いたが、先祖の所行を思ひ出さうとする時、「遠近法は難しい」との自覺は不可缺であり、それが無いから後人が恣意的に歴史を歪曲し、過去を裁き過去を美化して得意になるといふ漫畫が返される。但し、西尾は史實を歪曲する譯ではない。そんな知能犯ではない。己れにとつて都合のよい史實しか知らうとせず、それゆゑ大雜把な事を書いて平氣でゐるに過ぎない。だが、ヒトラーがよく承知してゐたやうに、さういふ大雜把こそが力であつて、衆愚を動かすのは常に大雜把の單純である。それかあらぬか、西尾の講演を聽いた産經新聞の或る讀者は、現在使用されてゐる歴史教科書の内容について「聞けば聞くほど、はらわたの煮えるくり返る思ひ」がするとの投書を寄せてゐる。腸の煮え返るやうな思ひは決して永續しない。人間はさうしたものではない。聽衆にさういふ不毛な思ひをさせる者はデマゴーグであり、それに乘せられるのは愚者である。戰後久しく左の馬鹿が單純大雜把によつて幅を利かせたが、今は右の馬鹿が時の花を翳しつつある。が、左も右も單純大雜把といふ點で何の變はりも無い。以下に引くのは左の馬鹿の頗る平易な駄文だが、その單純大雜把と西尾のそれとの間に人間についての無知といふ點では何の徑庭もありはしない。馬鹿に保革の別は無いのである。

 わたしたちは、みんな日本の國をよい國にしたいとおもつてゐます。よい國といふのは、ひとりひとりの人間の尊さがよくまもられてゐる國、といふことだといつてよいでせう。(中略)日本をよい國にしよう。みんなが幸福である國に。(宗像誠也「私の教育宣言」、岩波新書)(續く)

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