知的怠惰は即ち道徳的怠惰だと私はこれまでに屡々書いたが、道徳的に怠惰な西部は、當然、知的にも怠惰であり、それは傳統としての言葉遣ひに對する鈍感にはつきり露れてゐる。例へば、我々は「書き散らす」とは云ふが「書き散らかす」とは云はない。愚にもつかぬ事をあちこちに書くのは書いた物を「散らかす」事ではない。部屋を散らかす事は出來るが「作品」を散らかす事は出來ない。また、批評文は通常「作品」とは呼ばないが、私は西部の「作品」を「眞劍に論じるに値する作品だとあへて見立て」てゐる譯ではない。いや、私に限らない。「ひどい代物」だと思ふ物事について「眞劍に」論ずるやうな醉狂な馬鹿はゐないし、その醉狂を「あへて」やつたとしても、「ひどい代物」を書き撲るやうな馬鹿を相手に「上品な論爭」も「上品めかした論爭」も共にやれる道理が無い。西部は「上品めかした論爭に仕立てたとして」と書いてゐるが、論爭は一人でやるものではないから、それが「上品」になるかどうかは西部の仕立てられる事ではない。西部に「上品めか」さうとする意志があつても、論爭の相手が例へば私のやうに「下品」かつ「亂暴」に應じたら、二人の「論爭」は決して「上品」にならぬ道理である。それに何より、「めかす」とは「それらしく見せる」事だが、物書きは決してめかしてはならない。幾らめかしてもめかした事の淺はかは透けて見えるからである。實際、「上品めかす」とは上品でないのに上品らしく見せる事だが、西部は己が下品な根性を「上品めか」さうとして物の見事に失敗してゐる。「文は人なり」とはさういふ事なのだが、何せ目明き千人盲千人の御時世だから、惡貨は良貨を驅逐して、惡文を綴る司馬遼太郎や小林よしのりが人氣者になる。小林よしのりのために辯じて西部はかう書いてゐる。
ところが(中略)小林批判のコピーが、山ほどといひたくなるくらゐの分量で、我が家に送られてきた。小林氏はこんなにも批判されてゐたかと呆れつつそのコピーの群れを眺め渡してみて、年相應に物事に動じなくなつてゐる私ではあるが、少々驚いた。一、二の例外を除いて、度外れに淺薄な文章が目白押しに竝んでゐるのだ。量は質に轉化する。この言論はあまりにも劣惡である。それを目の當たりにして素知らぬげにしてゐるには、私の性は、悲しい哉、純朴すぎる。と諦めてしまへば、もう是非もない、あちこちの紙誌にオン・パレードとなつてゐる小林誹謗の文章を、目白を撃つやうにして總ざらひにからかつてみるのも一興と思ふことにしよう。
これまた知的・道徳的に破廉恥な頗る附きの惡文である。まづは知的怠惰だが、量は決して質に「轉化」しないし、コピーは物質だから「コピーの群れ」とは云はない。とかく徒黨を組みたがる知識人を皮肉つて漱石は「槇雜木も束になつてゐれば心丈夫」だらうと云つたが、「槇雜木」は束ねる物で「群れる」物ではない。生物たる目白や馬鹿は群れるがコピーや「槇雜木」は決して群れない。また、「コピーの群れ」を「眺め渡す」には「山ほど」のコピーを床の上に竝べなければならないが、何のためにそんな無意味な事をするか。西部とて床の上に竝べた譯では決してない。「目白押しに竝んでゐる」淺薄な文章を「目白を撃つやうにして總ざらひにからかつてみるのも一興」云々と續けるために、目白を眺め渡すやうに「眺め渡し」た事にしたに過ぎない。見え透いた拙い修辭だが、床の上に竝べた「コピーの群れ」を眺め渡す事は出來るが、「目白押しに竝んでゐる」文章を「總ざらひに」からかふ事は出來ない。「總浚ひ」とは習つた事全てを復習する事だからである。更にまた、目白は慥に枝に竝んで留るが、それを「撃つ」たら一羽は落せても他の目白が皆逃げて仕舞ふ。が、コピーは決して逃げはしない。更にもう一つ箇所だけ、からかふ事は「撃つ」事ではない。目白を狙ひ撃ちにすれば、當つた目白は死ぬが、からかはれただけの事なら目白も「淺薄な文章」の筆者も死にはしない。而も、「淺薄な文章」を綴る愚者はともかく、枝に留る目白なんぞをからかつても仕樣が無い。
かういふ具合にして西部の「淺薄な文章」には幾らも粗を搜し出せるが、知的怠惰はそのまま道徳的怠惰なのであり、「私の性は、悲しい哉、純朴すぎる」の一句は、うかと書いて活字になつたら慙死するに値する程の破廉恥な文章である。「きちんと咎められるのはあなただけだ」と編輯者に煽てられ、その事實をそのまま書くのは淺はかゆゑの破廉恥だが、よい年をして「純朴すぎる」などと、これはもう、全うな大人の口が裂けても云つてはならぬ破廉恥な臺詞である。「廣辭苑」によれば、純朴とは素直で飾り氣の無い事であり、全共鬪時代の西部はかなり「純朴」だつたかも知れないが、「まともな議論など期待すべくもない」などといふ「上品めかした」臺詞を口にする男が素直で飾り氣の無い男である筈が無い。人間誰しも「年相應に物事に動じなく」なる許りでなく「年相應に」擦れるのだから、擦れる事自體は咎めるに及ばない。「年相應に」擦れながら「純朴」めかす事が知的・道徳的怠惰ゆゑの淺はかなのである。今、かうして私は西部を「惡し樣に論」つてゐる。が、罵られた西部は決して私に反論しない。反論したらもつとこつ酷くやられるといふ事を知つてゐる。西部もまた「年相應に物事に動じなく」なつてゐるのではなく「年相應に擦れて」ゐるのである。
而も、反論しない事によつて西部のはうが勝つ。目明き千人盲千人だからである。西部が「悲しい哉、私は純朴すぎる」と書くと「成程上品な方だ」と千人の盲が思ふ。「きちんと咎められるのはあなただけだ」と云はれたと書けば「それは慥にさうだらう」と盲が思ふ。一方、かうして手心を加へずに西部を批判する私の文章を讀むと、この男は西部に「何ぞ私怨を抱いてゐるに相違無い」と思ふ。或は少なくも「下品な文章だ」と思ふ。「平和を愛する諸國民」に信頼して半世紀、それに先立つて「八紘一宇」だの「大東亞共榮圈」だのといふ性善説的スローガンを掲げて戰つた程のお人好しのお國柄だから、武者小路實篤ではないが、「仲良き事は美しき哉」と、目明きも盲も思つてゐる。それゆゑ「まともな議論など期待すべくもない」。
だが、「文人相輕んず」と云ふが、物書きが他の物書きの「固有名詞を擧げつつ惡し樣に論ふ」事は、この和合と馴合ひの國にあつて頗る大事な事だと私は思ふ。實は「上品」な筈の西部も左翼を相手にするとそれをやる。例へば荒川章二を罵倒してこんなふうに書く。
なぜあなたは、自分らが半世紀にわたつて厖大な贋の資料で日本軍の殘虐とやらを國内外に喧傳してきたことに一片の羞恥も覺えないのか。そんな不徳、不知の振る舞ひを續けることに喜びを見出すのは惡黨でないとしたら(近代において夥しく發生してゐる)革命家氣取りの神經を病んだインテリにすぎない。(「正論」四月號)
政治主義の盲千人には解つて貰へまいが、私は物の道理を述べて、惡文を添削しつつ左と右を罵るが、西部は左の荒川を感情的に罵つてゐるに過ぎない。「日本軍の殘虐とやら」に關する資料を西部は贋だと思つてゐる。無論、私もさう思つてゐる。が、大江健三郎も荒川も贋だとは思つてゐない。ここに贋物の骨董があるとして、本物だと信じ切つてゐる荒川が頻りにその價値を「喧傳」する場合、私が荒川を罵つて、眞赤な贋物を本物だと「喧傳してきたことに一片の羞恥も覺えないのか」、お前は「不徳、不知」の惡黨、もしくは似非インテリである、などと罵つても仕樣が無い。マルキシズムを信奉してゐる觀客にマルキシズム萬歳の芝居を觀せるのは無意味だと、嘗てイギリスの劇作家プリーストリーは云つたが、「左翼進歩派」を罵倒して政治主義の淺はかな保守派を喜ばせる事も同じく意味が無い。而も、愚かな荒川が眞實本物だと信じてゐるとすると、「喧傳」する事は「不知」のなせる業ではあつても「不徳」のなせる業ではない、といふ事になる。若くて純朴で「革命家氣取りの神經を病んだ」西部が「左翼進歩思想」に行かれた事も、戰時中に皇國史觀に行かれた軍國青年の場合と同樣、決して「不徳」ではない。右翼であらうと左翼であらうと、皇國史觀「自虐史觀」のいづれを信奉しようと、正字正假名を用ゐようと略字新假名で書かうと、それだけの事で知的・道徳的怠惰を免れる譯ではない。