自衞隊を我々だけの軍隊として、なぜ處遇しないのか。その六年餘におよぶ交遊を振り返り、いんちき軍事評論家が跋扈するのは自衞隊の知的怠惰でもあると、自衞隊に媚びず、自衞隊のために辯ずる、類例のない國防論。
最近になつて、自衞隊の活動が一般に「容認」されて來た。しかし、本當に我々は自衞隊の事を知つてゐると言へるだらうか。あなたは自衞官と、話をした事があるだらうか。國防問題や政治問題について、語りあつた事があるだらうか。文藝評論家である著者は、「政治の爲の道具」としてではなく、同じ人間として自衞隊と附合ひ、その實態を描き出す。防衞白書や兵器カタログの數字からはわからない、現實の自衞隊を知りたい人に、一讀をおすすめする。
松原氏は自衞隊と長年附合つた日本で唯一の批評家である。多くの部隊を訪ねて
行つても、自衞官が隱せば眞の自衞隊の姿
は明かにはならない。しかし松原氏は自衞隊と本氣で附合つた。氏は、自衞隊自身の知的怠惰をも批判する。さう云ふ氏を信頼するから、自衞官は自分達の本當の姿を見せる。
自衞隊は日本で冷遇されてゐる。左翼には「税金の無駄使ひ」と非難され、右翼には「自衞隊では日本を守れない」と嘆かれる。だが、自衞隊が訓練をするのにさへ苦勞してゐる事實を、自衞隊を批判する手合は知らない。その結果として自衞隊の訓練は「戰爭ごつこ」にしかならない。にもかかはらず、「戰爭ごつこ」を自衞隊は眞劍に行ふのである。その哀れを、左翼はいざ知らず、右翼ですら氣にしない。日本人に、我々だけの自衞隊
を本氣で愛する者はゐないのか。
自衞隊の實情を知らないから、自衞隊や國防問題に就いて日本人は右も左も好き勝手を言ふ。もつと「我々だけの自衞隊」である事を、我々は意識すべきである。自衞隊の事を、他人事みたいに考へてはいけない。そして、自衞隊も、自分たちの本當の姿を國民に見せて、國民を説得する努力をしなければならない。
「反米」を主張する右翼・保守派の人々は、本書の最後の章で示されたアメリカと戰ふのか
と云ふ問ひかけについて、是非とも眞面目に考へて貰ひたい。
アメリカをなめてはいけない。アメリカと戰へば、日本は再び負ける。だから日本はアメリカに逆らつてはならない。
――政治が當座、國民を生延びさせる事であるならば、我々は「負ける戰」を判つてゐて仕掛けるべきではない。もちろん、我々に何うしても讓れない正義があるならば、戰はなければならない時はある。が、我々日本人に「何うしても讓れない正義」の類は存在するか。「反米保守」の人々はそれを決して考へない。
先づ生きてゐなければ、人は道徳的に生きる事も出來ないのであつて、だから國家は國民の生命を守らなければならない。道徳は大事であるが、政治も大事である。それゆゑ軍隊もまた必要である。だが同時に軍人もまた人間なのであつて、人間ならば個人として道徳的に生きねばならない。
斯うした葛藤までも念頭において、松原氏は防衛の問題を論じてゐる。氏が評論家として「異色」と言はれる所以である。